先日、学生時代からの旧友達(俗称「四人組」)との昼食会の席上、久し振りに、8人で沖縄旅行に出掛けることで意見が一致した。
今までにも、4人プラス奥方を加えた「八人」で登山や旅行を楽しむことが何度かあった。年一年と、年齢相応に体のほころびが目立ち始めたので、今年あたりが8人全員が揃う最後のチャンスかも知れないと、お互いの気持ちが通じたようだった。
とりわけ、Y君は、ここ数年来、夫婦揃って健康状態が思わしくなく、旅行に誘うのを控えてきた。その彼が、積極的に参加すると言ったので、余計戸惑いを感じた。全員参加を条件に、私が世話役を引き受けたのだが、旅行時期の調整段階で、Y君から「参加困難」との手紙が届いた。
不安が的中した感じだが、私自身、爆弾を抱える身だし、妻も健康体ではない。一日健やかに過ごせたことを感謝しつつ眠りにつき、翌朝、寝床で手が動くのを新鮮な喜びで迎える毎日だ。天災地変や交通事故の例を出すまでもなく、寿命の保証は無い。
「病気」という字を「病いは気から」と読んでみる。健康だから旅行できるのではなく、旅する健康を喜びたい。健康のために走るのではなく、走ることができる健康を喜びたい。いつ果てても良いように、刹那的な感動を求めて、健康に命を賭けていきたい。