仏教伝来 552年『日本書紀』では、欽明天皇(552年、壬申)10月に百済の聖明王が使者を使わし、仏像や経典とともに仏教流通の功徳を賞賛した上表文を献上したと記されている
538年『上宮聖徳法王帝説』や『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』(724年)においては、欽明天皇御代の「戊午年」に百済の聖明王から仏教が伝来したとある。
しかし書紀での欽明天皇治世(540年 - 571年)には戊午の干支年が存在しないため、欽明以前で最も近い戊午年である538年(書紀によれば宣化天皇3年)が有力と考えられた
百済はなぜ飛鳥寺建立に力を注いだのか強固な同盟関係を結ぶため
舍利容器には「百済王の発願で(王興寺が)577年2月に創建された」となっている。日本書紀によると同年11月、百済王が日本に寺の技術者たちを送り、11年後の588年、当時、権力を握っていた蘇我馬子が飛鳥寺を創建した
仏教伝来は「古代ニッポンの文明開化」とも言うべきインパクトをわが国に与えたが、その中心となる飛鳥寺建立の背景には、上記の王興寺との関わりが深く、飛鳥寺は王興寺の言わばデッドコピーであるということだ