バレンシアの夜明け。太陽が昇る前の東の空に月が掛かる。
どこに行ってもお月さんは付いて来るんだなあ、と、こどものようなことを今更ながらに思う。
ちょうど1週間前、あの月はハワイ諸島カウアイ島の、ワイメアの浜の沖で、ホクレアから見たんだったなあ。
朝、
アリンギのコンパウンドの隣の建物の中に設営されたメディアセンターに行き、
メディア登録と、明日予定されている第33回アメリカズカップ第1レース観戦のために、メディアボート乗艇を予約する。
アリンギのコンパウンドでは、防衛艇〈アリンギ5〉のマストを立て、セールをセットして、出艇の準備が進められている。ファーリングしたマストヘッドジェネカーを揚げるために、船尾に搭載されているエンジンがうなりを上げている。

BMWオラクルレーシングのコンパウンドには、挑戦艇〈USA〉の姿はない。
〈USA〉は、ポート・アメリカスカップではなく、
バレンシアの商業港のほうに仮設で設営されたコンパウンドに係留されていて、
朝早くドックアウトして、すでに沖でセーリングを始めているという。
本日の午後1時過ぎ、スタートのエントリーサイドを決めるコイン・トスが行なわれた。
レース委員長のハロルド・ベネットが投げ上げるコインの裏表を先に言い当てる権利を与えられた防衛ヨットクラブ会長だったが、
緊張のためか、ヘッズかテイルを答えなければならないのに、
「スターボードが欲しい」、と言ってしまった。
ハロルド・ベネットが、「いや、そうではなくて…」と訂正を促したが、
会長さん、数千人もの目の前で、恥ずかしかっただろうな。
しかもコインの裏表を外して、挑戦者側にエントリーサイドを選ぶ権利を奪われてしまった。
あとで、エルネスト・ベルタレッリに罵られたのではないだろうか?心配だ。
挑戦者、ゴールデンゲイト・ヨットクラブは、第1レース、スターボードのエントリーを獲得した。
今回の第33回アメリカズカップが、ここ最近一般的だったアメリカズカップのフォーマットと異なり、
アメリカズカップ争奪マッチの基本憲章とも言える『贈与証書』に従って行なわれることになった経緯は、
これまで何度か月刊『KAZI』誌にレポートしてきたが、ここで改めて、かいつまんで説明してみよう。
複数のヨットクラブがアメリカズカップ挑戦に名乗りを上げ、
その中で勝ち残ったヨットクラブが、カップを保持しているヨットクラブに挑戦する。
これが一般によく知られている近代アメリカズカップの形態だ。
しかし、実はこれは、
アメリカズカップマッチの方法を規定している規則『贈与証書』による、本来のアメリカズカップのやりかたとは異なる。
条件を満たすヨットクラブが、挑戦を決意して、挑戦艇の主要目を書き込んだ挑戦状を、
アメリカズカップを保持しているヨットクラブに送りつける。
挑戦状を受け取ったその防衛ヨットクラブはその挑戦を受けて立たたねばならず、
レースの場所を指定した上で、10ヶ月以内にレースを行なうべし。
そのように『贈与証書』には規定されている。
明日2月8日に開幕する第33回アメリカズカップは、
『贈与証書』で認められた挑戦者ゴールデンゲイト・ヨットクラブ(米。以下GGYCと表記)が、
防衛者ソシエテ・ノティーク・ド・ジュネーブ(スイス。以下SNG)に挑む。
この、本来の形態で開催されるアメリカズカップは、1988年以来、22年振りのことになる。
2年間に渡る紆余曲折の末に、防衛ヨットクラブSNG 対 挑戦ヨットクラブGGYCの、一騎打ちによる第33回アメリカズカップが、スペインのバレンシアで開催されることが決定したのは昨年12月のことだった。
その第1レースは2月8日であることも、それに先立って確定した。
1月12日、13日の2日間、防衛者側と挑戦者側は
シンガポールで、国際セーリング連盟の代表者とジュリー代表も同席の上、
第33回アメリカズカップのレース実施要綱と帆走指示書にサインするための詰めのミーティングを行なった。
しかしそのミーティングは、双方がその二つの書類にサインすることなく、決裂した。
その決裂の最大の理由は、GGYC側がシンガポールでの会議期間中に、
「アリンギはノースセールの3DLセールを使うべきではない」という主張を、
ニューヨーク州最高裁判所に提訴したからだという(SNG側の発表)。
GGYCのこの主張は、すでに昨年2009年のクリスマス前に、
SNGへの書簡の形で提出されていた。
「贈与証書には、艇体、リグ、セールはそのヨットクラブの属する国で作られたものでなければならないと明記されている。しかるに、貴ヨットクラブの防衛艇のセールは米国ネバダ州ミンデンで作られたものだが…」
という内容だ。
photo:Aringhi
2009年12月22日付けのGGYCからのこの質問状に対する防衛側SNGの対応は、
二転三転した。
最初は、セールはヨットの一部ではない、という見解。
次が、自分たちの3DLセールはスイスで作った、という主張。
そして、3DLセールのコンセプトは元々スイス人のもので、だから我々の3DLセールはスイス製だ、というものだ。
このことについて、ぼくがノースセールのセールデザイナーだった時代に『KAZI』誌に寄稿した、
3DLセールの開発に関するレポートがある。
この記事で確認いただけると思うが、
確かに3DLセールのコンセプトをノースセールに持ち込み、固定モールドの上でJ24のジェノアサイズの最初の3DLセールのプロトタイプを作ったのは
スイス人のJ.P. バウデットだった。
しかし、J.P.バウデットがこのアイディアをノースセールに持ち込んだ理由は、
すでにノースセール社がドイツ国内において同様のアイディアのパテントを取っていたからだ、
とその当時のミーティングでJ.P.本人から聞いた。
J.P.がノースセール社とともにJ24のジェノアサイズのプロトタイプの3DLを極秘裏に試作したのも、
米国コネチカットのノースセール本社近くの、目立たないビルの1室だった。
恐らくこの事実関係を知っているにも関わらず、
「スイス人が考えたアイディアだから、スイス製である。しかも我々の3DLセールはスイス国内で作ったものだ」
と、アリンギのアーネスト・ベルタレッリは強引な論理を展開している。
現在のところ、3DLセールを製造できるノースセールの工場は、
米国ネバダ州のミンデンとスリランカにしかないにも関わらず、である。
この件はすでに『贈与証書』の法的解釈を判断する米ニューヨーク州最高裁判所の手に委ねられていている。
GGYC側が、なぜ今になってセール原産国の解釈を争点として持ち出してきたのか、
その理由というか、必要性というか、に俄然興味が沸く。
photo:BMW Oracle Racing
GGYCは、自分たちの挑戦艇であるBMWオラクルレーシングの〈USA〉 とSNGの防衛艇〈アリンギ5〉の性能を比較分析して、
このままレースをやると〈USA〉は勝てそうにない、改良のための時間稼ぎが必要だ、と慌てているのだろうか?
それとも、アメリカズカップは歴史あるスポーツの試合であり、
スポーツというものは、あくまでもそれを統括するルール ― 今の場合は『贈与証書』 ―
を遵守することに敬意を払わなければいけないのだということを、
防衛者代表であるベルタレッリに教えようとしているのか?
あるいは、〈USA〉の優勢を確信した上で、
レースという土俵に〈アリンギ5〉を早く引っ張り出すために、ベルタレッリに2重の罠を掛けようとしているのか?
この2年間、挑戦者と防衛者の丁々発止のやり取りを見てきて、
アメリカズカップにおいては、
海の上で艇の帆走性能やクルーの帆走能力を競うヨットレースそのものの優先順位は最上位にはなく、
第1レースのスタート号砲に至るずっと前に展開される、相手の情報分析や自身の情報操作や、
法律や人間心理学やらをすべて内包した、非常に多岐に渡る分野をひっくるめた頭脳戦こそが最も重要なゲームであるように思えてきた。
他のスポーツには例を見ることができないくらい、アメリカズカップはとても特異なものらしい、
と、今更ではあるが、思うのだ。
アメリカズカップを楽しむ側は、海上のレースだけではなく、
こういうアメリカズカップの舞台裏を含めて楽しまなくては損なような気さえしている。
実際ラッセル・クーツを見ていると、レースコース上で相手を負かすことばかりを考えるただのセーラーだった頃(もちろん、ただのセーラーではないが)よりも、
挑戦チームのCEOという立場になってからの、
レース当日のはるか前から陸上で展開する大きな戦いのほうを、積極的に楽しんでいるようさえ思える。
「アメリカズカップは単なるヨットレースではない」と彼がかつて語っていたことの本当の意味を、
今にしてやっと理解できたように思うのだ。
レースのスタート前日の時点で、レース規則(レース実施要綱、帆走指示書)について当事者双方が合意に至らない。
こういうことは、他の一般のスポーツの公式国際試合ではありえないことだろう。
しかし、これがアメリカズカップなのだ。
煎じ詰めればアメリカズカップは、
防衛者と、その防衛者以外の国に属するヨットクラブからの挑戦者が、
その優勝カップに付属する“争奪戦のやり方の手引”である『贈与証書』に従って行なう
親善試合に過ぎないのだ。
その試合の運営も、通常のスポーツの国際試合とは異なり、当事者自身が行なう。
ただ、親善試合ではあるが、その、たかが親善のための試合に勝とうとして、
双方が一般庶民の常識をはるかに超える、途方もないお金を使うのが、
世の中の普通の親善試合とアメリカズカップが異なる点だ。
例えば今回の親善試合の当事者たちは、この2年間で、
自分たちのヨットを開発するだけのために、それぞれ軽く100億円以上を使ったという。
セール原産国問題、レースを実施するためのコンディション、摩擦抵抗を減らすためのオラクル側の装置、など、ペンディング事項はここでは一応横に置いておいて、
防衛者側が作成したレース実施要綱と帆走指示書の草稿に沿って、
第33回アメリカズカップをプレビューしてみる。
贈与証書に従って、第33回アメリカズカップは、先に2勝したヨットが勝者となる。
レースエリアは、バレンシア港から東方向に約40海里、南北54海里のエリアで囲まれた海面。
レースコースは、贈与証書に定められたとおり。
すなわち、第1レースのコースは、20海里の風上航と折り返しの風下航。マークの回航方向は、予告信号前にフラッグで指示される。
第2レースは、39海里の正三角形のコースで、最初のレグは風上航とする。このコースも、マークの回航方向は予告信号前にフラッグで指示される。
最初の2レースが1勝1敗となって、第3レースを行なう必要がある場合、コースは第1レースと同様とする。
風速15ノット以上、波高1メートル以上のコンディションではレースは行なわれない。この点についても、ニューヨーク州最高裁は、この風速規定を帆走指示書に盛り込むことはできない、
との認識を示したが、SNGはそれを無視する形でこの条項を外していない。
風速を計測する高さは「水面上60メートル」とされている。
海面上60メートルというのは、挑戦艇、防衛艇双方のマストの高さにほぼ匹敵するが、かなり高い。
これまでのアメリカズカップでは海面上10メートルでの風速が判断の基準とされていた。
レース運営側は60メートルもの高度の風速をどのような方法で計測するのか。
レース運営を担当するロイヤル・ニュージーランドヨットスコードロンのハロルド・ベネットは、
防衛艇と挑戦艇それぞれのマストヘッドユニットで計測した風速データの提出を求めるつもりだと言う。
しかし、レースをする当事者にレースコミッティーが風速を計らせることはなんだか変だし、
さらに、果たして双方は、正直にそのままデータをレースコミッティーに渡すだろうか?
各レースのタイムリミットは、7時間。これも贈与証書で定められた通りだ。
第1レースは2月8日。予告信号は午前10時。
ただし、午後4時30以降に予告信号は発せられない。
第2レースは2月10日。もし第3レースが必要な場合は、2月12日。
これは贈与証書で規定されている「レースとレースの間には1平日(weekday)を隔てなければならない」に準拠したもの。
上記のようにレース日が定められているとはいえ、海面上60メートルでの風速が15ノット以上あればレースは行なわれない。
その高度での風速が15ノットだと、摩擦抵抗で風が弱い海面付近での風速は10ノット前後の風に過ぎないはずで、
それを考えると、上記のような日程で粛々とレース・スケジュールが進んでいく可能性は少ないように思われる。
そのことから、実施要綱では2月15日から25日までをレース予備日として定めていて、
レースの勝者を決定するために必要なら、
さらなる予備日を追加する可能性があることも言及している。
ここ最近のアメリカズカップで使われてきたヨットと今回のアメリカズカップで使われるヨットとの大きな違いは、
今回の2隻はレース中に転覆する恐れのあるデリケートなマルチハルだということだ。
モノハルのアメリカズカップクラスでも転覆・沈没はあったが、それはあくまでも構造上の欠陥が理由だった。
今回の場合は、クルーのミスでいつひっくり返ってもおかしくない、というヨットだ。
観る側からしたら大そうな見物になると思うが、当事者にとっては大変なことだ。
規定風速の上限で、しかもつばぜり合いのレースになれば、その可能性はゼロではないはずだ。
特に第2レースは真の風角120度の浅い角度のリーチングのレグが2つもある。
転覆が起きるとしたら風上マーク回航を含めた、このレグだ。
いくつものペンディング事項を残したままではあるが、
クローズホールドで25ノット、リーチングのレグでは50ノットにも達する2隻の巨大ハイテク・マルチハル艇によるアメリカズカップの第1レースが明日開幕することが、ここバレンシアでは、現実のものとして実感できるようになってきた。
どこに行ってもお月さんは付いて来るんだなあ、と、こどものようなことを今更ながらに思う。
ちょうど1週間前、あの月はハワイ諸島カウアイ島の、ワイメアの浜の沖で、ホクレアから見たんだったなあ。
朝、
アリンギのコンパウンドの隣の建物の中に設営されたメディアセンターに行き、
メディア登録と、明日予定されている第33回アメリカズカップ第1レース観戦のために、メディアボート乗艇を予約する。
アリンギのコンパウンドでは、防衛艇〈アリンギ5〉のマストを立て、セールをセットして、出艇の準備が進められている。ファーリングしたマストヘッドジェネカーを揚げるために、船尾に搭載されているエンジンがうなりを上げている。

BMWオラクルレーシングのコンパウンドには、挑戦艇〈USA〉の姿はない。
〈USA〉は、ポート・アメリカスカップではなく、
バレンシアの商業港のほうに仮設で設営されたコンパウンドに係留されていて、
朝早くドックアウトして、すでに沖でセーリングを始めているという。
本日の午後1時過ぎ、スタートのエントリーサイドを決めるコイン・トスが行なわれた。
レース委員長のハロルド・ベネットが投げ上げるコインの裏表を先に言い当てる権利を与えられた防衛ヨットクラブ会長だったが、
緊張のためか、ヘッズかテイルを答えなければならないのに、
「スターボードが欲しい」、と言ってしまった。
ハロルド・ベネットが、「いや、そうではなくて…」と訂正を促したが、
会長さん、数千人もの目の前で、恥ずかしかっただろうな。
しかもコインの裏表を外して、挑戦者側にエントリーサイドを選ぶ権利を奪われてしまった。
あとで、エルネスト・ベルタレッリに罵られたのではないだろうか?心配だ。
挑戦者、ゴールデンゲイト・ヨットクラブは、第1レース、スターボードのエントリーを獲得した。
今回の第33回アメリカズカップが、ここ最近一般的だったアメリカズカップのフォーマットと異なり、
アメリカズカップ争奪マッチの基本憲章とも言える『贈与証書』に従って行なわれることになった経緯は、
これまで何度か月刊『KAZI』誌にレポートしてきたが、ここで改めて、かいつまんで説明してみよう。
複数のヨットクラブがアメリカズカップ挑戦に名乗りを上げ、
その中で勝ち残ったヨットクラブが、カップを保持しているヨットクラブに挑戦する。
これが一般によく知られている近代アメリカズカップの形態だ。
しかし、実はこれは、
アメリカズカップマッチの方法を規定している規則『贈与証書』による、本来のアメリカズカップのやりかたとは異なる。
条件を満たすヨットクラブが、挑戦を決意して、挑戦艇の主要目を書き込んだ挑戦状を、
アメリカズカップを保持しているヨットクラブに送りつける。
挑戦状を受け取ったその防衛ヨットクラブはその挑戦を受けて立たたねばならず、
レースの場所を指定した上で、10ヶ月以内にレースを行なうべし。
そのように『贈与証書』には規定されている。
明日2月8日に開幕する第33回アメリカズカップは、
『贈与証書』で認められた挑戦者ゴールデンゲイト・ヨットクラブ(米。以下GGYCと表記)が、
防衛者ソシエテ・ノティーク・ド・ジュネーブ(スイス。以下SNG)に挑む。
この、本来の形態で開催されるアメリカズカップは、1988年以来、22年振りのことになる。
2年間に渡る紆余曲折の末に、防衛ヨットクラブSNG 対 挑戦ヨットクラブGGYCの、一騎打ちによる第33回アメリカズカップが、スペインのバレンシアで開催されることが決定したのは昨年12月のことだった。
その第1レースは2月8日であることも、それに先立って確定した。
1月12日、13日の2日間、防衛者側と挑戦者側は
シンガポールで、国際セーリング連盟の代表者とジュリー代表も同席の上、
第33回アメリカズカップのレース実施要綱と帆走指示書にサインするための詰めのミーティングを行なった。
しかしそのミーティングは、双方がその二つの書類にサインすることなく、決裂した。
その決裂の最大の理由は、GGYC側がシンガポールでの会議期間中に、
「アリンギはノースセールの3DLセールを使うべきではない」という主張を、
ニューヨーク州最高裁判所に提訴したからだという(SNG側の発表)。
GGYCのこの主張は、すでに昨年2009年のクリスマス前に、
SNGへの書簡の形で提出されていた。
「贈与証書には、艇体、リグ、セールはそのヨットクラブの属する国で作られたものでなければならないと明記されている。しかるに、貴ヨットクラブの防衛艇のセールは米国ネバダ州ミンデンで作られたものだが…」
という内容だ。

2009年12月22日付けのGGYCからのこの質問状に対する防衛側SNGの対応は、
二転三転した。
最初は、セールはヨットの一部ではない、という見解。
次が、自分たちの3DLセールはスイスで作った、という主張。
そして、3DLセールのコンセプトは元々スイス人のもので、だから我々の3DLセールはスイス製だ、というものだ。
このことについて、ぼくがノースセールのセールデザイナーだった時代に『KAZI』誌に寄稿した、
3DLセールの開発に関するレポートがある。
この記事で確認いただけると思うが、
確かに3DLセールのコンセプトをノースセールに持ち込み、固定モールドの上でJ24のジェノアサイズの最初の3DLセールのプロトタイプを作ったのは
スイス人のJ.P. バウデットだった。
しかし、J.P.バウデットがこのアイディアをノースセールに持ち込んだ理由は、
すでにノースセール社がドイツ国内において同様のアイディアのパテントを取っていたからだ、
とその当時のミーティングでJ.P.本人から聞いた。
J.P.がノースセール社とともにJ24のジェノアサイズのプロトタイプの3DLを極秘裏に試作したのも、
米国コネチカットのノースセール本社近くの、目立たないビルの1室だった。
恐らくこの事実関係を知っているにも関わらず、
「スイス人が考えたアイディアだから、スイス製である。しかも我々の3DLセールはスイス国内で作ったものだ」
と、アリンギのアーネスト・ベルタレッリは強引な論理を展開している。
現在のところ、3DLセールを製造できるノースセールの工場は、
米国ネバダ州のミンデンとスリランカにしかないにも関わらず、である。
この件はすでに『贈与証書』の法的解釈を判断する米ニューヨーク州最高裁判所の手に委ねられていている。
GGYC側が、なぜ今になってセール原産国の解釈を争点として持ち出してきたのか、
その理由というか、必要性というか、に俄然興味が沸く。

GGYCは、自分たちの挑戦艇であるBMWオラクルレーシングの〈USA〉 とSNGの防衛艇〈アリンギ5〉の性能を比較分析して、
このままレースをやると〈USA〉は勝てそうにない、改良のための時間稼ぎが必要だ、と慌てているのだろうか?
それとも、アメリカズカップは歴史あるスポーツの試合であり、
スポーツというものは、あくまでもそれを統括するルール ― 今の場合は『贈与証書』 ―
を遵守することに敬意を払わなければいけないのだということを、
防衛者代表であるベルタレッリに教えようとしているのか?
あるいは、〈USA〉の優勢を確信した上で、
レースという土俵に〈アリンギ5〉を早く引っ張り出すために、ベルタレッリに2重の罠を掛けようとしているのか?
この2年間、挑戦者と防衛者の丁々発止のやり取りを見てきて、
アメリカズカップにおいては、
海の上で艇の帆走性能やクルーの帆走能力を競うヨットレースそのものの優先順位は最上位にはなく、
第1レースのスタート号砲に至るずっと前に展開される、相手の情報分析や自身の情報操作や、
法律や人間心理学やらをすべて内包した、非常に多岐に渡る分野をひっくるめた頭脳戦こそが最も重要なゲームであるように思えてきた。
他のスポーツには例を見ることができないくらい、アメリカズカップはとても特異なものらしい、
と、今更ではあるが、思うのだ。
アメリカズカップを楽しむ側は、海上のレースだけではなく、
こういうアメリカズカップの舞台裏を含めて楽しまなくては損なような気さえしている。
実際ラッセル・クーツを見ていると、レースコース上で相手を負かすことばかりを考えるただのセーラーだった頃(もちろん、ただのセーラーではないが)よりも、
挑戦チームのCEOという立場になってからの、
レース当日のはるか前から陸上で展開する大きな戦いのほうを、積極的に楽しんでいるようさえ思える。
「アメリカズカップは単なるヨットレースではない」と彼がかつて語っていたことの本当の意味を、
今にしてやっと理解できたように思うのだ。
レースのスタート前日の時点で、レース規則(レース実施要綱、帆走指示書)について当事者双方が合意に至らない。
こういうことは、他の一般のスポーツの公式国際試合ではありえないことだろう。
しかし、これがアメリカズカップなのだ。
煎じ詰めればアメリカズカップは、
防衛者と、その防衛者以外の国に属するヨットクラブからの挑戦者が、
その優勝カップに付属する“争奪戦のやり方の手引”である『贈与証書』に従って行なう
親善試合に過ぎないのだ。
その試合の運営も、通常のスポーツの国際試合とは異なり、当事者自身が行なう。
ただ、親善試合ではあるが、その、たかが親善のための試合に勝とうとして、
双方が一般庶民の常識をはるかに超える、途方もないお金を使うのが、
世の中の普通の親善試合とアメリカズカップが異なる点だ。
例えば今回の親善試合の当事者たちは、この2年間で、
自分たちのヨットを開発するだけのために、それぞれ軽く100億円以上を使ったという。
セール原産国問題、レースを実施するためのコンディション、摩擦抵抗を減らすためのオラクル側の装置、など、ペンディング事項はここでは一応横に置いておいて、
防衛者側が作成したレース実施要綱と帆走指示書の草稿に沿って、
第33回アメリカズカップをプレビューしてみる。
贈与証書に従って、第33回アメリカズカップは、先に2勝したヨットが勝者となる。
レースエリアは、バレンシア港から東方向に約40海里、南北54海里のエリアで囲まれた海面。
レースコースは、贈与証書に定められたとおり。
すなわち、第1レースのコースは、20海里の風上航と折り返しの風下航。マークの回航方向は、予告信号前にフラッグで指示される。
第2レースは、39海里の正三角形のコースで、最初のレグは風上航とする。このコースも、マークの回航方向は予告信号前にフラッグで指示される。
最初の2レースが1勝1敗となって、第3レースを行なう必要がある場合、コースは第1レースと同様とする。
風速15ノット以上、波高1メートル以上のコンディションではレースは行なわれない。この点についても、ニューヨーク州最高裁は、この風速規定を帆走指示書に盛り込むことはできない、
との認識を示したが、SNGはそれを無視する形でこの条項を外していない。
風速を計測する高さは「水面上60メートル」とされている。
海面上60メートルというのは、挑戦艇、防衛艇双方のマストの高さにほぼ匹敵するが、かなり高い。
これまでのアメリカズカップでは海面上10メートルでの風速が判断の基準とされていた。
レース運営側は60メートルもの高度の風速をどのような方法で計測するのか。
レース運営を担当するロイヤル・ニュージーランドヨットスコードロンのハロルド・ベネットは、
防衛艇と挑戦艇それぞれのマストヘッドユニットで計測した風速データの提出を求めるつもりだと言う。
しかし、レースをする当事者にレースコミッティーが風速を計らせることはなんだか変だし、
さらに、果たして双方は、正直にそのままデータをレースコミッティーに渡すだろうか?
各レースのタイムリミットは、7時間。これも贈与証書で定められた通りだ。
第1レースは2月8日。予告信号は午前10時。
ただし、午後4時30以降に予告信号は発せられない。
第2レースは2月10日。もし第3レースが必要な場合は、2月12日。
これは贈与証書で規定されている「レースとレースの間には1平日(weekday)を隔てなければならない」に準拠したもの。
上記のようにレース日が定められているとはいえ、海面上60メートルでの風速が15ノット以上あればレースは行なわれない。
その高度での風速が15ノットだと、摩擦抵抗で風が弱い海面付近での風速は10ノット前後の風に過ぎないはずで、
それを考えると、上記のような日程で粛々とレース・スケジュールが進んでいく可能性は少ないように思われる。
そのことから、実施要綱では2月15日から25日までをレース予備日として定めていて、
レースの勝者を決定するために必要なら、
さらなる予備日を追加する可能性があることも言及している。
ここ最近のアメリカズカップで使われてきたヨットと今回のアメリカズカップで使われるヨットとの大きな違いは、
今回の2隻はレース中に転覆する恐れのあるデリケートなマルチハルだということだ。
モノハルのアメリカズカップクラスでも転覆・沈没はあったが、それはあくまでも構造上の欠陥が理由だった。
今回の場合は、クルーのミスでいつひっくり返ってもおかしくない、というヨットだ。
観る側からしたら大そうな見物になると思うが、当事者にとっては大変なことだ。
規定風速の上限で、しかもつばぜり合いのレースになれば、その可能性はゼロではないはずだ。
特に第2レースは真の風角120度の浅い角度のリーチングのレグが2つもある。
転覆が起きるとしたら風上マーク回航を含めた、このレグだ。
いくつものペンディング事項を残したままではあるが、
クローズホールドで25ノット、リーチングのレグでは50ノットにも達する2隻の巨大ハイテク・マルチハル艇によるアメリカズカップの第1レースが明日開幕することが、ここバレンシアでは、現実のものとして実感できるようになってきた。