2月13日 バレンシア

2010年02月13日 | 風の旅人日乗
(第1レース。2月12日からの続き)

ファーリングしていたジブをやっと開くことができた〈USA〉はコントロールを取り戻し、ポートタックでスタートラインに戻ってスタートすることができたが、そのときには〈アリンギ5〉は、すでに風上への高さに換算して400メートル以上も先を走っていた。

〈USA〉が、センターハルを浮き上がらせて猛然と〈アリンギ5〉を追い始める。

〈アリンギ5〉の走りが重そうなのに比べると、僅か6ノットから10ノットの風の中で、〈USA〉は鳥のように軽やかに、しかし怖いような迫力でセーリングする。
何分もしないうちに、少なくともこのコンディションでは、〈USA〉のほうが〈アリンギ5〉よりも圧倒的に速いことを多くの人が理解した。

あっという間に〈USA〉が、400メートルの距離を詰める。
しかも、アウターエンドからポートタックでスタートした〈アリンギ5〉に対して、スタートラインのずいぶん右側で同じくポートタックでスタートした〈USA〉のはずなのに、〈アリンギ5〉に追いついたときには、〈アリンギ5〉のかなり風上側で並んだ。
スピードだけでなく、高さ性能でも勝っているのだ。

そのままのペースをキープして〈アリンギ5〉の前に出た〈USA〉だが、
防衛艇との高さの差が300メートルを超えたところで、
それまでより風速が上がったようには見えないのに、
まるで予定した行動のようにジブを降ろした。

この日の風はシフトもパフも非常に不安定だった。これ以上リードを広げて、相手艇と違うかもしれない風のエリアに入っていくのは危険だと考えた、
としか理由が考えられない挑戦艇の行動だった。

ウイング一枚だけの〈USA〉は、それでもジワジワとスピードで前に出て、高さの差も広げていく。

これはもう、誰が見てもクローズホールドでの勝負はあった。
ダウンウインドで、どういう展開になるか、が次の興味だ。
しかし、ダウンウインドになってもほとんど見かけの風の方向が変わらずに「飛び」続けるこの2隻の大型マルチハルの間に、アップウインドとダウンウインドで劇的な差があるとは考えにくい。

しかも、この日〈アリンギ5〉は微風用のストレート・タイプのダガーボードを装備している。これはクローズホールドを効率良くすることはあっても、ダウンウインドではなんらの利益をもたらさない。

3分21秒差をつけて風上マークを回った〈USA〉は、ダウンウインドではさらに凄みを増す走りを見せ、追いすがろうとする〈アリンギ5〉を置き去りにしていった。
追いかけるのをあきらめたのか、〈アリンギ5〉は風上側のハルからウォーターバラストの水を排水する。

「口をあんぐりとさせて」、この日バレンシア沖にいたみんながこのレースを目撃した。
空飛ぶ〈USA〉は、正直、笑いたくなるくらい速かった。

公式のフィニッシュでの時間差は15分28秒。
〈アリンギ5〉はフィニッシュラインでペナルティーターンをするためにラフィングしたときに、フィニッシュラインのコース側まで完全に戻ることができないままタッキングして、ベアウエイして帰ろうとしたが、ペナルティーを解消したというサインが出ないために、5分ほどラインの近くをウロウロした末に、やっとフィニッシュした。


スタート前、まだ元気だった頃の防衛艇〈アリンギ5〉。観戦艇の間を颯爽と走り回っていた。



怖いほどのスピード性能を見せ付けて第1レースをフィニッシュしたあとの挑戦艇〈USA〉。
ウイングは、前後レーキ、左右カント、自在に素早く変えることができる

2月12日 バレンシア

2010年02月13日 | 風の旅人日乗
2月1日にホクレアのトレーニング航海が終わり、お昼近くにホノルル空港の国際線ターミナルに入った2月2日、ふと思いついてターミナル内にある本屋さんに行った。
創刊40周年になる米国のセーリング誌が出版した2010年版バイヤーズガイドがあれば買っておこうと思ったからだ。

運よくそのムックが置いてあるのを見つけたが、ついでに、その隣にあったその出版社の出している雑誌の2月号を手に取り、パラパラとめくった。
その中に、たった2ページ半の扱いだったが、今回のアメリカスカップについての解説記事があった。
〈BOR90〉(=〈USA〉)と〈アリンギ5〉の比較表が載せてある。

長さとか幅の比較があり、そして
予想セーリング重量の比較
〈BOR90〉25920 ポンド
〈アリンギ5〉33790 ポンド

んー?

表の作り間違いか、校正ミスではないのかい?
 
世間では、〈アリンギ5〉のほうが軽い、だから微・軽風は間違いなく〈アリンギ5〉が速いことが、半ば常識のように語られているのだ。それが、この比較表では、圧倒的に〈BOR90〉、つまりBMWオラクルレーシングの挑戦艇〈USA〉のほうが軽い、と書かれているのだ。

立ち読みしている場合ではない、と思い、すぐにレジに向かって購入し、どこか落ち着いて読めるところを探す。
この本を手に取る前は、飛行機に乗る前にコナ・ブルワリーの美味しいビール、『ロング・ボード』をちょっと一杯、と思っていたのだが、飲み物はコーヒーにすることにして、じっくりと記事を精読する。

書いているのは、イアン・キャンベル。
長くサウザンプトン大学のウォルフソン研究所にいて、アメリカズカップ艇の開発に携わった人で、前回のアメリカスカップではルナロッサに所属していた。
このような記事を書くのに相応しい、信用できる人物だ。

イアン・キャンベルの記事は、面白かった。納得も行った。
そして、ソワソワした気持ちになる。

ぼくが、
『アメリカの挑戦艇〈USA〉。防衛艇〈アリンギ5〉よりも重いはずだと専門家筋は予想している。
同じ長さのヨットでは、微風下では軽いほうが速い。それはマルチハルでも同じ。
しかし今回のレースは、セールエリアの制限はないので、艇の重さだけで2隻の性能予測はできない。
横幅は圧倒的に〈USA〉のほうが広い。マルチハルのデザインでも、横幅はスタビリティーの大きな要素だ。』

という原稿を書かせていただいた日本のセーリング専門誌『KAZI』が、日本時間であと3,4時間もすれば書店に並ぶはずだったのだ。

読者に、「〈USA〉は〈アリンギ5〉よりも重い」という先入観を持たせてしまう一文を入れてしまった。手遅れだ。
うーん、いつもは美味しいハワイのコナ・コーヒーが不味い。

あの記事を読んだ方がいらっしゃいましたら、ここで、ごめんなさい。
「〈USA〉は〈アリンギ5〉よりも軽い」、と断言している『専門家』もいました。

それから10日後。
2月12日のバレンシア。
第33回アメリカス・カップ、第1レース。

〈USA〉の勝利という結果は、イアン・キャンベルが予想したとおりになった。

風速6~11ノットというコンディションで、スタートから20マイル先の風上マークでの〈USA〉と〈アリンギ5〉との差(3分21秒)さえ、〈USA〉のスタートでの出遅れ(1分27秒)とウイングセールの効果(イアン・キャンベルの分析は、〈USA〉がまだウイングを装備する前の段階で行なわれた)を加えれば、イアン・キャンベルはほぼ完璧に当てた。
脱帽。


朝9時30分。この朝も、BMWオラクルのドックアウトに招待され、約束したBMWオラクルのコンパウンドの前で待つ。
出艇は、レースコミッティーからの要請で2時間遅れた後、さらに2時間遅れることになっていた。
だから、この日はぼくも、朝5時45分、7時45分、と2度もBMWオラクルのコンパウンドまで出直したのだった。

しかし、その後レースコミッティーから速やかに海上に出てきて待機して欲しいとの要請がチームにあって、〈USA〉とクルーは急遽出航を1時間早めたらしい。

そのことをBMWオラクルのコンパウンドにやってきた福ちゃんから教えてもらう。
福ちゃんも家でのんびりしていたら観戦艇が先に出てしまったらしく、慌てて家族用の観戦艇に乗せてもらいに来たとのこと。

おかげで助かった。さもなければ、〈USA〉の出艇は見られない、メディアボートにも乗り遅れる、という、みっともないことになるところだった。


出港準備をするアリンギ。ダガーボードは、微風用のストレートなタイプのものに換えられている。
向こうに見える、客船のような船は、オラクルのラリー・エリソン所有の〈ライジング・サン〉。


10時00分 出航直前のメディアボートに飛び乗る。

10時30分 海に出る。ポート・アメリカスカップの出口が、出て行くボートで混み合っていて、水路を抜けるのにえらく時間を食う。


ポートアメリカスカップの水路をふさいで、ライジング・サンが出航する。この船が水路を通っている間は、他の船の通行は不可能だ。


港を出たメディアボートは一路、北東へとひた走る。
東からの大きなうねりが残っている。
風は南西、10ノットほど。

10時45分 沖に出るに従って風は右にシフトしていき、同時に弱くなっていく。うねりは依然大きく、1.5mくらい。時折2.5mくらいの大きなのがセットで入ってくる。

10時50分 風は北まで回った。

11時00分 風がパッチーになってきた。

11時05分 風がなくなった。

11時15分 うねりだけが残る、とろりとした海。南の水平線がキラキラしているのは、来る風ではなく、ちょっと前まで吹いていた北東風の後ろ姿だろう。

11時30分 南西から、弱いが新しい風が入ってきた。
東からのうねりの中、カタマランのこのメディアボートは、派手にピッチングしながら北東に向かって走り続けている。

11時45分 南西風が安定してきた。船内のモニターでTV中継が始まった。

12時00分 南西の風は12、3ノットに上がり、安定してきた。
この風でレースを行なうとしたら、このメディアボートはスタート/フィニッシュエリアにいることになる。そうなればラッキー。
レースができそうな予感。これで、沖から高いマスト2本を含む船団がこちらにやってきたら、決まりだ。

12時30分 2時間走り続けたメディアボートが止まった。
ほぼ同時に、白い色が鮮やかなウイングマストの〈USA〉と、〈アリンギ5〉を囲むようにしてレース運営船団が沖からやってきた。
うれしいな。期待通りの展開になってきたぞ。

〈USA〉のウイングに比べると、ちょっと前まで最先端だった〈アリンギ5〉のスクエアヘッドのカーボン製メインセールが、ひどく時代遅れのものに見える。

12時45分 吹き始めから少し左に回った南南西風が、少し落ちてきた。やだよ、困るよ。頑張って吹いてくれよ。

〈USA〉は、ほとんど止まっているようなスピードでもタックできる。ウイングをすごく後傾させて、ウエザーヘルムで艇を回しているように見える。

近くをセーリングしている普通のヨットの走りから判断して、風速は6ノットから8ノットくらい。

13時45分 風は止まらないが、上がらない。
TVが、コミッティーボート上で、アゴをさすりながら「考え中」のハロルド・ベネット(レース委員長)の顔をアップで映す。プレッシャーかけられてるな、TVから。かわいそう。

14時00分 コミッティーからレース艇やメディアボートにVHFで、
「我々はスターティング・プロシージャーを始めるつもりはない。延期を続ける」
と伝えられる。
風はさらに左に回り、南になった。


これが、今回第33回アメリカスカップのマーク。ちょっと滑稽感があって、重要な任務を帯びている割には、かわいらしい。


14時20分 コミッティーボートから、
「延期信号を14時24分に降下する。
14時25分にアテンション信号
14時29分に予告信号
14時30分に準備信号
14時35分、スタート
の手順になる。
コンパス方位180度でコースをセットする。
繰り返す、14時24分に延期信号を…」
というVHFが入る。
メディアボートや周囲の観戦艇が、歓声と拍手で包まれる。

いよいよ第33回アメリカズカップが始まる。
ドキドキしてきた。

14時30分 〈USA〉がセンターハルをフライさせ、25ノットくらいのスピードで、本部船側から猛然とエントリーする。
「猛然と」という表現が相応しいくらい、猛々しい。空飛ぶ恐竜を思い出す。もはや、これはヨットではない。
イアン・キャンベルは、
「〈USA〉はウォーターバラストなしで、7ノットの風でセンターハルをフライさせることができる。ウォーターバラストを積んでも、8ノットの風でフライする」
と予想したが、まったくその通りのセーリングを見せている。

スタートラインのポートエンドよりも3艇身ほど風下に下げた位置に打たれたポート側のエントリーマーク(この方式はRC44のレースでも使われる。スターボエントリー艇の有利性を少しでも減ずるための方法)から入った〈アリンギ5〉は
その〈USA〉のスピードを見て、逃げ切れないと判断して、バウを上げて〈USA〉に向かうが、
何か、肉食獣の目に射すくめられた草食動物のように、
ポート艇として避航動作をしているフリをアンパイアに見せることも忘れて、
そのまままっすぐ〈USA〉に向かった後、急にラフィングして〈USA〉のステディーコースの正面にポートタック艇としての横腹を見せる。
〈USA〉は数艇身以上前からコースをキープして〈アリンギ5〉に向かう。
そして、風位は越えたものまだタッキングが完全に終わらない〈アリンギ5〉の1艇身前でラフィングし、非権利艇との衝突を避けたことをアピールして、ジョン・コステキがY旗を振り上げる。
このレースのアンパイア・チームだけでなく、マッチレースを知っている者なら全員が納得する〈アリンギ5〉のペナルティーだ。

〈USA〉が思いもかけず転がり込んできたチャンスを生かし、ペナルティーを取ることを優先したため、
スタートライン上での棋面は、〈USA〉が〈アリンギ5〉に近すぎる位置で、頭を出しすぎている、「ダイアルアップ崩れ」の様相となる。
その状態で、双方相手の出方を待つ。
ラフィングするときに、ジブをファーリングで巻き取った〈USA〉だったが、その後プライマリーウインチにトラブルが発生し(詳細は明らかにしてくれなかった)、ジブシートを引いてジブを開くことができなくなり、〈USA〉はコントロール不可能の状態に陥る。

〈アリンギ5〉はその隙に行き足をつけてアウターエンド・マークに向かい、それを回り込んでスタートラインの内側に戻り、ジャイブして、ポートタックでスタートした。