名古屋お出かけ切符という商品で、知多方面にお出かけです。
この切符、予約しないと買えませんが、東海道線は関ヶ原から三河三谷、関西線は亀山、中央線は釜戸まで乗れます。値段は1500円なので、青空フリー切符よりは安い分、範囲も狭いです。 大垣〜名古屋間は780円ですので、往復ならこちら切符の方が安いです。
発券のため大垣駅のEX券売機に並んでいましたが、前の人の操作中に発券停止となったため、有人の窓口で発券してもらいましたが、待ち時間が10分以上かかったので、電車は1本見送りに。もし、無人の垂井駅でしたら詰んでましたな。
快速で大垣駅を出発し、定刻に大府駅に到着後、武豊行きに乗り換えます。ここからは単線区間になります。途中の東浦駅は貨物線が分岐していまして、太平洋セメントのホキが停車してました。ここから東藤原まで向かうのでしょうか。
電車はどんどんと南下して、武豊駅のひとつ手前の東成岩駅で下車。
駅のすぐ隣に踏切があり、その奥にJFEスチールという製鉄会社があります。30年以上前の事になりますが、仕事で頻繁にお邪魔していましたので、懐かしくなり下車したのでした。ここは旧・川崎製鉄(株)知多製造所という名前でしたが、NKK・日本鋼管と合併し現在はJFEスチールになっています。私が通っていた頃は川崎製鉄のパイプ製造を主にしている工場でした。
敷地が広いので、工場内にゴルフ場を作ったり、県道が高架で工場内を横切ったりと普通の会社とはスケールが違う会社でした。
東成岩駅から最後の1区間を乗車し、終点の武豊駅に向かいます。
武豊駅に到着。
駅前は特に店舗もなく閑散としています。昔はここからさらに線路が伸びていて、港まで続いていたそうな。武豊線の歴史は古く、中央線等の建設資材を運ぶため熱田まで路線が作られたそうです。小生の記憶では明治政府は太平洋と日本海を結ぶため、武豊と敦賀を繋ぐ路線建設を急いだと記憶してます。現に岐阜県最古の駅は関ケ原駅ですし。
駅前のロータリーに国鉄職員だった高橋さんの殉職を讃える顕彰碑が立っています。昭和28年の台風で武豊駅に向かう列車に危険を知らせて事故を回避したが、自分は濁流に流されてしまったと記してあります。
こういう人のおかげで命拾いした人がいる事を忘れてはいけません。
武豊港から海の方に1キロ程進むと転車台が保存されていました。
小ぶりなタイプですが、線路が十文字になっているタイプは珍しいとの事。校外学習の小学生が草むらに埋もれた転車台を見つけた事が保存に繋がりました。
この辺りは味噌や醤油製造の会社が多いようです。
かつて活躍した蒸気機関車や燃料を保管するランプ小屋が残されています。以前に来た時の記憶では、ランプ小屋はホームにあったはずでしたが、移築したのでしょうな。
半田にはミツカンの本社があり、ミュージアムが併設されていますので徒歩で向かいます。
基本予約制の施設で、この日は休日でほぼ満員でした。2時間後に空きがあると言われたましたが、そこまでは待てないので、今回は見送りとなりました。
半田駅に戻り、ホームから西方を眺めると立派な御屋敷が隣接しています。ミツカンの中埜家の豪邸らしいです。知多半島は、お酒やお酢、そして味噌醤油と醸造業で繁栄した地であると理解できます。
大府駅まで戻って来ました。
往路で見かけた太平洋セメントのホキを見つけたました。碧南の火力発電所から出る焼却灰を藤原の太平洋セメントまで送り、帰りは炭酸カルシウムを運んできて、発電所の排ガス対策に用いるそうです。
大府駅から下り電車に乗り、金山で下車します。
ここから中央線の区間快速で多治見まで向かいます。快速と言っても県境の2駅通過するだけですが。
いくつかのトンネルで県境を超えて多治見駅に到着。
ここで太多線に乗り換えます。
岐阜駅までは行かず、美濃太田止まりの列車です。
美濃太田で岐阜行きに乗り換えて岐阜駅に到着。
美濃太田から岐阜まで自由席特急券が320円なので、タイミングが合えば特急ひだ号に乗ろうと考えてましたが、時間が合わず諦めました。
岐阜からは大垣行きに乗車して今回のお出かけも無事終了です。