今から30年前の昨日にあたる1994年9月18日、東京で行われた試合結果です。
WBAジュニアバンタム級戦(現スーパーフライ級):
挑戦者李 炯哲(韓国)TKO9回2分55秒 王者鬼塚 勝也(協栄)
(6度目の防衛戦に、指名挑戦者の李を迎えた鬼塚)/ Photo: TBSテレビ
*歓声が悲鳴に変わっていった9回、鬼塚は李の連打にさらされ続ける事になりました。レフィリーが何度も試合をストップしようとする中、鬼塚はその都度反撃に転じます。しかしこの回も終わりに近づいた時、ついに主審は両者の間に入り試合終了を宣言。鬼塚は気を失った状態で立っていました。
常に苦しい試合を強いられながら、防衛記録と全勝記録を維持してきた鬼塚。今回、6度目の防衛戦に迎えたのは、指名挑戦者の李。17勝(14KO)4敗の戦績が示すように、高いKO率の持ち主です。李はKO/TKO勝利が多いとはいえ、決して一発屋ではなく連打で相手を倒す選手。鬼塚と李の両サイドから見て、お互いにかみ合うスタイルの持ち主と言っていいでしょう。
どちらかと言うとスロースターターの鬼塚ですが、この日は中々の出だしを見せました。基本に戻るかのように、その長身から左ジャブを丁寧に放っていきます。様子見だったかもしれませんが、そんな丁寧なボクシングを心掛ける鬼塚に対し、明らかに李は後れを取ってしまいました。
しかしそこは指名挑戦者。回を追う毎にエンジンのギアを上げていき、得意の乱戦に持ち込んでいきます。いつも通りの鬼塚の試合にように、どちらのペースとも言えない混戦が続く中、若干ではありますが王者がリードを保ちながら終盤戦に突入。「また、僅差の判定で鬼塚の勝利か」と思われた矢先、9回のストップ劇画訪れる事になりました。
(李(左)の連打にさらされる鬼塚)/ Photo: goo BLOG
試合後、網膜剝離のため、2年ほど前から右目がかすんだ状態だったと告白した鬼塚。この試合を最後に、現役生活に終止符を打ちました。
普段は自分の感情を表に出さなかった鬼塚ですが、網膜剝離についても一人で葛藤していたんですね。カラッとした性格ではなかったため、あまり好きなボクサーではありませんでした。しかし鬼塚が、1990年代前半の日本ボクシング界を牽引していたことは疑いのない事実です。