1990年代初頭からの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を挙げていっております。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。
ちょうど子供の日になりますが、前回からスーパーフェザー級の選手を紹介しています。ヘナロ エルナンデス(米/帝拳)がその一番手を勤めました。その安定王者に続く選手は同級でWBC王座を獲得したジェシー ジェームス レイハ(米)。決して強豪選手ではありませんでしたが、このスーパーフェザー級を振り返る時、常に自分の中で過ぎる選手です。
(今回の主役、ジェシー ジェームス レイハ。肩に掛けているのはWBCのベルト。手前はNABFx2とIBA)
レイハの通算戦績は47勝(19KO)7敗(5KO負け)2引き分け。KO率は33%とこの辺りの階級では低いといっていいでしょうね。ちなみに三浦 隆司(帝拳)のKO率は66%で内山 高志(ワタナベ)のそれは77%になります。
レイハの戦績を世界戦のみに絞ってみると1勝(判定勝利)1引き分け6敗(5KO負け)と散々なもの。しかしレイハを破った面々はガブリエル ルエラス(米)、アズマー ネルソン(ガーナ/両選手の第3戦目)、オスカー デラホーヤ(米)、コンスタンチン チュー(豪)、そしてアルツロ ガッティー(米)。しかもレイハとの対戦時、それらの選手が波に乗りまくっていました。レイハはまさに格好なやられ役に徹したわけですね。
初めて見たレイハの試合は1993年9月10日、米国・テキサス州で行われたWBCスーパーフェザー級戦です。その試合でレイハはアフリカの生んだ名王者ネルソンに挑戦。ネルソン陣営からすると、レイハは試合開催地であったサンアントニオ出身ながら、1階級下のフェザー級を主戦場としている安全パイ的挑戦者でした。蓋を開けて見ると案の定怖さのない選手。しかし接近戦を中心に巧さを発揮する好選手。王者ネルソンからすると、幸運な引き分け防衛で逃げ切ることに成功しました。
(レイハの出世試合、ネルソンとの第1戦)
この「ネルソン対レイハ」の初戦のメイン・イベントとして行われたのがWBCウェルター級戦、王者パーネル ウィテカー(米)対 挑戦者/WBCスーパーライト級王者のフリオ セサール チャべス(メキシコ)による究極の大一番でした。その試合でメキシコ人初の4階級制覇を目指していたチャべスですが、ウィテカーの技巧の前に大苦戦。チャべスは何とか黒星を避けることは出来ましたが、自身88戦目にして初めて白星以外の結果がその戦績に載せられる事になってしまいました。当時、現在と違い3階級制覇以上を達成することは非常の難しいということを嫌というほど教えられた一戦でした。
さて、話をレイハに戻します。レイハが世界王座を獲得したのは翌年5月に行われたネルソンとの再戦。序盤戦にダウンを奪ったレイハは、今度は明白な判定勝利を収め、自身ちょうど30戦目にして世界の頂点にたどり着きました。その「ネルソン対レイハ」の第2戦目のメインでは、同年1月にWBCスーパーライト級王座を失っていたフリオ セサール チャべス(メキシコ)が、宿敵フランキー ランドール(米)に苦戦の末負傷判定勝利を収め王座返り咲きに成功しています。振り返ってみると、1994年はボクシング界にとって大きな転換期でしたね。1980年代中盤から活躍していたチャべス、ネルソンが大きな陰りを見せると同時に、デラホーヤが当時はマイナー団体ながらもWBO王座の2階級制覇を足早に達成しました。
レイハの政権は長くは続かず、僅か4ヵ月後にはその王座から転落してしまいます。レイハから王座を奪取したのは勢いを武器にした好戦的なガブリエル ルエラス。ルエラスが放ったアッパーは、レイハのガードを突き破りとんでもないダウンを奪っています。漫画顔負けのパンチを放ったルエラスには驚きましたが、そのパンチによるダウンから立ち上がり、フルラウンド戦い抜いたレイハもたまげたものです。
その後レイハは常にスーパーフェザー級、ライト級、そしてスーパーライト級のトップクラスの選手たちとコブシを交えていきます。しかし残念ながら世界王座再獲得はなりませんでした。
王座から転落した翌年1995年師走、ニューヨークのリングに登場したレイハ。WBOライト級王座に君臨していたデラホーヤに挑戦しますが2回で一蹴されてしまいます。当時のデラホーヤは波に乗りまくっていました。半年後にはスーパーフェザー級に再降格し、WBCスーパーフェザー級王座に返り咲いていたネルソンにまたまた挑戦します。しかし当時のネルソンは異様なほど好調を維持しており、ネルソンから見て相性の悪いレイハにも手が負えませんでした。その後もう一度対戦する両選手ですが、対戦戦績はレイハから見て2勝1敗1引き分け。歴史に残る名選手と激闘を4度も行い、勝ち越したという事自体レイハにとって名誉であり、またその実力を示した事と言っていいでしょう。
(「金の卵」デラホーヤとニューヨークで対戦)
1998年11月にはIBFライト級王者シェーン モズレーに挑戦しますが、そのスピードとパンチの回転力についていけずに完敗。2003年1月には60戦近くの長いキャリアで唯一の海外遠征をします。豪州に乗り込んだレイハは3団体統一スーパーライト級王者コンスタンチン チュー(米)に挑戦。しかし両者の体格差、実力差は大きく完敗。2年後に再びスーパーライト級で世界王座に挑戦しますが、アルツロ ガッティーの強打に沈みます。その試合後、現役からの引退を発表しています。
(唯一の海外試合であるチューとの戦い)
レイハが獲得した王座(獲得した順):
NABFフェザー級:1992年3月3日獲得(防衛回数1)
WBCフェザー級:1994年5月7日(0)
NABFライト級:1997年3月22日(1)
IBAライト級:1998年7月11日(0)
レイハのプロデビューは1988年10月まで遡ります。プロ転向前には23勝5敗というアマチュアのレコードを残しているレイハ。身長165センチとフェザー級でも小柄の選手でしたが、接近戦で巧さを発揮する技巧派でした。その後2005年1月に行われた対ガッティー戦まで戦い続けたレイハ。世界戦では散々な結果を残してしまいましたが、元IBFフェザー級王者トロイ ドーシー(米)、元WBAスーパーバンタム、WBOフェザー級王者ルイ エスピノサ(米)、フロイド メイウェザー(米)の叔父の一人ジェフ、ガッティーと激戦を演じたアイバン ロビンソンとミッキー ワード(米)、そしてシドニー五輪に出場し、プロでの活躍が期待されていたフランシスコ ボハド(米)等実力者達にはきっちりと勝利を収めています。
(レイハの最終戦、対ガッティー戦)
レイハが獲得したWBCスーパーフェザー級王座には最近、日本の三浦 隆司や粟生 隆寛(共に帝拳)を就いています。もし三浦、粟生の両選手が同級で活躍していた頃のレイハと対戦した場合、どんな試合になるのでしょうかね。対戦カード的には三浦、粟生共にレイハとはかみ合うでしょう。ただ最終的には老獪なレイハの前に一歩及ばず(僅差判定負け)という予想をしますが、どうでしょう。
ちなみにレイハは現在、地元のサンアントニオで2つのボクシングジム(どちらかと言えばスポーツジム)の経営を中心に、ビジネスマンとして中々の手腕を振るっているようです。引退後も成功しているボクサーの話を聞くのはいいものです。
(レイハ氏が経営するジム)