老木桜(おいきざくら)
或る山寺に うつろ木のひとつなん 有ける
今にも枯るゝばかりなるが
さすが春のしるしにや 三ツ四ツふたつ つぼみけるを
浅ましの 老木桜や 翌(あす)が日に
倒るゝまでも 花の咲く哉
倒るゝまでも 花の咲く哉
小林一茶
数日前、実家の義姉(あね)から電話があった。「見たいといっていた枝垂れ桜が咲いたよ」と。ソメイヨシノは寿命が60年余りと言われているようだが、実家の枝垂れ桜は植えてから40年ほど経つらしい。僕が家を出てからすでに45年以上が経つが、この枝垂れ桜が咲いたのを見たことがない。
義姉の話によると、地面に付くほどに垂れ下がっていた枝も短くなり、そろそろ枯れかかっているようだという。このところの悪天候で、今年も見に行くことを半ば諦めていた。
ところが、朝になって天気予報も外れ、晴れ間が見える。この枝垂れ桜も僕も老木である。今日を逃したら見る機会がなくなるかもしれない。そこで急いで実家に電話して出かけることにした。
この枝垂れ桜が寿命が近いのか、或は他の理由なのかわからないが、それでも最後の力を振り絞っているのだろうか、春のしるしとばかりに青空に向かて、
倒るゝまでも花の咲く哉である。
実家の近くで犬の散歩コースの神社には、散り始めてはいるが見頃の桜が盛りだという。その神社の先には、子供の頃によく見た墓地の桜もある。実家からほど近いところに住む実姉を誘い、義姉と3人で墓参りを兼ねて、花見としゃれ込んだ。
神社は寄合などにも使う集会所があり、桜が咲く頃の墓地と共に、子供の頃の遊び場でもあった。都内の桜は先日の強風によりほぼ散ってしまったが、ここの桜ははらはらと風に舞いながらも、まだまだ頑張って咲いていた。
墓地の中は花びらの絨毯を敷き詰めたようにピンク色に染まり、初夏を思わせるような暖かさに、春のしるしが残されていたのだった。