勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

大切なもの

2007-08-31 03:36:49 | Weblog
☆朝日新聞のコラム「ひととき」から☆

 夏休みにでかけた長野県安曇野のガラス工房で、小6の息子が「吹きガラス体験」をした。体験料3,500円は少し高いかな、とも思ったが、息子は自由研究のテーマにしたいというし、自分で作ったガラスのコップで清涼飲料水を飲みたいとのこと。この先もずっと使えるので、やらせてみた。

 工房の中はガラスを溶かす火を燃やし続けているため、すさまじい熱さだった。汗だくになりながらも、息子はうれしそうに色や形を自分で決め、スタッフの人に助けられながら、世界に一つだけの自分のグラスを作った。

 作品の受け渡しは次の日だ。待ちきれず、朝一番で受け取りに行った。売り物と同じように、初めてのガラス作品を箱につめてもらい、誇らしげに持っていたのだが、トイレに入る際、うっかり洗面台の上に置きっぱなしにしたらしい。出てきたときにはもうどこにもなかった。

 息子は目にいっぱい涙を浮かべながら、通る人たちに「僕のグラス知りませんか」と聞いて歩いた。その姿を見て、彼のうかつさを責めることはできなかった。工房の人に、もしも見つかったら連絡を、と頼んだが、今も連絡はない。箱を開ければ明らかに素人の作とわかる。おおぶりのいびつなグラス。持って行った人が、せめて大切に使ってくれたらと願うばかりだ。

-神奈川県二宮町 石井明美さん-
 

 悲しい夏休みの思い出になってしまった少年の気持ちを思うとき、胸が痛むのは、歳をとった証拠なのか。

 他人にとってはなんの価値がなくても、その人にとっては、宝物のようなものがある。それは思い出かもしれないし、高価ではない形見の品かもしれない。家を出て独り暮らしをはじめたときに見せた母の涙かも知れない。お揃いで買った、小さくなったセーターかもしれない。二人で歩いた銀杏並木、旅行に行った思い出の地。だれもが持っている自分だけの宝物。

 大切な宝物を失ったとき、その価値の大きさに改めて気付く。そんな宝物を失ったこの少年の悲しみの涙、癒されるのはいつの日か。

 暑かった夏が終り、風に秋を感じるとき、人は感傷的になる。失ったものが戻ったとき、人はそれをより大切にするだろう。

 眼にいっぱいの涙に消えた「僕のグラス」が、この少年に戻って来ることを願う。

二人連れ

2007-08-30 01:20:48 | Weblog
 猛暑も一段落し、夏休みも大詰めを迎えた街角の仲良し二人連れ。友達同士か兄弟か。塾にでも行くのだろうか、かわいい後姿に思わずシャッターを切る。
写真を撮らせてもらったことを告げると、手を振って公園横の教室に消えていった。
 
自転車の少年達の夏休みは、どんな思い出が詰まっているのだろうか?
 
 サラリーマン風の二人連れ、上司と部下か同僚か?一人は暑さに上着を脱いだ。  
 その二人とすれ違った、おしゃべりに夢中の女の子。やはり大きなバッグを提げて、何が入っているのだろう。

 何故かみんな微笑ましい二人連れ。欲と二人連れの僕にとって、夏の終わりは寂しいけれど、幸せそうな二人連れにちょっとうれしい一日でした。 

旱天の慈雨

2007-08-29 01:31:11 | Weblog
 まとまった雨も降らず、猛暑が続く毎日に少し辟易していたが、夜になって激しい雷雨。これを旱天(かんてん)の慈雨というのだろうか。期待した皆既月食を見ることはできなかったが、開け放した窓からは、涼しい風が吹きこんでくる。

「なにも期待しないという覚悟で生きる」

 私たちは「泣きながら」この世に生れてきた。私たちは死ぬときは、ただ独りで逝く。恋人や、家族や、親友がいたとしても一緒に死ぬわけではない。人はささえあって生きるものだが、最後は結局ひとりで死ぬのだ。

 どんなに愛と善意に包まれて看とられようとも、死とは自己の責任で向きあわなければならないのである。

 だから親は子に期待してはいけない。子も親に期待すべきではない。人を愛しても、それはお返しを期待することではない。愛も、思いやりも、ボランティアも、一方的にこちらの勝手でやることではないか。そう覚悟したときに何かが生れる。

 何も期待していいないときこそ、思いがけず他人から注がれる優しさや、小さな思いやりが≪旱天の慈雨≫として感じられるのだ。そこにおのずとわきあがってくる感情こそ、本当の感謝というものだろう。親切に慣れてしまえば感謝の気持ちも自然と消えていく。だから慣れないことが大切だ。いつもなにも期待しない最初の地点に立ちもどりつつ生きるしかない。

 だから夫は妻に期待すべきではない。妻も夫に期待すべきではない。愛情も家庭も、「老・病・死」するものである。自然に持続することを無意識に期待するのは、間違っている。

-五木寛之著・「大河の一滴」から-
 
 親の愛は無償という。人は人を愛したとき、愛の見返りを望む。それはその人を愛したのではなく、その人を愛した自分を愛しているだけ。本当の愛は愛する人の幸せを望むこと。そう覚悟したときに何かが生れる。五木寛之さんが大河の一滴の中でいう、無償の愛をこう理解する。

 大辞林によると「旱天」とは、日照り、夏の空をいい、「旱天の慈雨」は、日照りの時のめぐみの雨という意味で、待望していたことの実現、苦しいときの救い、とある。

 何かが生れたとき、そこに旱天の慈雨をもたらし、心が安らぐ。妻に夫に何かを期待するのは間違いだという。

 今宵の雨は、そんな崇高な愛に出会えるような涼やかな風を運んできた。あなたは愛する人に何を期待しますか?本当の愛に出会ったならば「無償の愛」を捧げてみませんか?

裸になった小便小僧

2007-08-27 16:45:55 | Weblog
 納まらない猛暑に浜松町駅の小便小僧もついに裸になった。裸になった小便小僧はどこへ行く。海に行って泳ぐのだろうか、それとも沖でイルカに乗った少年か?
 実は今日27日、小便小僧の衣装替えが行われていた。毎月行われる衣装替えは、港区の手芸ボランティアグループ「あじさい」のメンバーの方々によって行われている。
 メンバー4人の緻密な作業は、1時間半に渡って行われ、第三管区海上保安部による、海難事故を防ぐための自己救命策確保キャンペーンの一環として、小便小僧のライフジャケット着用姿が完成間近。
 衣装替えが済んだスタッフの皆さんの記念撮影は、第三管区海上保安部の方と一緒に、はいチーズ。おつかれさまでした。
 出来立てホヤホヤの小便小僧の勇姿は、多くの人のカメラに収まって、きっと喜んでいるだろう。
 マリンレジャーの事故を防ぐため、海上保安庁は事故救命策の3つの基本を呼びかけている。

・ライフジャケットの常時着用
・防水パック入り携帯電話の所持
・海のもしもは118番

 まだまだ暑い今年の夏、人生に溺れそうな僕に、どなたかライフジャケット投げてくれませんか?

美女に熱中症

2007-08-26 00:35:04 | Weblog
 浅草が熱く燃えた。夏の終わりに熱く燃えた。サンバで熱く燃えた。美女で熱く燃えた。よってまた熱中症になった。
 美女で溢れた浅草サンバカーニバル、今年で27回目だという。激しいサンバのリズムに乗って、暑い夏をさらに熱くする踊りのパフォーマンスに言葉は要らない。裸の美女達をゆっくりご覧ください。殿方は熱中症にご注意を。ご婦人方へのサービスも用意しましたので、ご安心ください。
 猛暑の中、50万人の人出は、5時間にわたる美女の熱き舞に魅了されたのでした。

蹉跌

2007-08-25 05:05:23 | Weblog
 ふと洩らした心の蹉跌、その呟きに思いもよらぬ多くの励ましと、慰めの言葉をいただき、皆様のやさしい心に触れ、勇気づけられました。つまずいたり、転んだり、悲しんだり、よろこんだり、自信に満ちたり、畏れたり、挫折したり、それが人生。

◇ まなび ◇

本を
たくさん
頭の中に

あるばむを
一冊
胸の中に

そして

出来るなら
天国を
心に深く

わたしはもちたい

くるかもしれぬ
独りの時のために

-谷川俊太郎さん-

 一日一つの感動を求めて始めたこの日記に、また一つの感動が記された。そのひとつひとつが心のアルバムの一ページに追加され、皆様に勇気づけられた今日の日と、アルバムに刻まれた思い出を大切に、そのアルバムを胸に抱き、明日への「のぞみ」に飛び乗って、再び走る人生列車。くるかもしれぬ独りの時のために。

 一瞬が連なって一日となり、一年となり、一生となるのです。きのうと同じように過ごした今日であっても、きのうはきのうの一度きり、今日も一度きりの今日なのです。これほどかけがえのない今日を、失敗を恐れて無為に過ごすのは、あまりにもったいないではありませんか。

-日野原重明さん ・ (生き方上手から)-

落日

2007-08-24 05:31:39 | Weblog
 残暑というには厳しすぎる暑さが続く毎日、数日前から熱中症になった。心の熱中症である。不器用な僕は、一つのことに熱中すると他が見えなくなる。中途半端が嫌いな僕は、完全を追い求める。身の丈に合わない、より良いものを追い求め、結果挫折するのである。熱中度が高ければ高いほど挫折の反動は大きい。数日間ブログに集中するエネルギーも消え失せた。

 昨日23日は処暑だったそうだ。立秋の15日後の8月23日ごろがその日に当たるという。処暑は暑さがやむという意味があるらしい。処暑を前にして心の熱さがやんだ。いや、挫折したのである。

 どんなに暑い夏もやがて終わり、秋が来る。昇った太陽もやがては沈み闇になる。夢はいつかは覚めるもの。人が見る夢は儚い。夢には暗いという意味があるらしい。【人+夢=おろかな人】と漢語辞典にある。

 会津には身不知(みしらず)柿というのがあるらしい。渋柿なのに、実がたわわに付き過ぎて、自分で枝を折ってしまうことからその名が付いたという。物事に熱中して熱くなるのもよいが、身の程を知らないと挫折がある。世の中に完璧はないのだから。

ペコペコの作法

2007-08-21 11:00:37 | Weblog
 僕の好きなコラムニストの一人に天野祐吉さんがいる。テレビなどでコメンテーターを務めるときの彼は、他の人の意見を黙って聞く。そして最後に風刺の効いた意見を一言。そのスタンスが魅力なのだ。討論などでは他人(ひと)の意見を押しのけてしゃべりたい輩が多い中で、彼の無言の姿勢はそれだけで存在感があり、かえって雄弁に見える。

 複数の人との会話(議論)でこの手法は効果的と思われる。議論白熱のとき、一人だけ黙っていると、この人は何を考えているのだろうかと気になるものだ。

 朝日新聞に【CM天気図】というコラムがある。天野祐吉さんが、テレビCMを風刺の効いた見方で解説してくれる、楽しみなコラムの一つである。今日の記事を紹介します。

◇ ペコペコの作法 ◇

 なんにせよペコペコするのはよくない。わけもなく威張るのよりはいいが、何かというとペコペコと頭を下げるのはよくないというか、みっともない。

 とはいえ、仕事をしている人ならだれでも、たとえば取引先にペコペコしなければならないような目に、一度や二度は合わされる。それもこっちが悪いわけでもないのに、である。そんなときは腹も立つし、自分が情けなくなるけれど、長いものには巻かれろ、ペコペコすることで解決するのも、浮世の知恵ではあるだろう。

 だが、渡哲也さんのようなオトナが、取引先に一人であやまりに行くような場合はそれですむけれど、南海キャンディーズのしずちゃんみたいな若い部下を連れてあやまりに行くと、そうはいかないこともある。

 げんにその日、取引先の部長の前でペコペコしている渡さんの横に突っ立ったまま、しずちゃんはこう言うのだ。
「そんなペコペコせんでええやないですか」 
それどころか、取引先の部長を指して、こうも言い放つ。
「さっき言うてたやないですか、悪いのはコイツやって」

 さて、ジョージアのこのCMを見て、あなたはどう感じるだろうか。
 ①スカッとした。こっちが悪くもないのに、ペコペコするのは卑屈でみっともない。いいぞいいぞ。
 ②カチンときた。個人的感情で会社に不利益を与えるのは言語道断。許せん。
 ③ヒヤヒヤした。たとえ正しくても、時と場所をわきまえないのは、社会感覚の欠如でしかない。困る。
 ④暑くて何も考えられない。寝る。

-コラムニスト・天野祐吉さん-

 あなたの答えは何番ですか?僕の答えは ◇④暑くて何も考えられない。寝る。◇ です。それにしてもこの暑さ、黙っていれば涼しくなるだろうか?

みちびきまつり

2007-08-20 00:26:28 | Weblog
 浅草の観音裏柳通りにある、みちびき花の辻商店会で花の道・花の舞と題して19日「みちびきまつり」が開かれた。
 この通りには、三業組合の事務所・見番があり、多くの芸者さんたちが行き来する通りでもあり、浅草の隠れた名所でもある。浅草名物植木市もこの通りで開かれる。
 見番前には特設ステージが設けられ、お座敷でなければ見られない芸妓さんたちの芸をはじめとする、数々のパフォーマンスが繰り広げられた。
地元の小学生達による「よさこい踊り」

櫻川ぴん助社中の「かっぽれ」
江戸の情緒を今に伝える「新内流し」

そして圧巻は、日が暮れてから行われた、きれいどころによるお座敷芸の数々。

 フィナーレは、浅草芸妓連が「花の道、花の舞」をテーマにした創作舞踊を披露し、見物人も巻き込んで花の道いっぱいに繰り広げられた踊りの輪で幕を閉じた。
浅草は、裏通りが熱く燃えている。

アンケート

2007-08-19 00:03:45 | Weblog
 数日前、こんな封筒がポストに入っていた。切手が貼られていないところをみると、郵送されたものではない。「ソーシャル・キャピタルと健康」耳慣れない言葉である。

 振り込め詐欺などをはじめとして、怪しげなメールやDMが多い昨今、PCや携帯には毎日迷惑メールが殺到する。この封筒も一応疑ってみる。中を開くとアンケートである。

 本調査は、わが国においても「ご近所」などの居住地域における社会関係の質が、どのように健康に影響をおよぼすかに関して検証を行うことを目的としております。また本研究は、その実施財源として公的な研究助成を受けております。

 また本調査は、東京23区にお住まいで、世帯主およびその配偶者の方、約90,000人を対象に、ご意見をお伺いする内容となっております。


 これだけ読んでも何のことやらさっぱりわからない。アンケートの内容は、「私は、この近所の一員であると感じる」「ご近所づき合いは、大切である」などに回答するたわいのないものである。個人情報としてそれほど重大なことではなさそうだ。

 先日お伝えした不正請求メールのように、詐欺の手口は年々手が込んでくる。銀行を装う詐欺メールが頻発しているという。「あなたの口座に不正アクセスがありました。残高を至急確認してください。確認はこちらのリンクから」というメールが届く。リンクをクリックすると、IDとパスワード、暗証番号を盗むため、銀行そっくりの偽ウェブサイトが表れるという。このような詐欺メールにご注意を、と呼びかけている。

 ソーシャル・キャピタルについても調べてみた。これは詐欺などの不正なものではなさそうである。東京23区にお住まいの皆さんにも、このようなものが届いているのでしょうか?ちなみに、東京23区の世帯数は400万世帯あまりだそうです。

 我がPCには、昨日も今日も不正請求メールが入った。開封せずに削除したが、非常に不愉快である。 何事も疑ってかからなければならない世の中、困ったものだ。

夢で逢いましょう♪

2007-08-18 03:47:22 | Weblog
 連日の猛暑がニュースを賑わすこの数日。午前零時を過ぎたころ、開け放したベランダから甘い香りを乗せた一陣の涼風。わぁ~、雨だ。久しぶりの雨の音。
 暗闇のベランダに咲く白い花、部屋の灯りに照らされてジャスミンが甘い香りを運んでくる。程なく雨は止んだけど、甘い香りと涼風は、今宵の眠りを夢に誘ってくれるだろう。今宵はあなたと夢で逢いましょう♪

恋の熱中症

2007-08-17 04:10:07 | Weblog
 テネシー・ウィリアムズ原作、エリザベス・テイラー、ポール・ニューマン主演の映画「熱いトタン屋根の猫」は1958年の作品。今から50年近く前の映画である。

 満たされない愛の焦燥を、熱いトタン屋根に追い詰められた猫にたとえ、映画は様々な愛の形を描いている。

 猛暑に熱せられた日本列島は、ついに16日、過去の最高気温を更新した。朝から30度を越える暑さは午後になってさらに上昇し、岐阜県多治見市で40.9度を、続いて埼玉県の熊谷市でも同じく40.9度を記録したと、テレビではニュース速報がテロップで流れた。まるで熱いトタン屋根の上にいるようだ。

 過去の最高記録は1933年7月に山形市で記録された40.8度で、74年ぶりの更新だという。ちなみに世界最高気温は、1921年7月8日イラクのバスラで記録した58.8度だそうだ。こんなとき猫はどうするのだろうか?

 各地で熱中症で倒れる人が続出しているようだが、エアコンもつけず、扇風機の風だけで凌ぎ、この暑さを楽しむ僕は変なのだろうか?断っておくがエアコンがないわけではない。(笑)

いっそトタン屋根の上の猫のように、灼熱地獄に堕ちて恋の熱中症にでもなってみようか?

鬼の思い

2007-08-16 07:35:29 | Weblog
この子をお助け下さい
どなたか子どもが欲しい人に養子となって
とても健康な子です
<>
マウスオンでご覧ください
 
 東京銀座のデパートのベビー休憩室に1歳前後の男児が置き去りにされた。ベビーカーの中には手紙が置かれていたという。


 台東区入谷には「恐れ入谷の鬼子母神」で有名な安産や育児の神、鬼子母神が祀られている真源寺がある。鬼子母神は、もと幼児を食う悪女であったが、釈迦に自分の末子を隠されて親の心を知り、仏教に帰依したという。

 子育ての善神になったとして、入谷鬼子母神の鬼にはツノのない『鬼』の字が使われている。以前このことを取り上げたところ、ブログの友「はぐれ雲」 さんから、ツノのない『鬼』は『思』という字に似ているとのコメントをいただいた。

 どのような事情があったのかは計り知れないが、わが子を棄てなければならない親の心には、どんな「思い」があったのだろうか?

熱き夜明け

2007-08-15 07:07:17 | Weblog
寝苦しい早朝にカラスの鳴き声で目が覚めた、まだ夜明け前。

しかし、早起きは三文の得という。こんなきれいな夜明けが見られるのだもの。

 世の中が熱い、今日も昨日よりさらに暑い猛暑日になるという。熱闘15回、引き分け再試合となった高校野球も熱い。終戦の日の8月15日。あの日も熱い夏の日だったという。暑い夏、僕の心も熱く燃えている。

シャル・ウィ・フラダンス?

2007-08-13 23:10:14 | Weblog
 日本列島灼熱地獄。猛暑に見舞われている列島各地では、今日13日、全国70箇所以上が猛暑日になったそうだ。そんな日は首にレイを掛けてフラダンスでもいかがでしょう。
 我が店、ホール新世紀では「トロピカルパーティー」と銘打って、アロハやムームーを着てのダンスパーティーが催された。
 カトレア会によるフラダンスのショーもあり、会の主催者・伊藤弘美先生によるフラダンス講習が行われ、
 会場いっぱいのお客様と共に、腰をふりふり汗をかきながら、シャル・ウィ・フラダンス?
 会場には、いつもコメントをくださるコスモスさんをはじめ、正子さんの姿もあり、楽しいひとときがあっという間に過ぎていった。
 コスモスさんと僕が掛けて踊ったレイは持ち帰り、彼女にいただいた手作りピエロの首に掛けて部屋に飾り、熱帯夜を凌ぐことにした。