勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

6メートルの回想   2/3

2005-03-31 22:30:44 | Weblog
前ページのつづき 
 極刑囚は、いつ自分の執行が行われるか、針のむしろに座る思いで毎日を過ごしている。
夕方、食事の時間に鑑雑が食事を配布する食器の音を聞くと、ホットする。 その日一日は自分の命が永らえたことに、安堵を覚える。 しかし、次の日はどうなるかは解らない。
拘置所内では、極刑囚だけはペットのインコを飼うことを許されている。 命を慈しみ、生き物をかわいがる事を教え、命の重さを解らせるためである。 しかし、自分の執行の当日、自分が飼っていたインコをかごから出して逃がしてやる。 それはまるで、自分の命を飛んでゆくインコに託すかのように。
居房から出された谷山康夫は、舎房西側の出口から連れ出され、普段は誰も通らない、西側の階段を下り、一階の一番奥の棟屋に連行される。 鍵を開けて入ると、そこは壁際に仏壇があり、その横に教戒師が立っていた。 教戒師は谷山康夫の顔を見ると言った、「お別れですね、此処で仏様に手を合わせてください。」 谷山康夫が何か言おうとしたが、口をぱくぱくしているだけで、声にはならなかった。
「何か言い残すことは有りませんか。」
合わせていた手を下ろした谷山康夫に、教戒師が抑揚のない声をかけたが、谷山は茫然自失したような顔をして、教戒師の顔をを眺めただけだった。
連行職員が谷山康夫の両手に、後ろ手錠をかける。 谷山の手首に、ヒヤリと冷たい感触があたった。 同時に他の職員が、谷山康夫に目隠しを施すと、後ろのアコーディオンカーテンが開けられた。 カーテンの向こうは、太いロープが下がった執行室であったが、すでに谷山康夫の目には入らない。
死刑執行室には、拘置所長、管理部長、保安課長、警備隊長、検察事務官(本来は検察官と規定があるが、実際には検察事務官が立ち会う)裁判所事務官(これも本来は裁判官となっているが、実際には事務官が立ち会う)が立会人として傍らに息を潜めて並んでいた。
部屋の中央には、二人の刑務官が待機している。 一人は、降下式の床の所まで歩いてきた谷山康夫の首にロープをかける係り、もう一人は、谷山の両足に手錠をかける係りであった。
谷山康夫は、目隠しをかけられて、後ろを向かされ両側から、連行の職員に支えられるように、死出への一歩を踏み出した途端に、腰が砕けて歩けなくなった。
谷山康夫が教戒師に言われて、仏壇に手を合わせたその場から、死刑の執行が行われる降下式床の所まで、約6メートル。 この6メートルが、谷山康夫には、とてつもなく長く、そして又とてつもなく短い物に感じられた。
谷山康夫が仏壇の前で手を合わせたときから、谷山が犯した犯罪の全てが、拘置所職員の手によって読み上げられていたが、谷山の耳にはそれすら入らなかった。
 
『俺が最初に人を殺したのは、中学二年生の時だった。』
『ある日、学校から帰ると、女手一つで必至で俺を育ててくれた母親に、男がまたがっていた。』
『男に乗られている母親は、苦しそうな声を上げていた。』
『何も解らなかった俺はとっさに、母親を助けようと、側にあった鉄アレイで、男の後頭部を力任せに殴りつけた。』
『あのときは、ガツンと言う重い手応えと、すぐその後に、グシャッと言うつぶれるような手応えがあった。』
『男は何も言わずその場で崩れたが、男の頭から流れ出た真っ赤な血が、新鮮でとても綺麗だった。』
『その時は、子供だと言うことで、保護観察処分になっただけだった。』

『次に俺が人を殺したのは、それから半年後だった。』
『その当時、母親が何をしていたかを、同級生の話から知った俺は、女というものに、セックスというものに、興味を持ち、俺もやりたいという衝動を押さえることができなかった。』
『その機会は意外に早く来た。』
『学校の帰り、俺の前方を一人の女が歩いていた。』
『見ると、同級生の女だった。』
『その同級生の女の子を、ナイフで脅し山に連れ込んだ。』
『山の奥深くまで入ると、女は泣いていた。』
『そこで、女の服を下着まで切り裂いた。』
『女は、俺がナイフを使うたびに、怯えて体をびくっと、震えさせた。』
『女の体は、胸も未だ固くて、形良くとがって未成熟だったが、すばらしく綺麗な物だった。』
『俺は思わず、その女の胸に飛びつき、聞きかじりで得た知識で、夢中で女の乳首をなめ回した。』
『そのうち、女の小さな乳首は、コリッと堅くなり、突きだしてきた。』
『俺は女の、足の間に自分の体を入れ、慌ててズボンを脱ぎ、堅くなった物をとにかく、女の股ぐらに当てた。』
『あのころは俺も若かったなあ。何処に入れれば良いか。どうすれば良いか、解らずに、とにかく女の股ぐらに自分の堅くなった物を当てて、腰を動かした。』
『そのうちに、どうした拍子にか、俺のペニスが、女の中に進入した。』
『女の中は暖かく、そして堅く、俺の未だ成熟しきらないペニスでさえ、きついくらいだった。』
『女の中に挿入した俺は、有頂天で二度三度腰を動かしただけでいってしまった。』
『あのとき俺は、女の中に小便が出たと思った。』
『これも後で知ったことだが、あれが精液と言うものとは、そのときは全く知らなかった。』
『女から体を離した俺を見て女は、親と先生に言う、と大きな声で泣き出した。』
『俺は思わずその女の首に手をかけ、両手で絞めた。』
『力任せに絞めたら、親指の当たりでゴツッと何かが折れるような、つぶれる感じがあった。』
『後で知ったことだが、あれは舌骨が折れたものらしい。』
『そして、女は裸の体を痙攣させた。』
『その痙攣が次第に収まるまで、俺は女の首を絞めた手に力を込めていた。』
『その時は、自分がしたことがばれないようにと思い、夢中だった。』
『女の体の痙攣が収まり、人間が単なる物体に変わったとき、俺は震えていた。』
『命を俺の手で絶った事の興奮に。』
『何とも言われぬ快感が体中に走った。』
『その後しばらく、自分が殺してすでに物体となった女の亡骸を眺めていた。』
『亡骸は近くに穴を掘って埋めたが、これは未だかって発見されてないし、俺がやったとは誰も思ってない。』

『次は、四ヶ月後の事だが、又女とやりたくて悶々としていたとき、十歳くらいの女の子が公園で一人で遊んでいるのに出会った。』
『元々幼顔だった俺は、同じくらいの歳の子のような振りをしてその子に近づき、まんまとひと気のない山の方へ連れ出した。』
『しかし、このときは参った。』
『いざ服を脱がせ始めると、帰るといって泣き出した。』
『ナイフを使って、脅したが相手が小さすぎたのだろう。』
『怯えて、ますます泣き出した。』
『腹を立てた俺は、思わず側にあった拳大の石を拾って、女の子の頭を殴りつけた。』
『女の子はそれで動かなくなった。』
『その後、ゆっくり服を脱がせると、未だ胸も膨らんでなかった。』
『女の子の小さな足を広げて覗いてみると、そこには小さな割れ目があった。』
『そこに、俺のペニスが入るかどうかは解らなかったが、いきり立ってどうにもならなかった俺は、自分のペニスを小さな割れ目に無理矢理突き立てた。』
『最初はなかなか入らなかったので、唾を付けてねじ込む様に挿入した。』
『女の子のそこは、堅くて痛い位だったが、そのまま夢中になって腰を動かしてた。』
『その途中に、女の子が目を覚まし、火がついたように泣き出した。』
『女の子が、目を覚ましたのを知らなかった俺は、いきなり大声で泣き出されて慌てて、口を押さえ、そして未だ下半身でつながったまま、女の子の細い首を絞めた。』
『女の子の舌骨は小さかった。』
『ゴツっと言う音がして簡単に折れた。』
『あの独特の感触を残して。』
『女の子の体が痙攣し始めたとき、俺は不思議な感覚にとらわれた。』
『断末魔の痙攣の時、未だ女の子の中に入ったままの俺のペニスを、強く握るように締め付けてきた。』
『それが、えも言われぬ快感だった。』
『女の子の舌骨が折れ、自分の手の中で痙攣しながら死んでゆく一つの命を見る快感と、痙攣の度に自分のペニスを締め付けてくる快感が合わさって、俺は恍惚として射精していた。』

つづく
2005.03.31

6メートルの回想    1/3

2005-03-30 18:05:45 | Weblog
 これは作家の友人が書き下ろした、実在の死刑囚の話である。まだ本になっていないものだが、是非読んでいただきたい。

死刑囚・谷山康夫(仮名)が死刑執行当日、最後の礼拝が終り、6メートル先の、刑が執行される場所に行くまでの間の情況を描いたものであり、その内容は確かな取材と、体験を基に書かれており、読む者に問題提起をもしているものである。  

 「 6メートルの回想 」  著 * 双瀬 三歳 (ふたせ みつとし)
 
「主文、被告人を死刑に処す」
大阪地方裁判所第803号法廷での判決であった。
数年後、大阪高等裁判所1012号法廷では、「主文、被告人の控訴を棄却する」という判決が下された。すぐに上告をしたが、その結果は高等裁判所同様、「被告人の上告を棄却する」という判決文の送達があった。これで事実上の死刑が確定した事になる。
死刑が確定した事によって、今までの被告人という身分から、死刑囚という身分に変る事になる。

法律を見ると、死刑確定後3ヶ月未満に刑の執行を行なう、と書かれている
しかし実際には、3ヶ月以内に刑の執行をされる極刑囚(死刑囚の事をこう呼ぶ)はいない。何故なら、極刑囚達は自分の延命のためだけに、無駄な事とは知りながら、特別抗告を行い、それでも駄目ならば、再審請求を起こす。
通常、特別抗告や、再審請求を行なっている間は、刑の執行は行なわれない。
身分は既に極刑囚になっているが、訴訟手続きの最中は、原則として刑の執行が猶予される。たとえそれが、ただ単に本人の延命工作としてのものだけであったとしても。
極刑囚が一番神経過敏になるのは、総選挙後である。総選挙が行なわれ、法務大臣が変ると、極刑囚達は、自分の死刑執行書に印鑑が押されるのではないかと怯える。
その怯えの中、死刑囚が事件を起こすこともある。

極刑囚は、毎週教戒を行なう。
教戒とは、様々な宗教の宗教家達が来て、極刑囚に説話や、法話を行い、自分達が起こした罪の大きさ、深さを悟らせ、反省させる為のものであるが、その最中に極刑囚・谷山康夫は、隠し持っていたハサミで、隣にいた同じ極刑囚の喉を掻き切ったのであった。
谷山康夫は、ここで殺人事件、或いは殺人未遂事件を起こせば、それを事件として審理している間は、自分の刑の執行は行なわれないものと考えた結果の行動であった。

だが、谷山康夫の思惑は外れた。外れただけではなく、自分の死期を早める結果となったのである。
何故ならば、拘置所側は、それを事件として告発せずに、他の書類を作成した。
その書類は、大阪拘置所長名で法務大臣に当てた、谷山康夫の死刑執行嘆願書であった。
数日後、嘆願書を受け取った法務大臣は、死刑執行命令書に印鑑を押したのである。

死刑執行は、日本国内4箇所にある死刑場で行なわれる。大阪拘置所も、その死刑場がある施設の一つであった。死刑場は、大阪拘置所の奥まったところにある。
死刑囚や、死刑についてはいろんな作家が著にしているが、多少の誤りがある。
現在の死刑場は、平床降下式で、13階段など何処にもない。そして極刑囚は、自分の死刑が執行される直前まで、それを知る事はない。それは、囚情の安定と、発作的な自殺などを防止するためである。
死刑前夜に、ご馳走を食べさせたり、煙草を吸わせるような事もない。勿論家族などにも知らせはいかない。
家族に知らせが行くのは、刑の執行が終わってからである。
法務大臣が死刑執行命令書に印鑑を押すと、その時点でその書類がファックスで、死刑囚が収監されている、死刑場のある施設に送られる。
同時に、その判決を行った高等裁判所、及び高等検察庁に送付される。
その書類が拘置所に届いた時から、一番近い時間に死刑の執行が行われるのだ。
午前中に届けば午後一時から、夕方届けば翌朝十時、と言った具合である。

その日、拘置所の保安課及び、警備隊は朝から動きが激しかった。
昨日の午後遅く、法務大臣の印が押された、谷山康夫の死刑執行命令書が届いた。 執行は、今日の午前十時になる。
保安課、及び、警備隊職員が数名、通常勤務をはずれ待機している。
九時三十五分、待機職員が動いた。 三名は極刑囚の居房がある舎房の西側の廊下から入り、舎房出入り口で待機する。 連行指揮官以下三名は、中央廊下から舎房に入って、居房に行き、当日執行がある極刑囚を連行するのだ。
極刑囚は、職員の足音に敏感に反応する。 通常の運動、あるいは教戒、その他の行事の時以外の時間に、大勢の職員が舎房に入ってくると、自分の刑の執行ではないかと怯える。従って、できるだけ、足音を忍ばせ、最低の人員しか舎房内には入らない。
警備隊の四人の連行職員は、静かに谷山康夫の居房の前に立った。
「谷山、行くぞ」 これが執行の、最初の宣告であった。
居房内で、安座し読書をしていた谷山康夫の顔がゆがんだ。 しばし呆然としている谷山に、連行の警備隊員が無表情で次の声をかけた。 「称呼番号!」
「ひゃ、百二十、い、一番」
谷山の声が震えている。 谷山康夫は、ひどく緩慢な動作で立ち上がると、ふらふらと、まるで夢遊病者のように出口迄歩いてくる。
谷山康夫には、この2メートルほどしかない出口迄もが、ひどく長いものに感じられていた。 拘置所から支給されたビニールのスリッパが、思うように履けない。 連行の警備隊職員は、何も言わず無表情で、じっとそれを待っていた。
ようやく廊下に出た谷山康夫は、運動や教戒の時とは違って、反対の西側廊下の方へ連行されていく。
同じ舎房に入っている他の極刑囚は、一言も声を出さない。 ある者は居房の中央に座って、又ある者は、廊下側の窓辺に寄って、じっと息を殺している。 自分の執行の時と重ね合わせており、今日、自分が執行を免れたことにホットしているのであった。

つづく
2005.03.30

二つの判決に思う

2005-03-29 18:11:47 | Weblog
 
 短大生焼殺、2審死刑 こんな見出しで今日の朝日新聞の夕刊に載った記事である。
〖静岡県三島市で02年1月、女子短大生(当時19)が生きたまま焼かれて殺害された事件で、東京高裁は、無期懲役とした一審の判決を破棄し、死刑を言い渡した。〗


<女性殺害>共謀の女に懲役13年判決 これは昨日の夕刊の記事だ。
〖東京都足立区の朝日新聞販売店従業員寮で段ボール箱に入った女性(当時24歳)の遺体が見つかった事件で、殺人罪などに問われた元風俗店勤務の女(20)=当時19歳=に対し、東京地裁は28日、懲役13年(求刑・懲役15年)を言い渡した。菊池則明裁判長は「約1カ月間暴行したうえ死体を傷付けて隠すなど、人間性を欠いた残虐非道な犯行」と厳しく指摘した。〗

この事件の共犯の男は既に2審で、懲役13年の判決が下りて上告中である。
〖判決によると、女は、交際していた元新聞販売店従業員、本間直人被告(25)=2審で懲役13年、上告中=と共謀。本間被告が以前交際していた保険外交員の女性から生活費を得ようとしたが拒否されたため、03年12月から女のアパートに女性を軟禁し、暴行を加えて翌年1月に凍死させた。遺体は段ボール箱に入れて隠していた。〗(毎日新聞)
この被害者は、衣服も着せられず衰弱し、暴行を受けた挙句、熱湯をかけられ、凍死させられたのだ。

この二つの事件の判決の違いは何なんだ。人の命を自分達の身勝手な欲望や、都合だけで、残虐非道な手段で奪ってしまう。許せない! 

前者の判決は支持できる、当然である。しかし後者については、納得できない。何故にこんな輩(やから)を懲役13年にする。極刑でも許せないのに。この裁判長(菊池則明)覚えておいて選挙のときに(×)にしてやる。


作家の友人がいるのだが、彼が書いた『 6メートルの回想 』という実録の短編がある。
実在の死刑囚の、死刑当日の様子を描いた作品なのだが、リアリティに溢れ、考えさせられる作品である。
まだ活字にはなっていないのだが、本人の許可も取ってあるので、このブログで紹介しようと思う。
明日から、数回に分けて掲載するつもりでいるので、テーマが重くなるが、是非読んで頂きたい。そして、犯罪・命というものを一緒に考えてみようではありませんか?
 
2005.03.29  

茶飲み友達

2005-03-28 23:28:15 | Weblog
 コーヒーよりも日本茶が好きな僕にとって、このお茶道具は、欠かせないアイテムの一つである。 
根があまのじゃくの僕は、物を本来の目的でない使い方をするのが好きだ。
急須と湯呑みがちょうど良い具合に納まるこの籠は、しっかりした作りで、持ち運びにも便利で場所もとらない。どんな目的で作られたものかは知らないが、これで食後のお茶を飲むと、ホッとする。 
歳だね~。
以前紹介した南部鉄の急須も、それに挿した花を引き立ててくれている。
飽きたコーヒーカップも、植木鉢の鉢カバーにすると、どこに置いてもさまになるものだ。
特に使い古した食器やグラス類は、捨てるのが惜しい時、ペン立てになったり、眼鏡立てになったりもする。端切れを敷いてオーバーナイターにしてもいい。
ティッシュボックスの空いたものは、スーパーのビニールの小袋を入れてキッチンに置くと便利だ。
僕のPCのマウスパッドは、この絵の茶道具の下に敷いてあるものと同じ、ランチョンマットだが、結構使い勝手がいい。お勧めです。

2005.03.28

時の流れは残酷

2005-03-27 21:09:31 | Weblog
 タイトルに惹かれて 「帰ってきた昭和の名曲」というテレビ番組を見た。
青春の頃に聴いた、懐かしい歌手が出るというので、期待したのだが・・・
見るも無残、聴くも無残、あの日の懐かしい思い出を、粉々に壊されてしまった。
この手の番組、いつもそう思うのだが、見なければいいのに、懐かしさに巡り逢いたくてつい見てしまう。そして夢を壊されてしまうのだ。
「人形の家」で衝撃的な変身を遂げた、弘田三枝子/ビビアン・リーを髣髴とさせるその美しさに、テレビに釘付けになった思い出がある。今でもこの曲を聴くと、あの青春の頃を甦らせてくれるのに。
そして、中村晃子/ちょっと悪女的な雰囲気に惹かれたものだ。
黛 ジュン/脚線美にはたいして魅力は感じなかったが、独特の唄い方が魅力だった。
その他、何人か・何組かの、今は懐かしい歌手が出演したが、誰も彼も聞くに堪えない。あれはプロの唄じゃない。
あの頃のいい思い出を、そして夢を壊して欲しくないから、テレビに出ないでくれ。
そう思うのは僕だけだろうか?

見なければいいんですけどね。つい見てしまう僕が悪いのです。ごめんなさい。
懐かしさにすがっているおじさんの独り言でした。 

葉っぱのフレディ Ⅱ

2005-03-24 23:51:46 | Weblog
 葉っぱのフレディ はCDにもなってます。
朗読*森繁久弥 音楽*東儀秀樹 編曲*井上 鑑 このトリオによるCD、なかなかいい。
森繁久弥氏の朗読が、渋く、枯れた味わいを醸し出し、それ故説得力があり、東儀秀樹氏の音楽とあいまって、切ないけれど、癒しの世界へと導いてくれる。
静かな音で聴くと、心地よい眠りに付く事も出来、子守唄代わりもしてくれる、の一枚です。
2005.03.24

葉っぱのフレディ/いのちの旅

2005-03-23 23:35:51 | Weblog
 春に大きな木に生まれた葉っぱのフレディは、親友のダニエルや、アルフレッドたちと一緒に立派に育っていく。みんなと楽しく過ごしていた或る日、紅葉したフレディたちを冷たい北風が襲う。
そして雪の日の朝、フレディは迎えに来た風にのって雪の上に降りるのです。
フレディはダニエルから聞いた“いのち”ということばを思い出しました。 “いのち”というのは 永遠に生きているのだ ということでした。

優しい絵と、美しい自然の写真で構成されたこの絵本は、読む者をも優しくしてくれる。

編集者からのメッセージ  
 この絵本を、自分の力で 「考える」ことをはじめた 子どもたちと、子どもの心をもった大人たちに贈ります。わたしたちはどこから来て、どこへ行くのだろう。生きるとはどういうことだろう。死とは何だろう。人は生きているかぎりこうした問いを問いつづけます。この絵本が自分の人生を「考える」きっかけになることを祈ります。この本は アメリカの著名な哲学者レオ・バスカーリア博士が「いのち」について子どもたちに書いた生涯でただ一冊の絵本です。(田中和雄)


作者からのメッセージ
 この絵本を 死別の悲しみに直面した子どもたちと 死について的確な説明が出来ない大人たち 死と無縁のように青春を謳歌している若者たち そして編集者バーバラ・ スラックへ 送ります。
ぼくは一本の木であり バーバラはこの十年間かけがえのない葉っぱでした。(レオ・バスカーリア)

2005.03.23

美しき身投げ

2005-03-22 18:26:20 | Weblog
 我が家の椿もこのところ元気がない。まだ蕾も沢山あり、咲いてはいるのだが、一時のような勢いではないし、散るのも早い。蕾を多く付け過ぎて、木が疲れたのかな? 少し蕾を間引いてやれば良かったのかも知れないが、せっかく付けたのだから、とそのままにしたのがいけなかったのかも。

それにしても、椿という花は、何故あんなに綺麗なうちに散ってしまうのか。
散っても尚、凛としている。余りにも綺麗なままで散った花は、部屋に持ってきてそのままテーブルに置いたり、水に浮かせてやると、案外さまになるものだ。

葉っぱのフレディ は 一人になった雪の日の朝 迎えに来た風にのって枝をはなれ 空中にしばらく舞ってそっと地面におりていきました。 それは痛くもなく こわくもありませんでした。

花にも葉にも、それぞれに散り方がある。人もその一生を終わらせるときが必ず来る。出来れば、椿のように潔く、綺麗なままで終わらせたい、と誰もが思うだろう。椿の散り方を嫌う人もいるが・・・。 或いは、フレディのような散り方もいいかも知れない。しかし、どんな終わり方をするかは、自分では選べない。その時のために、今日がいい一日でありたい。

明日( 23日) は、彼岸の明け。散り方について、ちょっと考えて見ました。
「葉っぱのフレディ」 については、明日にでも紹介しようと思っています。
2005.03.22 

母の愛

2005-03-20 23:57:48 | Weblog
 お彼岸の墓参りを兼ねて、母の十三回忌の法要が実家で営まれた。
生意気で、口ごたえの多い僕は、明治生まれで頑固な父によく怒られた。
家の周りを、箒を持って追いかける父から逃げ回った事も度々。
雪の降る日に、裸足で跳び出し、何時間も歩き廻り、疲れて家に帰ったときは、足の感覚がなくなっていた事もある。
泣きながら、物置小屋で夜中まで過ごした事もあった。

そんな時、いつもかばってくれたのが母だ。
七人もいる子供たちに、分け隔ての無い愛情を注いでくれた優しい母。
他の兄弟もそうだと思うが、母からは、一度も叱られた記憶が無い。

30代の初めの頃、お店をやっていた時だ。嫌な事があり、母の声を聴きたくて電話した。
短い時間だったが、とりとめの無い話をして電話を切った。
店を休んで寝ていると、部屋の窓を叩く音。
開けてみて驚いた。そこにいたのは母だった。
僕の電話の声に何かを感じた母は、1時間以上もかかるのに、跳んできたのだ。

そんな母が息を引取ったのは、母の日も過ぎた、5月15日。
早朝に危篤の報が入る。急いで病院に駆けつけたが、既に意識は無く、看護婦さんによる人工的な酸素吸入により、辛うじて心臓が動いている程度だった。
先に行っていた姉達に促され、急いで母の枕元に行った僕は、「お母さん!祐二だよ、祐二が来たよ!」そう言って母に声を掛けた。
その時、既に脈拍も、血圧も、ゼロに近い母の眼から二筋の涙が流れ落ちた。
母の最後の涙を見たのは僕だけだった。

霊安室に安置された母に逢いに行くために、病院の庭に出ると、遅れて駆けつけた末の弟に出会った。間に合わなかった事を告げると、立ち止まって、思わず天を仰いだ弟の姿が今も眼に浮かぶ。

通夜のための着替えをしに家に帰り、部屋に入ったその時、突然大きな悲しみに襲われて、ベッドに身を投げ出して号泣した。そして言いようのない寂しさに襲われた。

母が逝ってから、急に元気をなくした父が、母の後を追うように他界したのは、それから1年後だった。
よく喧嘩もしていた二人だが、愛し合っていたに違いない。

あれから12年の歳月が流れ、二人の命を受け継いで、1歳3ヶ月になったひ孫が元気に愛嬌を振りまいていた。
2005.03.20

永代供養

2005-03-18 20:08:53 | Weblog
 彼岸の入りの昨日、友の墓参りに行って来ました。「平和霊園、飛天塚」という、永代供養のその墓は、巣鴨の染井霊園に隣接し、ソメイヨシノの桜はここが発祥と言われ、これからの季節、桜が綺麗でお花見にも適しています。
いまどきのお墓事情は大変な事もあり、身寄りのない人、跡継ぎのない人、将来の維持に不安がある人等、こちらにお世話になっている方も多いようです。
僕も、毎月友の命日のには、欠かさずお参りしていますが、何れはここにお世話になる事になっています。
お参りする人も絶えないので、いつもお花もいっぱいですので、寂しくはないでしょう。
それまでは、もう少し頑張りたいと思っていますが、残りの人生、悔いのないように一日一日を大切にと心掛けたいです。
帰り道、桜の蕾も膨らみかけていました。
2005.03.18 

いつでも会える

2005-03-17 12:12:13 | Weblog
 この本、ご存知だろうか? 絵本である。子供用に書かれたこの絵本、大人も充分感動出来る。
主人公は犬である。「 ぼくは、シロ。 みきちゃんのイヌ 」で始まるこの物語、最小限の言葉と、素朴な絵。それがかえって想像力を刺激する。
楽しく、幸せに暮らしていた二人に、別れが訪れる。みきちゃんがいなくなってしまうのだ。
悲しみに打ちひしがれている彼の耳に、何処からか彼を呼ぶ懐かしい声がする。
彼は言う 「 ぼくは、シロ。みきちゃんに会えた 」 「目をつむるとね、みきちゃんのこと考えるとね、いつでも会えるんだ ! 」
そう言って彼は、心の中で、みきちゃんと 『 いつでも会える 』 のだ。


愛する者との永遠の別れ、誰もが経験あるだろう。そしていつも思う。(ああしておけばよかった、こうしておけばよかった)と。
傍にいると感じなくなってしまう“有り難さ”。 もう一度考えてみませんか?
今日は彼岸の入り。いなくなってしまった愛する人に、会いに行く機会ですね。
2005.03.17

そして、別れ

2005-03-16 19:00:00 | Weblog
またまた、前のページの続き
 猫は芸をしないと聞きますが、頭のいい彼は、幾つかの芸も覚えてくれた。
 “お座り” と言うと、座って僕を見上げる。そして、“ゴンちゃん、お返事は!” と言うと、「ニャ~ォ!」と言うのだが、ほとんど声になってない。“お手” と言って手を出して、床をトントンと叩くと、片方の手をちょこん乗せる。そのまま、もう一方の手で同じ事を繰り返すと、もう片方の手も乗せようとして、前にこけてしまう。素直でドジで可愛い。
立ち上がって、胸を叩き、“ゴンちゃん!ポーンしよう” と言うと、僕の胸をめがけて、跳び上がってくる。しっかりと抱きとめて、「いい子だね~」と言って、頭を撫でてやると、嬉しそうだ。 

それらの芸を見た友人が言う 「ゴン!お前、そんなに芸をすると、サーカスに売られてしまうぞ ! 」 と言って脅かす。

ゴンは、綺麗好きでもある。濡れたところを歩くとき、足をあげながら、綺麗な場所を探して歩く。トイレも汚れていると、綺麗なところを探し、隅で済ます。トイレはいつも綺麗にしておかなければいけない。僕にとっても有り難い事だが。
あれ以来、一度も粗相をしたことはないし、汚した事もない。
しかし、風呂は大好きだ。暖かいお湯で身体を洗ってあげると、気持ちよさそうにしている。
だから、僕が風呂に入っていると、ドアーの外でじっと待っているのかな?自分も入りたくて。

掃除機の音も嫌いだ。掃除をしていると、部屋中を逃げ回る。掃除機の吸い込み口を彼の傍に向けると、1メートルも跳び上がる。腰が弱いので、高いところから飛び降りる事も出来ないのに・・・。 
ゴンちゃん、ごめんね!

そんな、可愛くて、愛らしい彼とも、別れの日が来た。

様々な事情により、お店を閉じる事になってしまったのだ。引越し先の部屋では、ペットを飼えない。
仕方なく、お店を手伝ってくれていた友人に、暫く預かってもらう事にした。いずれ引き取るつもりでいたのだ。
週一度、近くの公園に連れてきてもらい、デートをした。二度目のデートの後、友人から連絡があり、ゴンがいなくなったと言う。手を尽くして捜したが、見つからない。前の家にでも行ったのではと、近所の人にしたが、とうとう現われなかった。

もしも彼が、僕を捜しに行ったとしたら・・・ そう思うといたたまれない。
利口な彼の事、在り得ない事ではない。

自分を責めた。あんなに僕を頼りにしていたのに。なんて薄情な奴なんだ。
後悔もした。ペットの飼える部屋を探せばよかった。彼を手放すんじゃなかった。
今、思い出しても泣けてくる。

今でもペットは可愛い。飼いたいとも思う。でも僕には資格がない。それに、ゴンでなくては嫌だ。あんな可愛い奴はもういない。誰もが自分のペットが一番可愛いと思う。僕にとってもゴンが一番だ。
ゴンちゃん、愛をいっぱい、ありがとう! そして、僕を許してくれ! 
今、僕の部屋では、置物のゴンが僕を迎えてくれる。(上の画像)


2005.03.16

ゴン、それから

2005-03-15 00:21:00 | Weblog
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 春になると、彼も恋をする。暖かい日は表に出して遊ばせるのだが、塀の上にいる彼女に、盛んにプロポーズするが、彼女は知らん顔。いつも振られてばかりだ。 
彼は以前、高熱を出し、コタツの中でぐったりとなって、入院した事がある。幸い大事には至らず、迎えに行った僕の声を聴くと、姿が見えないのに病院の奥で僕を呼ぶ。しっかり抱きしめてあげると喜んで顔を擦り寄せてくる。
その時、獣医が言うには、彼は生まれながらのカルシューム不足のため、腰が弱く、身体も発育不良だと言う。その為か、恋人も出来ないのだ。身体に比べ頭が大きくて、ぬいぐるみのように可愛いのに・・・
走る姿も、腰が左右に揺れちょっと滑稽だが,それが可愛い。
可愛そうなので、お嫁さんを貰ってあげる事にした。
真っ白い、尻尾の長い可愛いお嫁さんが来た。「ルル」と言う名前を付けたのだが、彼女まだこども、ちょっとヤンチャだ。いつもビィービィー・ビィービィーと啼いている。
食事の時もビィービィー啼きながら、彼を押しのけて食べる。彼は、後ろに下がり、彼女の食べ終わるのを待っている。そこで改名した。『ビビ』と。

真っ白い毛に、ブルーの瞳。長い尻尾をピンと立てて、彼の後ろを歩く姿はとても可愛い。まだおっぱいが恋しいのか、彼のおなかに潜り、胸の辺りを盛んに吸っている。彼もおとなしく横になって、両手で抱きかかえ、されるがままにしている。吸われた胸の毛が、よじれてピンと尖っているのだ。どうなっているんだこの二人、いやこの二匹。
しかし、或る日彼女がいなくなった。今度は家出じゃなさそうだ。可愛いので、誰かが連れて行ってしまったらしい。帰ってくるのを期待したが、とうとう帰らなかった。

彼も、いつか忘れたようで、僕に甘える。僕がエレクトーンの練習を始めると、何処にいても跳んで帰って来る。そして、椅子に飛び乗り、僕の腿にもたれかかり、眼を閉じてじっとしている。
風呂に入っている時も、ず~っとドアの前で座って、じっと待っている。
休日に遊びに行こうと着替えをすると、必ずズボンに爪を立てる。僕のよそゆきのズボンは皆、彼の爪で糸が飛び出している。仕事で出掛ける時は知らん顔しているのに。
帰ってきて、ドアの新聞受けからそっと覗いてみると、ちょこんと座ってこっちを見ている。
部屋の前は他の人も通るのだが、僕の足音は聞き分けているらしい。或る日、留守番を頼んだ友人の証言によると、他の人の足音には見向きもしないのに、僕が帰ってくると玄関に跳んでいくそうだ。
部屋に入ってみると、エレクトーンの上に飾ってある、毛糸で作った耳の垂れた犬の人形が、部屋中に転がっている。 遊びに出掛けて帰ると、必ず部屋が荒れているのだ。仕事でいないときは、決してエレクトーンの上には乗らないのに。一人にされて、怒っているのかな?
そんな事も可愛くて仕方ない。

時々外で、いじめっ子の猫に追いかけられて、逃げ帰ってくるときがある。そんな時、その猫、殺してやりたくなる。

つづく
2005.03.15

猫が落とした、大粒の涙

2005-03-14 00:20:20 | Weblog
 若い頃、猫を飼っていました。30代初めの頃、脱サラをしてお店をやっていた時です。
店の前に停めておいた の前籠の中に、生まれて間もない子猫が捨てられていました。
飼うつもりもなかったのですが、可愛いのと、かわいそうだったのとで、小さなダンボールの箱に入れて、店の隅に置きました。
箱の角に両手を掛けてそこに顔を載せ、店の中を行き来している僕を、首を左右に振りながら眼で追いかけて見ているのです。
猫には余り興味のなかった僕も、その可愛さに部屋に連れて帰り、名前を 『ゴン』 と付けました。

それまで僕にとって、猫は皆同じ顔に見えていたのですが、人が皆 「この猫かわいいね~!」と言うので他の猫と較べてみると、確かに可愛い顔をしています。おまけに啼き方を知らないんじゃないかと思うほどおとなしくて、性格もいい。(飼い主に似ると言いますから?)
ところが或る日、布団の上に粗相をしてしまったのです。
懲らしめのために、と その夜、外に出しました。冬の寒い夜でした。
夜中にトイレに起きると、少し開いていたトイレの窓から中に入って、隅にうずくまっている彼を見つけたのですが、また外に出したのです。(なんて冷酷な奴なんだ、お前は!)
暫くして、そ~っと覗いてみると、玄関の側にあった箱に身を寄せていたので、もういいと思い部屋に連れて帰りました。
いつもそうしているように、僕の布団に入れて抱いてやると、もぞもぞと布団から出て行くのです。そして玄関の隅で身を丸めています。何度連れてきても、出て行ってしまうので、仕方なく、電気あんかを入れてやり、そこで一晩過ごさせたのです。( その時の彼、どんな気持ちでいたのだろうか ? )

次の日、店の事もあり、忙しく部屋を出入りしていると、外の階段で日向ぼっこをしている彼がいました。 通りすがりにあごに手をやり、「ゴンちゃん!」と声を掛けると、顔を背けます。そして、眼にいっぱい涙を溜め、僕の顔を見ると、その大粒の涙をポトリと落としたのです。

可愛そうに、と思いながらも店が忙しく、そのままにしていたのですが、その晩帰って来ません。
店を終えて夜中、彼の名前を呼び、泣きながら捜し歩きました。
口も利けない彼が、頼りにしていた僕に冷たくされ、悲しみに涙を流し、一人家出をしたのかと思うと、切なくて、悲しくて、可哀想で、自分を責めました。
とうとう、その晩は帰って来ませんでした。次の日も、次の日も、捜し歩いたのですが、何処にもいません。
悲しみに暮れていた数日後、向こうの方から僕を呼ぶように、啼きながら彼が帰ってきたのです。首にリボンを付けて。
僕は、嬉しさの余り、抱きしめて、ほおずりしました。そしてスーパーで、一番いい刺身を買ってきて食べさせました。

その日以来、決して彼を叱ることはしませんでした。眼一杯可愛がりました。あの粗相の時も、店で余った小魚の骨などを、たくさん食べさせていたのです。僕にも責任があったのです。
そして、前にも増しておとなしく、聞き分けも良くなり、元々性格のいい彼は、いつも僕と一緒に寝るのです。
僕が布団に入ると、頭から潜り込んできて、中でぐるりとひと回りして、顔を出す。そして僕の腕に頭を乗せて、仰向けに寝るのです。そんな猫、見たことありません。

つづく
2005.03.14

春の香り

2005-03-12 22:38:26 | Weblog
 昼の暖かさとは打って変わり、冷たい風にコートの襟を立てての 帰り道、何処からともなく匂ってくる沈丁花の香りに、春に呼び止められたような気がして、ホッとする。
春の沈丁花、夏のくちなし、そして秋の金木犀。みんな、その季節の訪れを感じさせてくれる、大好きな香りです。夏の百合も好きですが、今ではいつでも花屋さんで見かけます。
どうか、沈丁花も、くちなしも、そして金木犀も、いつでも花屋さんで買えるようにならないで欲しい。季節感がなくなるから。
我が家の沈丁花も、白い花を咲かせ始めました。
顔を近づけると、いい香りがしてきますが、部屋からその香りを楽しむには、もう少し時間がかかりそうです。

明日からまた、寒くなるそうです。風邪に気をつけましょう。
2005.03.12