勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

聞くは・・・

2009-01-31 20:57:09 | Weblog
 大通りに面したビルの1階、デザイン関係の事務所と思われる入り口の植え込みに咲く白い花。椿のようでもあり、山茶花のようでもある。
 あまり見たことのない花の美しさに足を止め、葉を見ると椿よりかなり細い。花の名を知りたくなった。
 事務所の入り口は、通りすがりの者を受け入れる雰囲気ではない。しかしそこは恥知らずの僕、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥というではないか。洒落た階段を数段昇り中に入る。
 「入り口に咲いている花がきれいなので、名前を伺おうと思いまして」。僕の問に、出て来たご主人が呼んだのは、奥様と思しき髪に白いものが混じった年配の品のいい女性。持ってきた数枚の紙片を見ながら花の名を教えてくれた。カタカナの覚えにくい名前に、ケイタイに一語一語確認しながら打ち込んだ。
 花好きと思われる奥様とひとしきり花談義。植え込みに植えられた植物にはかなりこだわりがあるようだ。突然のお邪魔に、早めに切り上げようとするが、次から次へと話が終らない。

 ある日植えたばかりの侘び助を引き抜かれて持ち去られたという。「ここは良くお年寄りが座って休んでいくの。もし、花の好きな人が持っていったのなら、それもボランティアと思えばいいの」そういって微笑んだ。

 家に帰ってPCで調べようと確認すると、打ち込んだ筈の花の名前がない。保存し損なったようだ。まっいいか、花の名前は忘れたが、人のやさしさに触れられたのだから。。。

春を待つ

2009-01-30 01:20:38 | Weblog
年が明けたばかりだと思っていたら、あっという間に1月も終ろうとしている。
 どんよりとした曇り空からは今にも雪が舞いそうな、寒々とした冬枯れの墨田公園では、春を待つ桜の蕾が膨らみかけている。

  『なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ』(伊勢物語)

◇名にしおはば いざ言問はむ都鳥 わが思ふひとは ありやなしやと◇
 隅田川に架かる言問橋の名の由来にもなった、伊勢物語の中で在原業平が詠った都鳥(ユリカモメ)も、北へ帰るのを忘れ、何を思うかひとり首をかしげて隅田の流れを見つめていた。

 「春のうららの隅田川 上り下りの船びとが・・・」と歌うには季節は早いが、過ぎ行く月日もまた早い。

無常ということ

2009-01-28 03:34:21 | Weblog
 小椋佳さんは『めまい』という歌うのなかで、「時は私にめまいだけを残してゆく」と歌っている。 
 日が暮れる時間も徐々に遅くなりはじめ、船が残したさざなみに影を落とす冬の夕日に、移ろう時の速さを知る。冷たい風が水面をわたる隅田川にも春の香りが漂い始め、暮れなずむ都会の一日が終ろうとしている。

 この世は、万物が生じ、存続し、変化し、やがて滅びる、という四つの現象が絶えず移り変わる。人間の力ではどうすることもできない無常の原理に、逆らわず心身を委ねることが生きるコツだと、兼好はいう。



だから 暮れなずむ海の夕凪よ
いかりをほどいてゆく舟の
心とどめて・・・

 「暮れなずむ」とは、日が暮れそうでなかなか暮れないでいるさまをいうのだそうだ。くれ惑う我が人生、「だから 小舟を運ぶ潮風よ 眠りにつこうとする愛を ゆりおこさないで」などと気取らなくても、またもうすぐ春は来る。

世界三大がっかり

2009-01-27 00:34:51 | Weblog
 ベルギーブリュッセルの小便小僧、デンマークコペンハーゲンの人魚姫、シンガポールのマーライオンの3名所を、世界三大がっかりというらしい。世界的に有名でありながら、その大きさなどで観光客をがっかりさせることから、主に日本でいわれるという。
 浜松町駅の小便小憎君は、ある冬の寒い日、子どもが手編みの毛糸の帽子を被せたのがきっかけで、手作り衣装を着せるようになったとか。今日の小憎君、青い帽子とマフラーがよく似合っている。

 1952年(昭和27年)10月14日の鉄道開通80周年を記念して、当時の新橋駅の嘱託歯科医・小林光氏より寄贈された平和と愛のシンボルの小憎君。

今日もホームに向かって元気いっぱい、電車の乗降客の心を和ませてくれている。

寒い夜は

2009-01-25 18:25:04 | Weblog
 二十四節気のひとつ大寒は、1月20日ごろ、および、この日から立春までの期間をいうそうだ。今が一年で一番寒い季節。土俵上では熱い闘いが繰り広げられ、終ってみれば引退を囁かれた、いや声高に叫ばれた悪役・朝青龍の涙の優勝で幕を閉じた。

 先日、スパーで見つけた、お兄ちゃんこと元横綱若乃花の花田勝さんの、温かそうな人柄を表わす顔写真に魅かれて買った煮込みうどん。賞味期限切れなど気にもせず、身も心も寒い夜はせめて腹の中から温まろうと、具だくさんの鴨だしうどんを作ってみた。
 鴨のだしが効いたこってりとしたスープで食べる鴨だしうどんは、ひとりでも温まることができる、寒い冬のささやかな抵抗でもある。嫌われ者の土俵上の悪役の抵抗も、皮肉にも角界を熱くさせている。独りであろうが、嫌われようが、寒い冬は熱いほうがいい。

怪電話

2009-01-22 20:37:49 | Weblog
 電話の話題で思い出したエピソードのひとつです。ユーモアのセンスがあり、楽しくてお茶目で、ちょっとドジなお客様がいた。折に触れていただくカードはいつもユニーク。
 イベント時などにいただたお祝いが、クマさんが持つバッグに入っていたりして、いつもニッコリ♪他にも数々の楽しいカードをいただいた。
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マウスオンでご覧ください

 ある日デモの出演に招待すると、「お祝いは何がいいかしら?花束はたくさんあっても困るでしょ?」との問に、「花束より札束がいいなぁ」と言った。僕の冗談は理解してくれる方である。

 当日いただいた熨斗袋の中身を見てびっくり。一万円札2枚に巻かれた帯には、自筆で「札束」と書いてあった。思わず爆笑。(^O^)/

 そのお客様、病気で亡くなって何年になるだろう。お葬式に参列した数日後、まだ携帯電話が今のように普及していない頃だった。ナンバーディスプレイ対応の我が家の電話が鳴った。表示された文字は、亡くなったその方の名前。ドキッ!として、一瞬凍りついた。あの世からの呼び出しか?気を取り直して電話に出る。面識のないご主人から、お葬式に出席したことへのお礼の電話であった。

 最後まで驚かせてくれたお茶目さが、今も保存してあるたくさんのカードを見るたびに、楽しい思い出として蘇ってくる。

友達の友達は・・・

2009-01-20 22:56:43 | Weblog
 仕事をリタイアして数年、携帯電話を持ったが、話す相手は奥様と、別々に暮す2人の子供、そして孫だけだった。最近やっとメールや、番号登録も覚えたというあるご主人。

 ご自身も面識のある、奥様の友達の電話番号を登録した。名前を「妻の友達」と登録したつもりが、間違えて「妻の友達の友達」と、「友達」の文言を二度打ち込んでいたらしい。
 ある日その奥様の友達から電話があった。表示された名前を見て憤慨しながら奥様に言ったという。「なんでお前の友達の友達が俺の電話番号知ってるんだ」。。。( ̄□ ̄;)

 落語の噺ではありません。あるお客様の実際にあった話です。 掛かってきた電話が「振り込め詐欺」なんて表示されたらいいのにね♪ おあとがよろしいようで・・・。

LDプレーヤー

2009-01-18 19:56:18 | Weblog
 LDをレーザーディスクとつぶさに答えられる方がどれほどいるだろうか?それほどマイナーになってしまったLDプレーヤー。
 映画などの映像をよりきれいな画像で見ることができ、またカラオケブームもあり「絵の出るレコード」と注目されたLDプレーヤー。しかし、家庭用プレーヤーは録画のできないなどの欠点もあり、普及率はビデオテープレコーダ(VTR)に遠く及ばなかった。

 レコードはCDに、ビデオやLDはDVDにと進化し、国内で唯一LDプレーヤーの生産を続けてきたパイオニアも、ついに生産・販売の中止を発表した。
 我が家のオーディオコンポは、パイオニアで揃え、CD/LDコンパチプルプレイヤー(画像右下)も搭載していた。今となっては骨董品かもしれない。それでもCDはよく聴くがLDはほとんど見ない。LDソフトも数枚あり、ライブラリとして個人的に大切なものもある。 

 アメリカのモダンダンス界の王者ともいわれ、何度も来日し僕も数回は見に行ったことがある「アルビン・エイリー舞踊団」。その迫力あるダンスに魅せられて公演会場で買ったLD。

 また、世界の3大テノールの夢の共演 として世界を感動させた、'94年ワールド杯サッカー決勝前夜祭のライブのLDも、大切なライブラリである。トリノオリンピックの開会式で『トゥーランドット』の「誰も寝てはならぬ」を歌った、あのパヴァロッティーも今は亡く、カレーラスもドミンゴも全盛期はとっくに過ぎて、今となっては3大テノールの共演は不可能となってしまった。

 PCをはじめとして、電気機器の発展はめざましく、アナログからデジタルへと代わった世の中、次々と現れる新しい機器に追いつくのがやっと。しかし、人と人との触れあいはいつまでも、温もりのあるアナログでいたいものだ。

子孫

2009-01-16 09:58:13 | Weblog
 この時期になると、花の少ない我が家のベランダを彩ってくれる花がある。大きな鉢のため、植え替えもできず、特別な世話もしないのに、毎年必ず真っ赤な大輪の花を付ける椿は、我が家に来てから20年ほど経つだろうか?
 この花の枝を一枝欲しいという人に差し上げたのは3年前。挿し木をして元気に育っているという話は聞いていた。
 そして数日前に携帯に送ってきた画像は、まだ小さな木に重たげに5輪もの花を付けた、我が家の椿の子孫である。昨年差し上げた数個の椿の実も芽を出しているという。

 己のDNAは、残すべきか、残さざるべきか?ハムレットのように悩んだわけではないが、幸か不幸か残せなかった僕。しかし、この椿のDNAは着実に育っている。

 花好きの姉の言うには、植物は好きな人に分けてあげると、いつかまた帰ってくることもあるのよ。と聞いたことがある。病気で長期入院のときも生き延びた椿。いつまで咲き続けてくれるだろう。

幸せとは・・・

2009-01-14 23:59:25 | Weblog
 学費も医療費も要らない、農業が就労人口の約9割を占め、国民の95%が現在の生活に満足し、幸せと感じているという国がある。

 贅沢はせず、国力は「お金」では無く、国民の笑顔を増やすこと、それが幸福感・GNH(国民総幸福量=Gross National Happiness)である、という考え方の国が、インドと中国の間の小国、ブータン王国である。(「世界ふしぎ発見」から)
 犯罪もない、ホームレスもいない最貧国ブータンの国旗は、世界一描くのが難しいらしい。そして、世界最年少の新ブータン国王は、我欲を持たず、国民の幸せを第一に考えているという。

 幸せとは、他人との比較ではなく、自分自身がそれを幸せと感じるもののようだ。豪邸に住まなくても、ベンツに乗らなくても、アルマーニの洋服を着なくても、身の丈に合った今の自分を、幸せと感じることができるだろうか?

 学費や医療費が無料ならば、定額給付金など貰わなくても幸せになれるかもしれない。ちなみに、『給付』とは財物を供給交付すること。『供給』とはものをあてがうこと。『交付』とは、授ける、与える、とある。つまり、目上の者から目下の者に与えるという意味である。我々が税金として治めたものなのに。。。

四丁目の夕日

2009-01-13 22:14:02 | Weblog
 今から50年ほど前、東京タワーが完成した昭和33年、集団就職で希望に燃えて東京に出て来た一人の少女がいた。その少女をめぐって繰り広げられる「三丁目の夕日」は、携帯もパソコンもなかった時代の下町の人情を描いた、可笑しくもペーソスに溢れた物語である。そんな時代をリアルタイムで生きた僕にとって、懐かしくもあり切なくもある。
 冷蔵庫もテレビもなく、シュークリームも、アイスクリームも、バナナも、贅沢な食べ物だった。東京タワーからのテレビ放送が始まると、父が電気屋をやっていた関係で、我が家の前の俄作りの縁台に近所の人が集まり、力道山が活躍するプロレスを夢中で見た。「三丁目の夕日」に描かれた世界そのものだった。時はゆっくりと過ぎ、裕福ではなかったが、温かく幸せな人間模様があった。
 欲しいものは何でも手に入り、携帯やパソコンは生活必需品になった今。居ながらにして買い物ができ、顔を見ながらの電話も可能だ。文明の発展はとどまるところを知らない。50年前とは比較にならないほど便利でリッチな世の中になった。それが幸せと比例するかどうかは疑問だ。人と人との繋がりは希薄になったような気がする。下町浅草の街、四丁目に住む我がマンションの最上階から見る「四丁目の夕日」は、冷たい冬空を燃えるように真っ赤に染めて、あの頃を懐かしむように足早に沈んでいった。 

青春時代

2009-01-12 18:25:20 | Weblog
 昔々、僕にも夢と希望に満ちた青春時代があった。早く大人になりたくて、二十歳の誕生日が待ち遠しかった。


青春時代が 夢なんて
後からほのぼの 思うもの
青春時代の 真ん中は
道に迷っているばかり

 迷いに迷ってあれから数十年。もう一度あの時代に戻りたいと思うのは誰もが持つ願いだろう。もし二十歳に戻れるならば、今までの経験や知識をそのままで戻りたい。しかし、もう一度数十年の歳月を生きるには、ちょっとしんどい。どうせ適わぬ夢だけど、戻れるならば40代くらいでいいか。

寸陰を惜しむ人なし
これよく知れるか、愚かなるか
されば道人(どうにん)は 
遠く日月(にちげつ)を惜しむべからず
ただ今の一念 空しく過ぐることを惜しむべし
 
 吉田兼好は、徒然草の中で言う。『短い時間を積み重ねて、大切に使う人はいないものだ。その道を極めようとする者は、一日とか一ヶ月という長い時間を惜しむのではなく、今生きているこの一瞬を惜しむべきだ』と。

 愚か者の僕は、寸陰を惜しむこともできず、道も極められず、その多くを無駄に過ごした60有余年。残り少ない人生を、どう生きるか未だに迷っている。晴れ着を着た若い人達が眩しい成人の日だった。

なんとなく

2009-01-10 00:27:24 | Weblog
 口癖のように「なんとなく」を連発する政治家がいる。衆議院予算委員会の質疑で、菅直人さんから「さもしい」の言葉の真意を問われたその人は、「なんとなく・・・」と答えた。
☆なんとなく暮れなずむ黄昏時☆

 「なんとなく」を辞書でひくと、とりたてて何ということもなく、とある。言葉というのは、その人の考えを表わす重要な意思表示の手段である。ましてや、政治家の言葉は重い。過去に何度も失言を繰り返し、その言葉の軽さに、人間の軽さも見えていた人だ。

 口癖とはいえ、「なんとなく」をくり返すその人の政治姿勢がなんとなくだから、その言葉が口癖になるのだろう。なんとなく掲げた政策を、それを享受することに「さもしい」などと言い放ち、「私は受け取りません」と、なんとなく言っておきながら、情勢が不利になると「まだ決まったことではないから、お答えしようがない」とは。。。

 国会の質疑応答を見ていても、この人の言葉にはまったく説得力がない。節操もなく、日和見的にころころと変わる政治姿勢。こんな人に国政を任せていいのか?政治を、なんとなくやって欲しくはない。

帰れないんだよ

2009-01-09 00:05:52 | Weblog
 いつの頃からか、メディアにまったく姿を見せなくなった歌手がいる。その歌の上手さに彼女を惜しむ声は少なくない。彼女が歌う「帰れないんだよ」という歌がある。

 「死ぬほど恋しい故郷秋田へ帰りたいが、その汽車賃があればひと月生きられる。だから帰れないんだよ」

 星野哲郎さんの詩は、東京に出稼ぎに来たのだろうか、日雇いの仕事に明け暮れているのだろうか。そんな男の悲しい人生を詠う。

 世界中に吹き荒れる不況の嵐は、止む気配はまったくない。突然の解雇に住む場所もなく、冷たい風に身を任せる人もいると、ニュースが告げる。正月に故郷に帰れない人もいたかも知れない。
 
 卓越した歌のテクニックと、ドラマチックな歌い方が大好きな、ちあきなおみさんが歌う「帰れないんだよ」は、そんな路地裏に生きる人たちの人情を歌い、彼女の歌唱力がこの歌を更に悲しいドラマに仕立て上げる。
 一曲目は、けだるいジャズのフィーリングにアレンジされた「港が見える丘」。そして2曲目に歌う「帰れないんだよ」は、彼女ならではの味わいのある佳曲である。好き嫌いはあるかもしれないが、お時間が許すなら、じっくりとちあきなおみの世界に浸っていただきたい。

ここでは2コーラスで終っているが、3番の歌詞が哭ける。


今日も屋台の やきそばを
俺におごって くれた奴
あいつも楽じゃ なかろうに
友の情けが 身にしみる
だからよ だからよ
帰れないんだよ

 僕のコレクションのひとつ「うたくらべ ちあきなおみ」の10枚組みCDのアルバムにも収められた、この歌をはじめとする数々の昭和の名曲のカバーは、オリジナルを超える絶品である。

 このアルバムに寄せられた作詞、作曲家の方々からのメッセージのひとつ、船村徹さんのコメントを紹介しよう。

☆  ☆  ☆
 
 歳のせいなのだろうか、桜をみても、向日葵の季節がやってきても、小さな悲しみのようなものが心に刺さったまま取れずにいる。「ちあきなおみ」をあきらめきれずにいるからなのだ。

 唄書きにとって、「ちあきなおみ」ほど恋しくなる素材はない。「美空ひばり」との唄作りが闘いなら、ちあきとのそれは恋愛のようなものだ。歌を媒体にして、彼女となら天国から地獄までも厭わない。「ちあきなおみ」とはそういう歌手である。

 私はあきらめきれない恋心を抱えながら、ちあきの唄を聴く。聴けば胸締め付けられ、切なくなるだけはわかっているが、その切なさの極みの内に私は一縷の希望を見ることが出来る。あの娘はきっと戻ってくると。

 このアルバムを聴く人たちも、束の間現実を忘れて「ちあきなおみ」の恋慕に心乱されることだろう。

作曲家・船村 徹
 

さもしい

2009-01-08 01:11:55 | Weblog
 イソップ物語「ロバを担いだ親子」 では、なんでも他人(ひと)のいうなりなっていると、最後には自分を見失い、だれからも相手にされなくなってすべてを失う、と説く。

 定額給付金に関して、『多額の収入のある人が、1万2千円をちょうだいというのはさもしい』と言った人がいる。その人は更に、『1億円も収入がある人はもらわないのが矜持(きょうじ)だ』と言って、『私は受け取る気はない』と明言までしたはずだ。 ところが、身内の「景気対策として国会議員も受け取って欲しい」との提案に、「その時考える」などと発言がブレはじめた。

 「さもしい」を辞書で引くと、『見苦しい。卑しい。卑劣である。心がきたない』とある。「矜持」とは『自分の能力を信じて抱く誇り。自負。プライド』だそうだ。

 能力もない人が目先の私利私欲に囚われて、思いつきで掲げた政策は、批判の的になった。その挙句、さもしくも他人(ひと)の意見に惑わされ、矜持も持たず右往左往。これを滑稽といわずなんといおうか。

 ロバを担いだ親子は、他人の意見に惑わされ、大切なロバを川に落として、すべてが水泡に帰す。ロバというより馬と鹿のようなKY(空気も読めず、漢字も読めない)な指導者に任せた日本の政治。沈没しなければいいが。。。