勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

ジャネーの法則

2010-05-30 16:17:09 | Weblog
 1年のうちで最も美しく、最も爽やかで、最も心地よい季節、それは5月。5月という月は、風薫り、緑萌え、百花乱れ、春の中に初夏があり、麦秋と呼ばれる秋も潜む。暑い夏が好きな僕にとって、5月は夏と同じくらい好きな季節である。

 そんな5月も間もなく終ろうとしている。年とともに時の過ぎ行く速さは増してくる。早く大人になりたかった20歳前、1年1年が長く感じられた。ところがである。近頃の僕にとっては、1日があっという間に過ぎ、1年は急な坂道を転げ落ちるように過ぎ去っていく。

 

≪生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例する≫

 これは、フランスの哲学者・ポール・ジャネーの法則だそうだ。1年は誰にとっても同じ長さの1年であるはずだが、ジャネーの法則によると、年を取るに従い時間の長さが徐々に短く感じ、10歳の子供と60歳の大人では1/10と1/60の長さの違いが生じるという。10歳のときの6年が60歳のときには1年に感じるらしい。

 『時が経つのが早いと思うのは、人生がわかってきたからである』(ジョージ・ギッシング)という言葉もあるが、時間が短く感じられる分、年を取ると我慢強くなるものらしい。我慢が足りない僕は若いといえるのだろうか?いや違う、無駄に年を重ねてきただけかもしれない。

 アメリカの思想家ソローは 『人生は、地球上で過ごした年数で測られるのではない。どれだけ楽しんだかで測られるのだ』という。これからも無駄な人生にならないよう、残りの人生、大いに楽しもう。

 
 画像のこいのぼりは、パソコンが取り持つ縁の、ダンス好きで手芸好きのコスモスさんに作っていただいた、和布を使った手作りのこいのぼりである。こどもの日はとっくに過ぎたが、仕舞うには忍びない。子供の好奇心と大人のふんべつを持ち続けられるよう、部屋に飾って置くことにした。

キックオフ

2010-05-29 00:11:59 | Weblog

 2010年FIFAワールドカップ南アフリカ大会日本代表の勝利に向かって、シュート 




オ~イ、小憎くん、元気がいいねぇ




おじちゃん、もうじきサッカーのワールドカップが始まるんだよ


知ってるよ、6月11日から南アフリカで開催されるんだろ


24日の強化試合では、韓国に完敗したけど、ちょっと心配


岡田監督も辞めるとか辞めないとか、自己保身ばかりで、頼りないね


本番ではがんばって欲しいよね


こんなことでは、ベスト4を目指すと言っても無理じゃないか


そんなこと言わないでおじちゃんも応援してよ


応援はするけど、1,000メートル超の標高での試合は、日本の選手にはきついだろうし。。。

高山病になった選手もいるらしいよ




そんな高いところからオシッコしたら、気持ちいいだろうなぁ♪


オイオイ、そういう問題じゃないだろ


ボク、高いとこ慣れてるから、応援にいかなくっちゃ


南アフリカは、治安も悪いそうだから、やめといたほうがいいと思うよ


じゃぁ、テレビの前でおじちゃんと一緒に応援しようかな


おじちゃんも、小憎くんとお揃いのユニホーム作ろうか?


エッ? おじちゃん、似合わないからやめたほうがいいと思う・・・


ワ~オ( ̄□ ̄;)

青春賛歌

2010-05-28 01:31:10 | Weblog
≪国境の長いトンネルを抜けると雪国であった≫

川端康成の小説『雪国』の舞台でもある越後湯沢の二日目。
早朝の目覚めに、ひとり散歩に出かけた。

朝もやに煙る山々と、せせらぎの囁きに、ふとペギー葉山さんの夜明けのメロディー を口ずさみたくなった。


朝の光が さしこむ前に
目覚めて 孤独な 時間が過ぎる


 

眼前に広がるゲレンデは岩原スキー場。近くの中里スキー場で滑ったのは、今から40年以上も前のこと。


花のいのちは
みじかいけれど
重ねた 歳月 背中に重い
喜びも 悲しみも
みんな人生


朝食を済ませたズッコケ年寄り軍団は、晴れ間も覗く天気に気を良くして、雪の残る越後の山なみを横目に一路長岡に向かった。
 

着いたところは、花いっぱい、緑いっぱい、豊かな自然がいっぱいの、国営越後丘陵公園。
 

広大な公園の散策用に車椅子も用意してあり、2台の車椅子は乗る人も押す人も、みんな年寄りの老々介護か。。。


こちらは若者同士のアキバ系。


園内では予約したバーベキューで舌鼓。腹ごしらえのそのあとは・・・


花と


緑と


旨い空気と想い出を、胸いっぱいに詰め込んで、帰途についた珍道中。


愛して 別れて また
どこかで逢えればいい
小さな幸せでも
大事にしましょう

そっと口ずさむのは



一生青春 ≪青春賛歌≫

清津峡

2010-05-27 00:35:30 | Weblog
 マンションの部屋でひと休みした後、自称若者同士で出かけた清津峡(きよつきょう)は、鮮やかな新緑に覆われ、雪解け水で水かさも増した渓流は流れが早い。
 弟の説明によると、ここは日本三大渓谷のひとつだという。そこで聞いた。「あとの二つはどこ?」すると、「知らない!そんな質問がでるとは思わなかったよ」と言って苦笑い。

 清津川沿いの歩道は落石なども多く、安全に観賞できるようにと、全長750m、往復の所要時間約1時間の「清津峡渓谷トンネル」 が造られ、数箇所の見晴らし所からは、その雄大な渓谷美を見ることができる。

 柱状節理といわれる柱状の岩が高さ100mに及び、屏風のように立ちはだかる岩肌とその景観は圧巻。春の新緑のほかにも、雪景色の冬、紅葉の秋など、四季折々に違う美しさを楽しむことができるという。

 因みに、日本三大渓谷とは、吉野熊野国立公園内にあり、近畿の秘境と呼ばれる三重県の大杉谷、中部国立公園に含まれる富山県の黒部峡谷、そして、この上信越国立公園内の清津峡だそうだ。


金髪から送られてきたこの画像の主は、自称若者のひとり。

 トンネル内では、パネルやビデオで清津峡の四季や自然、その成り立ちなどを紹介するコーナーもある。うしろ姿だけは若者といえなくもない、5人の清津峡探検は無事終了した。

年寄り軍団珍道中

2010-05-26 03:35:59 | Weblog
 埼玉県に住む末弟が数年前に購入した越後湯沢のマンションは、国産車一台分くらいの破格の安価。その当時、我が兄弟はお祝いを兼ねてマンションを訪れていた。僕は都合で参加できなかったのだが、誰言うともなく、もう一度湯沢に行ってみたいとの声が上がった。

 両親が健在の頃は、兄弟で費用を出し合い、父と母を伴って年に2回の旅行を欠かしたことがなかった。両親が他界してからは、そんな機会もなく、7人兄弟の長兄も欠け、高齢になった兄弟が一堂に会することも少なくなった。揃っての旅行は最後のチャンスになるだろうと、話はすぐにまとまり、参加するのは、3人の姉、他界した長兄のお嫁さん、僕と2人の弟、そして2人の姉の連れ合いの計9人。兄弟6人は全員参加である。

 激しい雨の降りしきる月曜日、ふたりの弟の車に分乗し、埼玉からと群馬の太田からとの二手に分かれて出発、高速のサービスエリアで合流することになっていた。

 ところが、合流地点の近くまで来たが、忘れ物をしてひき返したので遅れる、と埼玉組から金髪へ連絡がはいった。それが誰であるかと話題になり、僕は言った。「高速に乗ったのに、ひき返させることができるのは、○○しかいないよ」と長姉の名前を言うと、誰もが納得。案の定、僕の言うとおりであり、そのことを当人に告げると、一同大爆笑。この姉、家族からはコントロールタワーと呼ばれている。僕は密かに「仕切りばばぁ」といっているが・・・(笑)

 合流する少し前、僕のケータイに家の固定電話から留守電が転送されてきた。「メールを送ったけど、見ましたか?」と、埼玉組のもうひとりの姉の声。気付かずにいたメールは、サービスエリアへの到着時間を知らせていた。すぐに返信した。「何故、留守電が家の固定電話からなの?」。お互いケータイを持っているのだが。。。そんなやりとりを聞いた金髪が「メールでの連絡より、ケータイに電話を掛けたほうが簡単なのに」と言って笑う。

 メンバーの最高齢は83歳、一番若い末弟が58歳、平均年齢72歳の年寄り軍団は、何をやっても滑稽。合流したその後も、次々と起る不思議な行動と、噛み合わない会話に、笑い声が絶えない珍道中になる。

 合流した二組の車で一路向かった越後湯沢。悪天候に、行いの悪いのは誰かと犯人探し。この前来たときは天気も良かったのに、今回初参加したのは誰?とみんなで僕を見る。


 2台の車が関越トンネルを抜けると雨も止み、そこは雪国ならぬ曇り空の越後の国だった。「初参加者の心がけがいいと、雨も止んでくれるんだね」と僕は得意げ。

 湯沢に着き、ひとまず昼食。越後名物『へぎそば』なるものを食べることにした。コントロールタワーの姉が「ボケないうちに、こうして旅行ができて良かったわ」と言うと、連れ合いに言われた。「ボケていないと思ってるのは自分だけで、他の人はボケ老人と思ってるかもしれないよ」「アラァ~、そうかしら」と言ってまた大笑い。

 その後は希望者で、日本三大渓谷のひとつといわれる清津峡(きよつきょう)に行くことにした。すると、一番上の姉が「私は足が悪いから、若い人たちで行って来れば」という。すかさず僕は聞いた。「若い人って誰?僕もその中に入ってる?」。そして自称若者の5人は、雄大な渓谷美の清津峡谷へ向かった。

任期満了

2010-05-24 06:33:12 | Weblog
 マンションの理事会の理事長になって一年が過ぎた。就任するや否や、次々と起こるマンション内の不祥事に煩わされた一年だったが、昨日の総会でその任期が満了となった。

 就任早々、役員の中国人女性との軋轢による辞任騒動にはじまり、子供の目の前でエレベーター内に数回に亘り落書きをする母親に呆れ、更には、数々の迷惑行為による男との対決では、何度も区の法律相談をはじめ、警察や弁護士との対応に明け暮れる日々だった。そのほかにも次々と問題が起こり、数え上げたらきりがない。

 中でも一番の問題は、50代も後半にはなっているだろう迷惑男の、深夜の大声や大音響による騒音からはじまり、食器類の屋外や通路への投げ捨て、エレベーター内での放尿、挙句の果てに、理事長である僕への嫌がらせなどなどは、身の危険さえ感じるものだった。

 実はこの男、今年の2月に逮捕されたのだ。管理人からの報告で、防犯カメラに映し出された映像は、数人の刑事と思しき男たちに囲まれて、手錠を掛けられていると思われる両手は布で隠され、腰縄を引かれ車に乗せられて行った。この逮捕劇、マンション内での迷惑行為によるものではなく、警察に問い合わせたが、管轄が違うという理由で罪状はわからずじまい。しばらく静かだったが、5月のはじめには戻ってきてしまった。今のところ問題は起こしていないが、あの男の事、いつ暴れ出すかわからない。

 他にも覚せい剤の不法所持により逮捕された男もいるが、このような住人のいるマンションでの理事会の長としての活動は、命がけといっても過言ではない。とりあえずは理事長の立場は離れるが、次期の一年間は顧問として残らなければならない。ひとまず責任ある立場からは離れるが、あの迷惑男の嫌がらせのターゲットが僕であることは変わらないだろう。これからも何事も起こらないことを願うばかりである。

誰そ彼

2010-05-21 23:20:10 | Weblog
 人の姿が見分けにくくなる夕暮れ時を、「誰そ彼(たそかれ)?」という意味から「たそがれ」となり、黄昏という文字が当てはめられたという。
また、明け方の薄暗い頃を、「彼は誰(かはたれ)」という意味で「かわたれ時」といい、黄昏時と使い分けるようになったとか。


 30度を越す暑さとなった東京は、午後6時を過ぎてもまだ明るい。早めに仕事を終えた黄昏時、同僚に誘われて行ったのは上野公園入り口にある野外テラス。


 公園から吹いてくる黄昏時の風は心地よく、ビールの味もまた格別。人生の盛りを過ぎた年代を例えて「黄昏」ともいうが、周りに居るのは働き盛りの人ばかり。
 
 「四十五十(五十六十)は洟垂(はなた)れ小僧、七十八十は花盛り、九十でお迎え来たならば、百まで待てと追い返せ」は、明治時代の大実業家・渋沢栄一さんの言葉とされているが、六十を遠に過ぎた我が身も、黄昏と思わずに洟垂れ小憎ならぬ彼は誰(かわたれ)小憎と云おう。明け方の暗さは、次第に明るくなって陽も射し、やがて花盛りを迎えるのだから。

小話2題

2010-05-19 21:44:55 | Weblog
世界のおもしろ小話のひとつにこんなのがある

◇最高の生活とは◇
アメリカ人と同じ給料をもらい、イギリスの家に住み、日本人の妻を持ち、中国人のコックを雇う。 

◇最悪の生活とは◇
中国人と同じ給料をもらい、日本の家に住み、アメリカ人の妻を持ち、イギリス人のコックを雇う。



 浅草でご商売をやっているお客様がいた。ビルの1階が店舗、2~3階が住まいである。慶応大学卒業の息子さん、学生時代には下町情緒が好きだといって多くの友人が遊びに来たという。その友人が言った言葉に、彼女は「アタマに来たわ」といって笑う。

「お前の家は面白いなぁ、道路からすぐに玄関だから・・・」

( ̄□ ̄;)
 

★ ★

 ふたりの息子に恵まれた友人がいる。なに不自由なく育てた彼の息子が小学生の頃、友達が遊びに来ると、パーティーが開けるような広いダイニングで食事をご馳走することも多く、食後には必ずケーキなどのデザートを出していた。
ある日、友達の家に遊びに行った長男が食事をご馳走になった。食事が終ってしばらくして彼が言ったという。

「ケーキは?」

( ̄□ ̄;)


★ ★ ★

◇僕の生活◇
給料というものはなくその日暮らし、狭いマンションに住み、妻はなく、コンビニ弁当を食べる。
( ̄□ ̄;)

宮出し

2010-05-17 06:19:25 | Weblog
 浅草三社祭の最終日は、3基の本社神輿の宮出しから始まる。午前6時、境内では神輿の渡御が始まり、担ぎ手と見物客にとって最大の見せ場になる筈だった。しかし、浅草寺の改修工事により、狭くなった境内は入場規制が敷かれ、一般客はそれを見ることができない。


しかたなく柵の外で待つこと2時間あまり、3基の神輿が分散して浅草の街を練りはじめると、街中が熱気につつまれ、祭りは最高潮を迎える。
 

二宮の神輿が雷門前に差し掛かると、立錐の余地もない人人人の波。
 

例年にも増して警備が厳しく、警察の護送車が一列に並ぶ言問通りも、一宮の神輿と共に人の波がうねるように移動する。

爽やかな5月の風と初夏の陽射しが降りそそぐ中、担ぎ手の笑顔とパフォーマンスは、見る者も元気にしてくれる。

はじける若さ


はじける笑顔


輝く美貌

更に、祭りには一際豊かな個性が輝きを増す人もいる。

今年の肌絵は控えめに。。。


かなりの高齢とお見受けする、お揃いの赤いパンツがお似合いのカップルの、地味目なファッションの真似のできないおしゃれ心に脱帽


何故か裏道をひっそりと歩く寅さんも、祭りに誘われてお出ましか?


3日間に亘って行われた浅草三社祭は、賑わいと興奮を残して静かに暮れていった。

気合だぁ~

2010-05-16 05:20:41 | Weblog
三社祭で始まるといわれる浅草の夏。


晴天に恵まれた15日午後、浅草寺裏に集結した町内神輿は、夏の陽射しを受けてセヤセヤのかけ声と共に町内を練り歩く。



5月の下町浅草は、お祭り色に塗り変わり、大人も子供も、老いも若きも、祭り一色。



 


浅草でスポーツジムを開く、アニマル浜口さん親子も参加して「気合だぁ~」と叫んだかどうかは知らないが



浅草は夜まで熱く燃えている。



朝になったブログアップももどかしく、午前6時から始まるお祭り本番の宮出しの見物に気もそぞろ。それでは、気合を込めて、行ってきまぁ~す。

風の色

2010-05-14 00:40:32 | Weblog
「今日の風、なに色?」と言ったのは、全盲のピアニスト・辻井伸行君。風に色があるならば、今日の風はなに色だろう。


風に舞うモミジの種は竹とんぼ、くるくると遠くに種を運んでる。そんなとき、風の色は赤トンボの色。


風に飛ばされタンポポの、綿毛がふわふわ舞い上がる。そのときの風の色はやわらかな綿毛色。


野の花が雲に向かってゆれるとき、風の色は雲の色。
 

野の花が空に向かって花開くとき、風の色は空の青。

 
草の中、揺れる花に吹く風は、緑のそよ風初夏の色。


暖かな光に揺れるクローバーに吹く風は、幸福(しあわせ)色にそよぐ風。


青い空に白い雲、土手の緑に吹く風は、風も香る5月の風。


世の中に吹く不景気風は止みそうもなく、今日の風も5月としては冷たい風だった。

また君に恋してる

2010-05-10 23:53:09 | Weblog
 最近、毎日耳にしない日はないCMソングがある。坂本冬美さんが歌う「また君に恋してる」は、その美しいメロディーと、歌詞の優しさが、5月の風のように爽やかな気持ちにさせてくれる。ビリーバンバンのハーモニーも坂本さんのそれとはまた違った趣があっていいが。。。


 長い人生の中、どんなに愛し合っている者同士であっても、小さな一言、ちょっとした気持ちの行き違いなどによるトラブルがある。そんな時、あなたはどうしますか?
黙ってしまう?それとも言い返す?泣く?話し合う?無視する?別れる? 別れてしまえばそれまで、しかし別れてから後悔することも多い。


ハルシオンの花言葉『追想の愛』

 喧嘩は多くの場合、時が解決してくれるものである。過ぎてしまえば許せることもある。そんな時、『まだ君を好きになれる、心から・・・』 と言おう。。。いつか雨に失くした空も 涙ふけば虹もかかるから。。。

セトモノと
セトモノと
ぶつかりっこすると
すぐこわれちゃう

どっちか
やわらかければ
だいじょうぶ

やわらかいこころを
もちましょう

そういうわたしは
いつもセトモノ

-みつをさん-

御感の藤

2010-05-09 09:25:56 | Weblog
 小田原の佐伯眼科で白内障の手術を受けたのが昨年の3月。旅行気分で通った術後の検診も1年が過ぎ、眼の状態が安定してくると、検診に行くのも少々億劫になり、サボり気味になってしまった。


 3ヶ月振りの小田原は好天にも恵まれ、今年は天候不順で開花が遅れたという小田原城址公園の藤が見頃と知り立ち寄った。


 大正天皇がこの藤を見て感動したというエピソードから名付けられたという『御感(ぎょかん)の藤』は、規模は大きくはないが、5月の爽やかな風に揺れ、漂う花の香りは僕の大好きな香りでもある。


 『藤』は、僕の仕事上の名前でもあり、どの花よりも親しみと親近感のある花でもある。風にたゆとうこの藤の花のように、流れに逆らわない生き方もいいかもしれない。 

夏は来ぬ

2010-05-06 23:55:57 | Weblog
 朝からうなぎのぼりの気温は、初夏を通り越していきなり真夏になってしまったような暑さの東京。上野不忍池は緑に覆われ、水面に顔を出しはじめた蓮の葉が風にゆれながら漂っている。
 蓮っ葉(はすっぱ)という言葉は、蓮の葉が風や波にユラユラとゆれるさまから、根無し草のように軽はずみな女性をいうようになったという説もあるとか。。。

 唱歌「夏は来ぬ」で歌われた卯の花は、空木(うつぎ)の別名だそうだが、ハコネウツギと思われる花が、夏が来たことを告げているかのように、空に向かって誇らしげに咲いていた。

 空木は茎が空洞になっていることからこの名がついたといわれるようだが、ウツギの種類は多く、このハコネウツギの花は、はじめは白く次第に紅色に変化し、花の色のグラデーションが楽しめるので、庭木としても人気があるという。

 「いずれアヤメかカキツバタ」とは、優劣が付け難いことをいうが、見分けが付き難い意味にも使われるらしい。水辺に咲く涼しげな花は、アヤメ、それともカキツバタ?はたまた花の色から黄ショウブか?夏の訪れは僕にとっては待ち遠しい季節でもある。

1/f ゆらぎ

2010-05-04 01:02:23 | Weblog
 世の中、右も左も、前も後も、どこからどこまでゴールデンウィーク真っ只中。ご機嫌斜めだった4月の天気も、5月の声を聞くや否や、初夏の陽光が降りそそぎ、風薫る木々に芽生えた新緑が目に眩しい。


都会の雑踏と喧騒からしばし逃れ、何も考えない時間を求めて出かけたやすらぎの一日。そこにあるのは、『1/f (エフブンノイチ)ゆらぎ』の空間。
 

聞くところによると、『1/f ゆらぎ』とは、人間を心地よくしてくれる刺激のことをいい、その代表的なものが音楽だそうだ。
 
 自然界には数多(あまた)の『1/f ゆらぎ』が存在するといわれるが、難しいことはさておいて、音楽の他には、打ち寄せる波の音、小川のせせらぎ、吹く風、木漏れ日、太陽の光、蛍の光などが『1/f ゆらぎ』といわれるものらしい。

 森林浴としゃれたつもりはないが、新緑の林の中の木の枝に絡みつく、へびと思しき物体に肝を冷やす。1/f ゆらぎは震えに変わり、 身動きしないその物体に恐る恐る近づくと、それは枯れた木の枝。蔓性の植物が枯れたものと知り、ひと安心。


風にゆれながら舞うヒメオドリコソウも『1/f ゆらぎ』なら


初夏の陽を浴びてきらめくせせらぎの音も『1/f ゆらぎ 』

 蕾のときはうな垂れていても、花が開くときにはピンと上を向くハルシオンのように、1/f ゆらぎに身も心もリフレッシュの5月。好天に恵まれたゴールデンウィークも、終わりに近づいているが、あなたの『1/f ゆらぎ』はいかがでしたか?