勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

世界禁煙デー

2005-05-31 21:27:51 | Weblog
 今日5月31日は世界禁煙デーだそうだ。
僕はタバコは吸わない。口にしたことはある、でも美味いと感じたことなど一度もないし、生まれてこの方一箱分も吸ってない。
だから言うわけではないが、喫煙者のマナーの悪さには腹が立つ。
タバコを吸うなとは言わない。吸いたい人はどうぞ吸ってください。
但しそれが他人にも悪影響を及ぼすということを承知しマナーを守って吸って欲しい。

先ず歩きタバコ。『歩きながらタバコは吸うな』と言いたい。歩きながらタバコを吸う人は殆ど皆、指に挟んだタバコの火を外に向けて歩く。言語道断である。最低限火は掌(てのひら)に隠すモラルをもって欲しい。もっともモラルがあるなら歩きタバコはしないだろう。これは法律で規制して欲しいものだ。

また、人前での喫煙。少なくともそばにいる人に断ってから吸って欲しい。わざわざ人のそばに来て吸う人がいるが、それがどれ程他人の健康を害し、どれ程迷惑をかけているかわかってない。

 今日の朝日新聞にPOCDを考えるという記事が載っている。
POCDとは、肺の生活習慣病 「慢性閉塞性肺疾患」 という病気の事だそうだ。
喫煙には、主流煙と副流煙があり、主流煙とは喫煙者本人が吸う煙、副流煙は喫煙者の傍にいる人が吸う煙、つまり受動喫煙の事である。このCOPDという病気になるリスクは主流煙も副流煙も同等だという。重度のCOPDになると、普通の生活をするために24時間酸素吸入が必要になる。
WHOの調べによるとCOPDの世界の死因は、1996年が第6位、2020年には3位にまでなるという予測がされているという。
       
朝日新聞から抜粋したこの表を見るかぎりでは女性の方が多いですね。

喫煙者と非喫煙者の肺 の画像が載っています。特に喫煙者に見て欲しい。同じ影響を受動喫煙者に与えている事を認識していただきたい。 
2005.05.31 

簡単 手抜き 料理教室

2005-05-30 23:59:57 | Weblog
 はったり栄養料理教室の始まりで~す。僕、校長の勿忘草 改め はったり雪男です。
PCに向かっていると時間の経つのが早い。ついつい食事がおろそかになりがちだ。そんな時あなたはどうしますか?
最近のレトルト食品、贅沢を言わなければ結構いける。特に僕のような独り者にとっては便利でありがたい。中でもカレーは一人分を作るのは困難、多めに作って冷凍するが、大抵そのまま食べずに冷凍庫の邪魔物になる。そんな時、レトルトカレーは種類も多く美味しいし、無駄にならずに済む。しかしあまのじゃくな僕にとって、そのまま使うのは不本意である。
そんな時、ちょっと手を加え、簡単で美味しく栄養もある方法を紹介します。

冷蔵庫にある残り物の野菜を茹でてご飯にのせ、そこに温めたカレーをのせるだけ。
       写真は今日の昼食です。
     
鍋にジャガイモ、にんじん、アスパラ、ブロッコリーを入れて茹でる。同じ鍋でレトルトカレーも温めれば全て一つの鍋で間に合う。
茹でた野菜をご飯に添えて、カレーをかければ出来上がり。
ゆで卵を乱切りか輪切りでのせてもいいし、残ったカツや、肉類などをのせればさらに栄養価も高くなる。


冷蔵庫の残り物の整理もできます。お試し下さい。
2005.05.30

黄泉の国?

2005-05-29 20:07:39 | Weblog
 真夏日となった昨日28日は友の月命日、毎月欠かしたことのない墓参りに行く。いつもお参りを済ますとまっすぐ帰ってくるのだが、あまりの暑さに桜の木の葉が生い茂る霊園を散策する。
染井霊園のあるこの地域は、ソメイヨシノの発祥地と言われるだけあって、桜の木が多く涼しい木陰が気持ちいい。

 墓地の一画に花が咲き乱れている場所を見つけた。それ程広い場所ではなく、手入れをされているとも思えないが、お花畑のようでもある。蝶も舞い花の香りも漂って、黄泉の国にでも来たようだ。
しばしの間、時を忘れ花に酔ったひと時でした。
2005.05.29 

マニュアル

2005-05-28 00:28:23 | Weblog
 今日は早めに仕事が終ったので家に帰り、疲れていたので一眠りした。目が覚めたらもう夜中の12時。ちょっとお腹がすいたので、マンションの隣にあるコンビニへ一走り。こんな時コンビニはコンビニエンスである。
アイスクリームとフライドチキンを買った。レジで店員が聞いてきた。「袋、一緒にしますか、別にしますか?」 バカヤロー ! フライドチキンはあったかい、アイスクリームは当たり前だが凍ってる。考えたって解るだろう。
いつもそうなのだが、ここでの買い物のとき、2種類のものを買うと必ず「一緒にしますか、別にしますか?」と聞いてくる。多分マニュアルどおりなのだろう。だからと言ってアイスクリームと目の前で温めてあるフライドチキンと一緒がいいか別がいいか考えろよ!

以前新聞のコラムに載っていた。ファーストフード店でハンバーガーを一人で10個買ったそうだ。店員が「お召し上がりですか、お持ち帰りですか?」と聞いたという。
世の中何でもマニュアルどおり、臨機応変でものを考えようとしない。困ったもんだ。
2005.05.28 

逢いたい

2005-05-26 22:57:04 | Weblog
 あなたがいま、いちばん逢いたい人はだれですか?こんな問いかけから生まれたCDがある。
TBS土曜ワイドラジオTOKYO 「永六輔その新世界」という番組で、視聴者に問いかけがあった。数年前のことです。

遠く離れた恋人、単身赴任の夫、地方から都会に出て働く息子や娘。人それぞれに逢いたい人がいる。
中でも多くの人が、いちばん逢いたいと思ったのは、亡くなった人だったそうです。
人によって対象は違うかもし知れないが、皆一様に逢いたくても逢えない、今は亡き愛する人に逢いたい。
そんな思いを込めて作られたのがこの「逢いたい」という曲です。

土曜ワイドラジオTOKYOというこの長寿番組、僕が20代の頃から聞いている。司会者も何人か代わったが、今の永六輔氏がいちばん長いのではないだろうか。そして僕の好きな番組の一つである。
この曲が発売されたとき、いち早くTBSに数枚注文をした。今手元には2枚だけしかない。

作詞・永六輔 作曲・穂口雄右 編曲・久米由基 唄・川口京子 
「逢いたい」という言葉だけで歌われるこの曲を聴いて、あなたはだれを想いだしますか?

今日から我がHPのなかの喫茶Fuji でBGMとして流しています。一度聴いてみて下さい。
あなたにもし逢いたいと思う人がいたら、夢で逢えるかも知れません。
2005.05.26  

初夏の風

2005-05-25 22:03:13 | Weblog
 二日続きの激しいにわか雨に見舞われた東京も、今日は爽やかな一日で、初夏の日差しとひんやりとした風が肌に心地よく、恒例の郊外にある高齢者ホームでのダンス教室に出かけた。
駅から10分ほどのホームへの道すがら、真っ青な空には夏の雲が浮かび、道端には名も知らぬ野の花が咲き乱れていた。
都会ではなかなか見られない光景に、澄んだ空気を肌に感じながら、小さな花の一つ一つにカメラを向けてみた。
写真は初夏の日差しを受けながら、虫に蜜を吸わせているタンポポの花です。
これからの季節、野に咲く小さな花にもちょっと眼を向けてみたい。よく見ると可愛い花が沢山あります。
2005.05.25

ティッシュボックス

2005-05-24 21:41:28 | Weblog
 駅の側などの人通りの多い場所でよくポケットティッシュを配っているのに出会う。そんな時あなたはどうしますか?
積極的に手を出しますか?それとも避けますか? 僕は積極的に手を出してもらえるだけもらいます。

写真は浅草の焼き物屋で見つけたポケットティッシュを入れるティッシュボックスです。
これ、結構便利に使ってます。宣伝用のポケットティッシュは中身を出してこのボックスに入れ、洗面所やテーブルに置くとちょっとおしゃれで、心置きなく使えていい。

ちょっとしたプレゼントにも喜ばれるが、あるとき言われた。「蓋の合わない灰皿を戴いたのかと思った」と。
そう、これ使い道を知らないと何かわからない。そんなところが面白い。
我が家のお気に入りおもしろ便利グッズの紹介でした。
2005.05.24

うたげのあと

2005-05-23 22:02:33 | Weblog
 三社祭の人出で賑った浅草も一夜明け、客を乗せた人力車が境内を走り、外国人の観光客が写真を撮る、いつもと変らぬ浅草に戻っていた。
雷門の正面にある、浅草文化観光センターのからくり時計は、いつもの様に時を告げ、正時には時報を告げるチャイムと共に、浅草名物の一つにもなっている、からくり人形が現れて、掛け声にあわせて神輿を担ぐ姿が可愛い。

 この浅草文化観光センターは、浅草特有の庶民文化やその故事来歴の紹介をする施設で、浅草散策の休憩所としても利用でき、トイレも完備している。浅草へお越しの節は、この施設と、からくり時計を見るのも一考かと思います。
これからの季節、浅草界隈は様々な行事が目白押しですので、また紹介させていただきます。
2005.05.23  

三社祭

2005-05-22 22:23:50 | Weblog
 浅草寺では、20日から22日の今日まで、三社祭が行われ、多くの見物客で賑った。
地元に住む僕にとっては是非とも見に行きたかったが、昼は仕事があり、夜になってから見に行った。夕方から小雨が降りだしてあいにくだったが、それでも神輿の渡御は見ることができ、最後の宮入りでは神輿の上に数人が乗り、威勢のいい掛け声と共に担ぐ姿は、やはり勇壮でいい。

三社祭が終るといよいよ本格的な夏が来る。夏生まれで、夏好きな僕にとっては待ちに待った最高の季節である。早く来い来い熱い夏。
2005.05.22

薔薇に魅せられて

2005-05-21 23:40:04 | Weblog
 薔薇の花は美しい。豊富な色と品種、見事なまでに完成されたその形態の美しさは、他に類を見ない魅力がある。 
その薔薇の花と香りに魅せられて再び古河庭園を訪れて驚いた。
一昨日撮った写真が物足りず、カメラと三脚を肩に園に着いたのがPM7:30頃。屋敷の石垣に沿って人の列。新聞やTVニュースでも取り上げられた効果か、ライトアップが明日までと、土曜日とあって整理に当たっていた係りの人も驚いていた。列に並んで入ってみるとまた立錐の余地も無いほどの人の波。そんな中でシャッターを押し沢山の写真を撮ってきた。さすがに閉園間近になると人影もまばらになり、満月に近い朧月も美しく、ゆったりと写真を撮ることもでき、満足のいく写真も幾つかあった。

順次我がHPの喫茶室で公開しますので、お暇な折に是非遊びにお越し下さい、お待ちしています。

写真はライトアップされた古河庭園です。
2005.05.21

狂おしき薔薇の香り

2005-05-20 23:59:59 | Weblog
 都内駒込にある、都立旧古河庭園ではライトアップされた薔薇が美しく咲き誇っている。
JR駒込駅から歩いて7~8分のこの庭園、5月22日(日)までの間、夜9:00までライトアップされ、その魅力を楽しむことが出来る。
そこで昨夜、香り立つ薔薇の魅力をカメラに収めてきた。園内はカメラや、携帯で写真を撮る人で賑っており、ライトに照らし出された洋館の美しさもさることながら、色とりどりの薔薇は、夕闇の庭園をさらに魅力的に映し出していた。

 この庭園は大正6年(1917年)古河虎之助が経営した東京における大正初期の代表的庭園です。園は武蔵野台地の裾に入り込んだ低地を取り込み、土地の高低を利用した和・洋両形式を巧みに使い分けた自然趣味豊かな庭園です。

薔薇の画像を我がHP の喫茶Fuji でも紹介していますので、お暇がありましたら覗いてみてください。
2005.05.20   

100歳の誕生日

2005-05-19 15:00:00 | Weblog
 僕、まだ100歳になってません。もうじきですけど・・・
昨日の新聞記事、特派員メモ からの抜粋です。

「今度の週末は祖父と祖母の100歳の誕生日。実家に親類が集まってパーティを開くんだ」 或る日ドイツの知人がうれしそうに言った。
「それは良かった。二人とも長生きなんだ」と私が言うと、知人は「いや、15年以上も前に病気で亡くなった。でも、もし生きていたら100歳だから、みんなで集まるんだよ」と説明してくれた。 
ドイツでは死後も、100歳、120歳、150歳など「節目」の誕生日を祝う習慣があるそうだ。そのパーティには40人が集まり、飛行機で駆けつけた親類もいたとか。


日本の何回忌というような法事もいいが、こんなお祝いの仕方もあるのかとちょっとびっくり、そしていいな~と思った。そこには亡くなったというより、生きているという思いを感じる。
著名人の場合も、生誕○○年という言い方をする。大切な人をこんな方法で偲ぶのもいいかもしれない。
母の命日が5月15日、誕生日が5月30日。間もなく96歳の誕生日が来る。
2005.05.19

沈黙のピアニスト

2005-05-18 23:53:05 | Weblog
 映画のタイトルではありません。新聞のニュース記事のタイトルです。
TVニュースでも取り上げられているので、ご存知とは思いますが、英国南東部の海岸で約一ヶ月前、ずぶぬれの黒いタキシード姿で見つかった男性のことです。
着衣のラベルは切り取られ、身元の手がかりになるものはなく、大きな精神的ショックを受けたためか記憶を失い、口を閉ざし、精神の不安定な状態が続いているという。
しかし、鍵盤に向かうとプロ級の腕前で、チャイコフスキーの白鳥の湖や、ジョンレノンの曲を2時間以上も弾き続けたという。まことにミステリアスな話である。

記憶喪失を取り上げた映画も多い。若い頃見た名画の中でも印象深いものに「心の旅路」「追想」等がある。どちらも主人公が記憶喪失になる話である。
特に「心の旅路」では、グリア・ガースンとロナルド・コールマンの甘く切ない恋物語が印象的だった。記憶喪失で本当の自分がわからないまま結婚したが、その後の事故で、以前の記憶を取り戻すが、今度は結婚した記憶を失ってしまう。しかし彼女の愛の力で最後はすべての記憶を取り戻し、ハッピーエンドとなる。


この浜辺をさまよっていた謎の「沈黙のピアニスト」も記憶を取り戻し、ハッピーエンドになって欲しいものだ。
2005.05.18

在宅ホスピス

2005-05-17 16:42:18 | Weblog
 誰にもいつかは必ず訪れる死。その殆どは病院で医療機器に囲まれ、口や鼻から、管を通され、その死は機械が判断する。そこに愛する者たちの入り込む余地などない。あなたはそんな死を望みますか? 
誰しもが愛する人に囲まれて、その手を握り、その肌の温もりを感じながら、住み慣れた我が家で死にたいと思うのではないでしょうか。
特に末期がん患者にとって残された僅かな刻を、家族と共に、人間らしく生き、そしてあるがままに終わりたい、そんな望みを叶えてくれる医師がいる。
鎌田医師と共に前回のブログでも紹介したが、グループ・Pallium(パリアン)の代表でもあり、ホームケアークリニック川越の川越医師である。

 僕はこのクリニックに5年前にお世話になった。
骨に転移した癌による痛みに苦しみながらも本人の希望によって病院を去り、共に壮絶な病魔との闘いを強いられながらも、最後は安らかな死を迎え、我が家で看取ることが出来たのは、川越先生のお蔭であり、これ以上の終わり方はなかっただろうと今も心から感謝している。

 この在宅ホスピス、耳慣れない方もいるかも知れないが、前述したように主に末期がんの患者を対象に在宅で介護し、その最期を家で看取るというものである。
週1回の医師と、週3回の看護士さんの訪問があり、あわせて週4回訪問看護による患者に対するケアーをしてくれる。
痛みに対してのPain control を初めとして、あらゆるケアーをしてくれるし、24時間体制で連絡も取ることが出来、いざというときにはいつでも駆けつけてくれるので、安心して介護することが出来る。
患者が寂しい思いをしなくてすむし、毎日病院に足を運ぶ労力も要らない。何よりも患者自身が残された僅かな時間を愛する家族と共に生き、人間らしくあるがままに自然に死を迎えることが出来るのだ。

 その後の残された家族へのケアーも行き届いている。同じ時期に愛する人を失った人たちと共に、先生や、看護士さんを交え故人を偲び、悲しみを分かち合う集いが催され、悲しみに打ちひしがれている家族の拠りどころとなる。僕も当時、その会に出席させていただき、時には学生さんや、看護に携わる方たちの前での介護の体験の話をさせていただき、どれ程慰めになったかわかりません。写真はそのときのものです。
今でも年に一度の集まりがあり、欠かさず出席させていただいています。先生の優しさ、看護学校の教鞭をとっている奥様や、スタッフの皆様の優しさは何よりもうれしい。そこにはボランティアの方々の努力もあり、今年も7月に予定されているのだが、勿論出席の返事を出したばかりである。
2005.05.16  

がんばらない その2

2005-05-15 23:54:56 | Weblog
 《がんばらない》 昨日も紹介した長野県、諏訪中央病院院長、鎌田 實氏の著書のタイトルである。

 幽霊が出そうな汚くて小さな、つぶれかけていた田舎の病院は、若くして自ら進んで赴任した鎌田医師の信念と情熱によって、なかなか心を開かない田舎の人たちとの交流を通して徐々に信頼され、立ち直る。
患者の立場に立ち、往診もし、地域に密着した医療をする、生きるか死ぬかのとき頼りになる病院として全国に知れ渡る病院となるのである。その諏訪中央病院の話である。

 僕も経験あるのだが、末期がん患者に対する病院の対応は冷たい。患者の心というものを何も考えていない。ましてや家族のことなど・・・
鎌田医師はその末期がん患者のターミナルケアーに対して、残された生命を如何に人間らしく、ありのままに生きるかということを大切に考え、医師も看護士も、患者個人個人に対し心から接してくれるのである。患者や家族との関わりを綴った心温まる幾つものエピソードは、その経験を持つ僕にとって、涙なくして読むことはできなかった。

 痛みと苦しみに耐え、がんばってがんばって生きている患者にとって『がんばれ』というのは、これ以上どうやってがんばればいいの?と思う。がんばれではなく、よくがんばったね、そんなにがんばらなくてもいいよ、と言うほうがやさしさなのかもしれない。そう問いかけてくれるのである。そして如何に人間らしく死を迎えるかということにも取り組み、家に帰りたい、家で死にたいという患者や家族に対してのケアーも、それぞれの立場、事情にあった接し方をしてくれる。
もし、僕がその立場になったとき、出来るならこの病院を選びたい。

 東京にも、末期がん患者のターミナルケアーとして、在宅ホスピスケアーをしてくれる医師がいるのをご存知だろうか?
ホームケアークリニック川越といい、末期のがん患者の訪問看護をしてくれるクリニックである。誰もが思う家で死にたいという希望を叶えてくれるのだ。 

 僕にも、痛みで身動きできなくなりながらも、病院は嫌だと言うので我が家に連れて帰り、その最期を家で看取った経験がある。
人生の最期は、特別の場合を除いて病院でなくてはならないと思っていた僕は、このとき途方に暮れ、探し当てたのがホームケアークリニック川越。その川越先生のおかげで安心して介護が出来、最期を家で看取る事が出来たのだ。

 最期が近づいたとき、やはり先生に言われた、「もうがんばれと言うのはやめて、よくがんばったね、と言ってあげてください」と。
その晩、言った。先生が誉めてたよ、「よくがんばった」って。するとまわらなくなった舌で「がんばった?がんばった?」と言って、両手を合わせようとする。その手を握って泣いたのが昨日のことのように思い出される。


この 《がんばらない》 という言葉、いつもがんばって生きている我々にも当てはまる言葉ではないだろうか? 

鎌田先生、川越先生、両医師に共通して言えることは、患者が亡くなった後も残された家族や愛する者たちへのケアーもしてくれることである。こんな医師もいる事を知って欲しい。
川越先生とは、今も年に一度はお逢いしている。
2005.05.15