勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

投げ込み寺

2006-05-31 23:59:15 | Weblog
生まれては苦界 
死しては浄閑寺


 花又花酔翁の句で知られる浄閑寺(じょうかんじ}は【投げ込み寺】と呼ばれ、薄倖不運の遊女の骨の捨て場であったという。

 地下鉄・三ノ輪駅の真後ろに位置する浄閑寺は作家・永井荷風も度々訪れ、次のように記している。


哀れな娼婦が白骨のゆくえを知らうと思ふ人あらば
哀れな娼婦が悲しき運命の最後を弔はんと欲する人あらば
乞ふ吉原の花散る大門(おおもん)を出て
五十軒をすぎ 土手八丁
その堤を左へとたどりたどって行き給へよ。

 寺の案内によると、浄閑寺に葬られた遊女は実に2万5千に及び、すべての遊女の本名、年令、生国、親許を探索することは不可能だという。

 この寺の下を通る地下鉄工事のさいには、数多くの白骨が掘り出されたそうだ。

 歌舞伎にもある籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)の佐野次郎左衛門に殺された花魁(おいらん)八ッ橋や、年季明けを間近に控えながら、それ故に無理心中の犠牲となった若紫なども葬られている。

 仇討ちに来た本庄兄弟が、白井権八に返り討ちにあい、弟助八が兄助七の首を洗うところを、助八も無残にも討ち果てたという首洗い井戸もある。


永井荷風の文学碑が寺の真後ろにあり


その辺りには遊女の供養塔や


この近くの山谷で労働に生き、労働に老いて
ひとり淋しく人生を終えた人々を祀った、ひまわり地蔵尊もある。

>

 
永井荷風の文学碑の一節です


今の世のわかき人々
我にな語りそ今の世と
また来む時代の藝術を

くもりし眼鏡ふくとても
われ今何をか見得べき


このお寺、今もお参りする人が耐えないという。

2006.05.31

浅草の光と影

2006-05-30 15:32:04 | Weblog
 「廻れば大門(おおもん)の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝(どぶ)に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く・・・」 

 ご存知、樋口一葉の小説「たけくらべ」の書き出しである。


 浅草吉原はその昔遊郭として栄えた場所であり、遊び帰りの客が、後ろ髪を引かれる思いでこの辺りで遊郭を振り返ったということから「見返り柳」の名がある。


 かつては山谷堀脇にあったという見返り柳は何代目かになり、遊郭の入り口であった吉原大門の交差点の角にある。
その姿は目立たず、ひっそりと佇み、見過ごしてしまいそうだ。
今その吉原大門は交差点の名前として残っているだけで、大門自体はない。


 見返り柳のある大門交差点の斜前には天麩羅の「伊勢屋」があり、開店前から客が並んでいる。

 見返り柳を左に見て大きくカーブした道を行くと、そこは名にし負う風俗店が建ち並ぶ吉原ソープ街である。

 ご覧のように不夜城ともいえるこの一画は、ここにも人生の光と影が渦巻いているようだ。


 その通りを抜けた反対側には、浅草七福神の一つとしても名高い吉原神社がある。
今日写真を撮っていると、一人の若者がお参りしていた。
感心だなと思いながら、お参りを終わって戻る彼を入れてシャッターを押すと、片手で顔を隠した。写真として気に入ったのでアップしようと準備をし、この神社について調べてみると、なんと風俗店に行く前にここでお参りするとご利益があるといわれるという。慌ててその画像は没にした。

 浅草は様々な顔を持つサプライズの多い街でもある。
因みに我が住まいはこの神社とは目と鼻の先にある。
2006.05.30

浅草の粋

2006-05-29 01:29:06 | Weblog

 二日にわたって開かれた浅草の植木市、前日の雨も上がり人出も多く、賑っていた。

 縁日やお祭りになると、浅草は俄然“粋”を取り戻す。
 

 昼も夜も、道行く人がみな粋に見えてくるから不思議だ。

 
 ましてや夜ともなると、料亭から出てくる綺麗どころは人目をひく。

 
 
 この右のお姉さん、昨日の赤い傘のお姉さんのようだ。


 そしてcoroさんの、たっての願いである綺麗どころ?のおにーさんたちも勢ぞろいしました。いかがでしょうか。
2006.05.29

植木市 「お富士さん」

2006-05-28 00:49:38 | Weblog

 浅草名物「お富士さん」といえば植木市。5月の最終土・日には、浅草寺の裏、柳通りに250店もの植木商が立ち並び、その歴史は江戸の昔から300年以上続く伝統のある市である。
浅草警察署前にある通称「お富士さん」といわれる、浅間神社周辺で開かれる事からそう呼ばれるらしい。

 そもそも浅間神社の例祭日は富士山山開きの日の7月1日であり、数年前までは、5月31日と6月1日、6月30と7月1日の4日間に行われていた。

 我が家からは歩いて数分、生憎の雨模様に「人出が悪いなぁ」と植木屋の親爺さんが嘆いていた。
その親爺さんの話によると、以前は午前3時頃まで賑わったが、最近は午後10時を過ぎると人通りがなくなって、店の数も減ったという。


 それでも傘をさして訪れる人の中には、浅草の綺麗どころの姿も混じっていた。近くには三業会館があり、見番といってお座敷が掛かるとここから派遣されるのだそうだ。


三業会館前の市です

 幇間(ほうかん)と呼ばれる、いわゆる太鼓持ちも現在4名いるそうだが、すべて浅草花街に属しているという。

 この市は6月の最終土・日(24・25日)にも開かれ、この通りには料亭もあり、浅草のもう一つの下町情緒が味わえます。
興味のある方はぶらり下町散歩はいかがですか。
2006.05.27

光と影

2006-05-27 00:53:58 | Weblog
 
 上野不忍池で昨日から始まった「さつきフェスティバル」に行った。
鉢植えの見事なさつきが展示され、その美しさを競っている。

 盆栽としてのさつきの素晴らしさを堪能して帰る途中の公園で、男性に声をかけられた。

「この間の雨は凄かったねぇ」
「そうですね、雷もなりましたね」
「今日は大丈夫かな」
「何とか持ちそうですよ」

たわいのない会話でその場を立ち去ろうとすると、彼は言った。

「栃木から来たんだが、友達を探しているんだよ」
「どこにいるんですか?」
「この公園の中」
「えっ、どういう事?」
「ここで生活してる」
「ということは、ホームレス?」

 彼の友人は2週間前に家を出て、ここで生活をはじめたという。奥さんと一緒にいるのが嫌で出てきたそうだ。

 「連れ戻そうと思ってきたんだが、連絡が取れないんだよ」
携帯を持っているが通じないという。


 「これから探さなくちゃ」そう言って、持ってきたおにぎりを食べ始めた。(僕の大事な息子のおにぎりではない)
友達の分も持ってきているが食べるかと聞く。
遠慮したが、彼のいそうな場所を教えて(何故、僕が教えるのだろう?)その場を立ち去ると、公園内の噴水の傍にはなぜか多くのホームレスがいる。


 不思議に思いながら見ると、傍で一台のトラックから荷物を降ろしている。聞くと、キリスト教の団体が炊き出しをするのだという。


 週3回、ここで福音を説き、彼らに食事と飲み物を振る舞うのだそうだ。常時500人くらい、多い時には700人が集まるという。
もう一度彼のところに戻ってその事を告げ、友人が見つかる事を願いながら、家路についた。

 僕の知り合いに、ホームレスの終末ケアーの施設を運営している人がいる。過去に2度ほどその施設を訪れ、微力ながら届け物をしたことがある。
彼のような高い志は持つべくもないが、それまでホームレスに何の関心もなかった僕に、一つのきっかけを作ってくれた人でもある。彼の事はいつか取り上げようと思っている。


 ホームレスと一言では片付けられない、彼らには彼らの事情もあるようだ。


ここには人生の光と影が渦巻いている。

注・このテントは僕の住まいではありません、ここは上野公園ですので、念のため。
2006.05.27

夏は来ぬ

2006-05-25 23:27:03 | Weblog
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-夏は来ぬ-

佐佐木 信綱 作詞   小山 作之助 作曲

1 卯の花の におう垣根に
時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて
しのび音もらす
夏はきぬ
 
2 五月雨の そそぐ山田に
早乙女(さおとめ)が 裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる
夏はきぬ
 
3 橘の かおる軒ばの
窓ちかく ほたるとびかい
おこたり諌(いさ)むる
夏はきぬ
 
4 楝(おうち)散る 川辺の宿の
門(かど)遠く 水鶏(くいな)声して
夕日涼しき
夏はきぬ
 
5 五月闇 ほたるとびかい
水鶏鳴き 卯の花咲きて
早苗植えわたす
夏はきぬ


 今日(25日)の東京は青空が広がり陽射しも強く、まさに「夏は来ぬ」であった。
風はひんやりと爽やかで肌に心地良く、五月晴れの下、卯の花が匂うが如く咲いていた。
子供の頃から歌っていた「夏は来ぬ」の卯の花が、この花だということを今日初めて知った。

 卯の花とはウツギの別称でもあり、その花のことを指すらしい。
しかしこの花に香りはない。
花が匂うとは、我が辞書によると「美しく照り映える」という意味で、匂いのことではなさそうである。


マウスオンでご覧下さい、こんな花です

 純白の美しい花を咲かせる卯の花、花言葉は古風・風情・秘密 だそうで、この花を詠んだ歌も多いとか。ほとんどが時鳥(ホトトギス)とセットで詠まれているらしい。

 また豆腐の絞り粕である「おから」のことも卯の花という。カルシウムが多く、豆腐の3倍もの食物センイを含み、便秘や生活習慣病に効果的なんだそうだ。

 ところで、美しい情景を歌ったこの「夏は来ぬ」という歌、今の季節によく歌われ、歌詞が5番まであるようだが、この歌詞の意味をよく噛みしめて聞いた事がない。また意味のわからないところもある。

 この歌詞の薀蓄(うんちく)を面白おかしく解説しているサイトがあります。曲も流れますので興味がありましたらご覧下さい。ちょっとお利巧になった気分になれますよ。

 8月生まれの僕は、暑い夏が大好き。
今日のような日はニッコリ♪して、この歌を歌いたくなる。

ps.
 雲さん、写真のデザイン・ソフト使わせていただきました。ありがとうございます。
2006.05.25

行間を読む

2006-05-24 22:06:30 | Weblog
 文章や会話には、その言葉の裏に隠された意味があることが多い。
それらを感じながら文章を読んだり、会話することは、難しい事でもあるが、より深く味わうことができ楽しくもある。
それを「行間を読む」というようだが、原稿用紙の升目には、行と行の間があいている。あれを行間というのだそうだ。

 文章にはその人の性格や、人間性があって面白い。
ブログにもそれぞれの個性や人柄が感じられて、思わずニッコリしたり、より親しみを感じたり、会ってみたくなったりしながら楽しく会話をさせていただいている。

 先日我がブログでCDのフィルムについて取り上げた。
たばこのフィルムを剥がすテープは簡単に剥がれるのに、何故CDのテープは剥がしにくいのだろう。
作り手の怠慢ではないかというような新聞記事を紹介し、僕も同感だった。

 ところが、はぐれ雲さん からいただいたコメントに限りなく納得したのでした。

フィルムが剥がれたら
新品ではなくなるので
いたずらでも
剥がれにくいようにしているのではないかと
ふと思いましたが
違いますよね(笑)

 さらに陽子さん からもこんなコメントをいただきました。

あれはいらいらしますよね。
CDのフィルムを破るための道具があるそうですね。

 この二つのコメントから、間違いなくあの剥がれにくいフィルムは意味を持っていることに気がつきました。
フィルムを剥がす道具を作るくらいなら、初めから剥がし易くすればいいわけで、店頭に並ぶCDのような商品は簡単に剥がされては困るわけだ。

 とかく自分にとって不都合なものは否定したくなる。
しかし、相手にとってはそうする意味があることに気がつかなければいけない。

 行間を読むように、相手の立場になってものを考える、それが優しさだと気づかされたコメントに、大きな感謝をしたいと思ったのです。
頭を丸めなくても丸まりそうな、洞察力と修行が足りない勿忘草でした。
2006.05.24

あゝ上野駅

2006-05-23 20:30:15 | Weblog
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ふるさとの
訛なつかし 停車場の
人ごみの中に そを聴きにゆく

-石川啄木-

 “♪どこかに故郷の香りを乗せて、入る列車の懐かしさ~”

と歌われた上野駅。数年前から急速に様変わりし、就職列車で上野駅に降り立ったあの頃に青春を過ごした年代は、今はもう熟年となって、そこに故郷の訛りなど聴く由もない。

 集団就職で「金の卵」と言われた東北地方からの若者達を乗せた就職列車の到着ホーム・18番線は、現在は使用されていないそうだ。

 駅構内には多様な店が建ち並び、わざわざ外に行かなくても、ちょっとした買い物や食事はここで間に合う。


 数日前、駅構内の本屋さんに取り寄せを頼んでおいた本が入荷したとの連絡を受けて取りに行くと、構内の広場では「はなたび北海道」なる観光案内が開かれていて、蝦夷太鼓の音が鳴り響き、何種類もの物産のサンプルをゲットしてきた。(シメシメ♪)


 待ち合わせ広場の中ほどに立つ「翼の像」の前では、修学旅行で群馬から来たという中2の生徒さん達が集合し、ここにはあの上野駅という雰囲気があった。

 
 
 中央口・浅草口を出ると、駅前には歩道橋が縦横無尽に広がり、


また高架ホームのさらに高いところにある公園口通路との大連絡橋は憩いの場ともなっているようだ。

 “♪くじけちゃならない 人生が あの日ここから 始まった~”

 この歌がわかるのは、オジサン・オバサンです。

 ゲットした北海道物産のホタテの貝柱、とろろ捲昆布、ハッカ飴、ホワイトチョコレート・ウィッチ、おいしかったぁ。
2006.05.23

粋で、いなせで、男だて

2006-05-22 01:49:10 | Weblog
 19日から3日間にわたって繰り広げられた浅草最大のイベント、三社祭は好天にも恵まれ、その熱気は最高潮に達した。
 

 三社祭最大の呼び物は、なんといっても21日(日)早朝に行われた一の宮、二の宮、三の宮の、本社神輿3基の宮出しだろう。

 境内に集まった一万人以上の担ぎ手が、交代で担ぐ神輿は「荒れみこし」と異名があるほど威勢がいい。

 しかし、1トンもある神輿の上には、最大20人近い人が乗り、重さは2倍にもなるという。
その重さで、神輿は何度も傾き落ちながら、再び担ぎ上げられると、大きな歓声と共に手を高く突き上げて手拍子をとる。
一基の神輿は担ぎ棒が折れ、取り替える作業にも手間取り、最後の神輿が境内を出たのは、宮出しが始まってから3時間半が過ぎていた。

 境内裏では、宮出しを待つ担ぎ手が今や遅しと待ちわび、 

午前6時になると、外にまで溢れて出番を待つ彼らは、あちらこちらから一斉に境内目指して進んで行く。

 3日間にわたって行われた三社祭最終日の21日(日)の浅草は、大人も子供も、男も女も、町中が祭り一色に塗りつぶされ、午後8時を過ぎた宮入で、真夏のような熱気に包まれた一日が終わったのでした。
 
 
 

 画像のどこかに、浅草ならではのちょっと怖いサプライズが隠れています。マウスオンしてみてください。

三社・神輿・夏祭り

2006-05-20 23:57:12 | Weblog
 浅草が一年で一番賑うこの日がやってきた。
夏の訪れを告げる浅草最大の行事、三社祭りは好天に恵まれ、今日29日(土)浅草寺境内に町内神輿が勢揃い、午後12時半過ぎから連合渡御が行われた。

 その熱気を伝えるのに下手な言葉は要らない、ご覧ください。
 
 
 
 
 
 
 

 本来、神聖であるという理由で、神輿の上に乗ることは禁じられているが、この神輿だけは特別のようだ。

 

 ここで繰り広げられる祭りは、まさに男の世界である。
2006.05.20

風の盆

2006-05-19 20:13:36 | Weblog
-風の盆-

悲しい時は 目を閉じて
八尾の秋を 思い出す
日が暮れた 坂道を
踊るまぼろし 影法師
おわら恋しい 風の盆

あんな哀しい 夜祭りが
世界のどこに あるだろう
足音を 忍ばせて
闇にしみ入る 夜泣き歌
君に見せたい 風の盆

哀しい人は みんな来い
八尾の町に 泣きに来い
夜流しを 追いかけて
下駄の鼻緒も 切れるだろう
夢かうつつか 風の盆

-作詞 ・ なかにし礼ー

 菅原洋一さんが歌うこの歌、僕の好きな歌の一つである。
その話をしたことを覚えていてくれて、今日この歌の入ったCDをいただいた。皆さんが良くご存知のある人からである。


 菅原洋一ファンである僕は、彼のほとんどの歌はライブラリーにあるが、この歌だけはなかった。
家に帰って急いで封を切り、早速聞いたのは言うまでもない。
早く聞きたいと思うが故、なかなか封が開かない。CDケースを包むフィルムをはがすテープの端がわかりにくく、うまくはがれないのである。
やっとはがして聴く彼の歌はやはり我が年代には落ち着く。


☆以前こんな記事が新聞に載っていた

 CDを買うたびにイライラすることがある。CDケースを包むフィルムをはがすための開封テープ。あのテープがうまくつかめないのだ。

 まずテープの端がどこにあるかわかりにくいし、本体のフィルムとくっついて、つめでこすっても一向にはがれない。業を煮やしてカッターでフィルムを切れば、本体のケースを傷つけてしまうことさえある。

 発売を待ちかねて買ったCDも、こんなことがあると聴こうという気持ちはかなりなえる。
せっかくの楽しみに水を差される思いだ。

 同じ開封式でも、たばこの場合はこんなことはない。暗がりの手探りでもテープの端がすぐわかり、引っ張れば実に気持ちよくクルリとはがれる。
日本たばこ産業に聞くと、テープには特許も何もないが「つまみの長さや形状に長年の経験がありますから」と、余裕の答えだ。

 CDメーカーには嫌味かも知れないが、日本たばこ産業のコメントを紹介する。
「たばこはリラックスするためのもの。その最初にストレスがあってはいけません」
                    
朝日新聞編集委員・篠崎弘さん

 洋一さんの歌でリラックスした今宵は、久しぶりに早寝することにしよう。
-Good-night-
2006.05.19

ダンスは心

2006-05-18 23:28:59 | Weblog
 我がダンスホール、平日の昼間はサービスとして、持ち込み自由、料金も半額とあって利用者も多い。
月数回、片道3時間かけて茨城県から踊りに来てくださる、70代半ばのお客様がいる。
一人で来る事もあるが、お友達を誘って朝5時起きで来るそうだ。

 居を東京から移して数年、田舎の生活になかなか馴染めず、ご主人を亡くして精神的に落ち込んだ末、3年ほど前からダンスをはじめたが、仲間同士で踊るにも誘いがないという。
そこで一念発起、東京へ踊りに来る事にしたそうだ。

 縁があって、僕が踊り始めて1年半ほどになる。大きなリュックを背負って、お弁当と飲み物持参、「やっぱり東京はいいわぁ」と言って一日楽しんで帰る。

 「私、ダンスは幼稚園児だから、誰も誘ってくれないの」そういいながら、上手くなりたいという。
しかし、楽しんでもらいながら上手くするには、年齢的なことを含めなかなか大変である。

 時々「私、怒られるためにわざわざ東京へ来るみたい」などと泣き言をいうこともあるが、次に来るときには、地元のサークルで「上手くなったけどどうしたの?」と不思議がられる、と喜んでくれる。

 社交ダンスは二人で踊るもの、お互いが自分勝手に動いては成り立たない。
特に女性に於いては、男性のリードを感じて踊らなければならないが、習い始めの人の多くは、ステップが気になり、男性の動きに関係なく動き出してしまう人が多い。


今日の彼女との会話です。

「僕より先に行ってしまってはダメですよ」 
「あらぁ~」 
「行くときは一緒です、ご主人にもそういわれたでしょう」 
「・・・?」 
「一人だけ先に行ってはいい気持ちになれません」 
「そんなこと、もう忘れたわよ」 
「じゃぁ思い出しましょう」 
「エッチねぇ~」 
「ダンスの話ですよ」 

 美しく踊るためには、無駄な動きを省いて、コントロールされた動きが要求される。
とかく初心者にとっては、身体を大きく動かすことがいいと勘違いしがちである。

「そんなに暴れてはいけません」 
「・・・」 
「もっと品良く、都会的に踊りましょうよ」 

彼女には少し田舎蔑視がある。

「それでは田舎者の踊りですよ」 

途端に動きが変った。


 ステップを踏むときは、一度体重の乗っている足にひきつけてから、もう一方の足を出さなければいけないのだが、ステップに気を取られると、足ばかりが先に出てしまいガニマタになりがちである。

「そんな足の出し方では、品がありません」 
「そうかしらぁ」 
「そうです、それではお相撲さんがシコを踏んでいるようですよ~」 
「ガハハハハァ」 
「品良く、お姫様のように踊りましょうよ、お局様になっちゃダメです」 

 動く事だけに気を取られていた踊りが、形を気にするようになり、急におしとやかな踊りになった。

 技術的なことをいってもなかなか理解してもらえない。
ダンスは性格が表れます。踊りを見たり、一緒に踊る事でおおよその性格がわかります。
心理的な部分をくすぐることで、思いがけない効果を生む事がある。

 一踊りした後の食事の時間、地元で採れたメロンのお土産をいただいた。

「ちょうど食べごろよ」 
「そう、○○さんのようだね」 
「まぁ、うまいこといって、じゃぁ食べてみる?」 
「う・うん、今おなかいっぱい」 
 
 5時間ほど楽しんで「また来週来ます」と言って帰路についた二人連れでした。
2006.05.18

野菊の如き 君なりき

2006-05-17 22:55:20 | Weblog
 秋の野を彩る花の一つに野菊がある。
伊藤左千夫の処女作である、15歳の少年・政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描いた悲恋の物語「野菊の墓」のあの花である。


 春になると道端のどこにでも当たり前に咲いているこの花。名前まで気にしたことはなかった。
野菊かなとも思っていたが、野菊は秋の花・・・。ではなんだろう。

 昨日「はなせんせ」に投稿しておいたこの花の名前がわかりました。
北米が故郷といわれる「ハルジョオン」(春女苑)というそうです。
ハルシオン(春紫苑)ともいわれ、「シオン」の仲間だそうだ。
(注・睡眠薬のハルシオンとは違います)

 そういえば、野草の好きな姉が、メルアドに(shion)という名を使っていたっけ。この仲間だったのか。


 僕が「はなせんせ」に投稿した写真は、ご覧のように少しピンボケです。それにもかかわらず、今日2つのコメントが届いていました。

-YAMさん-
ハルジョオンではないんですか

-ベラドナさん-
お写真に似たものにYAMさんが仰るように
ハルジオンとヒメジオンがあります
茎を切ってみて中空(ストローのように)ならハルジオン
またヒメジョオンは花時に根出葉が枯れているようです


(文は投稿されたままです)

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-しおん-

ほんとうの ことなら
多くの言葉はいらない

野の草が 
風にゆれるように
小さなしぐさにも 輝きがある

-星野富広さん-

 コメントからネットで調べた結果、「ハルジョオン」とわかりました。

 この花のように「シオン属」や「ヨメナ属」「キク属」などは、野菊の仲間であり、秋の花とは限らないようです。
我が野草の本によると、「見る人が野菊と思えば、それが野菊、という自由な楽しさがこの言葉にはあるようです」と結んでいる。
2006.05.17

はなせんせ

2006-05-16 20:43:52 | Weblog
 緑萌え花咲く季節。公園にも、路傍にも、そして庭の片隅にも、名も知らぬ花が咲いている。散歩をしていて見つけた可憐な花、そんな花の名前を知りたいと思ったことはありませんか?

 携帯電話付属カメラで撮った木や花の写真を投稿すれば、名前を教えてくれる無料の携帯専用ウェブサイトがあります。

 その名も「はなせんせ」。一度利用登録をしておくと、掲示板利用はじめ、あらゆる植物情報(名前・解説・分布・画像・栽培etc)を無料で見ることができます。

 まず登録を済ませ、携帯に保存した花の写真と、その花に関する情報を添えて送ります。
ウエブサイトからその花の掲載通知が送られてくると、サイトに掲載され、写真を見た会員や、植物の専門家の方たちから、2~3日でそのサイトに答えが返ってきます。


 やってみました「はなせんせ」
携帯で撮ったこの花の画像を『■画像BBS→教えてはなせんせ』に投稿したところ、間もなく会員のYAMさんから「ツルニチニチソウ」ですよ、という答えが返ってきた。

 携帯の「お気に入り」や「ブックマーク」にこのサイトのアドレスを登録しておけば、いつでも呼び出すことができ、様々な植物情報を見たり、名前を教えてもらうことができる。

 携帯からウエブサイトへのアクセスに不慣れな僕は、手順に戸惑ったので、このサイトを運営するaboc社の事務局に電話(0467-45-5119)したところ、事務局長の森 弦一さんが出られて、丁寧な説明と案内をして下さった。
森 弦一さんは、植物や自然史などが得意な編集者だそうです。
「植物も友達と同じです。正確な名前で呼んで親しんで欲しい」と話しているという。

 野に咲く可憐な花、街角で見かけた美しい花、恋人からいただいた珍しい花の名、あなたも知りたいとは思いませんか?
2006.05.16

おばあちゃんの原宿

2006-05-15 09:31:53 | Weblog

 少し前、原宿は若者文化の発祥の地でもあった。今、巣鴨地蔵通りはお年寄りで賑わい、おばあちゃんの原宿と呼ばれている。


 巣鴨駅を降りると、まずその人の多さにビックリする。


 毎月「4」のつく日は縁日とあって、昨日14日は日曜日と重なり、約800メートルに及ぶこの通りは出店も出て、一層の賑わいをみせていた。

 地蔵通りの中ほどに位置する、とげぬき地蔵尊高岩寺山門を抜けると、「地蔵尊」と「洗い観音」がある。

 

 この洗い観音は、病気や痛いところを洗うと、効き目があると言われ、縁日には長蛇の列ができる。
以前の洗い観音はたわしで洗っていたが、あまりに多くの人が洗うため磨滅してしまい、現在置かれているのは2代目で、白い布で洗うようになったそうだ。


 お互いをいたわりながら歩くお年寄りも多く、


名物「塩大福」のお店は人だかりがしていた。

 近くには「ソメイヨシノ」の発祥の地である染井霊園があり、江戸時代にはこのあたりは植木職人が集落を作っていたという。
高村 光雲・光太郎・智恵子、二葉亭四迷等の著名人のお墓もある。
この墓を見渡せる平和霊園は、いずれ僕がお世話になることになっている。

 染井霊園付近にはたくさんのお寺があり、遠山の金さんで有名な遠山金四郎一族のお墓がある本妙寺や、水戸徳川家の菩提寺や芥川龍之介、谷崎潤一郎のお墓がある慈眼寺も近くにあります。

 お年寄りじゃなくても行っていいんですよ。
2006.05.15