勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

水無月

2007-06-30 13:38:44 | Weblog
 梅雨の季節なのに何故か6月を水無月という。水無月は旧暦6月のことなので、梅雨が明けた季節でもあるから、間違いではなさそうだ。しかしこの水無月の「無(な)」は、格助詞「の」を意味し、田に水を引く月、『水の月』という意味だそうだ。(大辞林から)
 東京地方では、梅雨に入っても一向に雨が降らない。降ってもすぐに止んでしまう。まさに水無し月である。
 今日で4日連続の真夏日だそうだ。暑い夏が好きな僕にとっては歓迎であるが、困る人も多いだろう。
夏空には黄色い花がよく似合う。
明日から7月、紫陽花に代わって主役の座を狙うこの花、ひまわりではありません。
 ひまわりより花が小さいから、こまわりといいます。嘘です。花の名前がわかりません。キバナコスモスかもしれない。

ひまわり王子

2007-06-29 01:34:52 | Weblog

「小僧くん、ひまわりの帽子とシャツが可愛いねぇ」 

「これはね、ボランティアのお姉さんが作ってくれたんだよ」 

「とってもよく似合ってるよ」

「おじちゃんありがとう♪」

「どこかの王子様みたいだねぇ」

「僕のこと“ひまわり王子”って呼んで!」

「おしっこしてる王子様かぁ」

「だって、梅雨なのに雨が降らないから、雨の代わりにおしっこしてるんだよ」

「そっかぁ! おじちゃんは“尿漏れおじい”だねぇ」

「おじちゃん、おもしろいのは顔だけじゃないんだね!」


「それにしても王子のおしっこは勢いがいいな~」

「でも、二ヶ月前にはおしっこが出なかったんだよ」

「そうか、故障 してたんだよね」

「だから、そのぶんたくさんしてるんだ」

「おじちゃんなんか、ず~っと故障したままだよ」

「そうなんだ、役に立たなくなっちゃったんだぁ」

「オイ!」


「王子、また来るからね」

「おじちゃん、待ってるから、必ずきてね!」 

「バイバイ!」

熊蜂の飛行

2007-06-28 03:08:08 | Weblog
 体の大きさと羽音から、熊蜂と呼ばれる蜂がいる。あのスズメバチとは違い、おとなしく、人を襲ったりはしないそうだ。

 正しい名前を「マルハナバチ」というらしいが、丸々としたその愛らしい姿は、ぬいぐるみのようでもある。
 
 カメラを向けても、一向に知らん顔、蜜を吸っては花から花へと飛び回り、ブンブンという大きな羽音は、あのリムスキーコルサコフの音楽 『熊蜂の飛行』 そのものである。

 その昔、ロッキード事件で証言に立った、当時の首相秘書官夫人の「蜂の一刺し」は、話題を集めたものだった。

 「虻(あぶ)蜂獲らず」という言葉がある。意味は「二兎を追うもの一兎をも得ず」と同じで、クモの巣にかかった虻と蜂の両方を獲ろうとした蜘蛛が、どちらも逃がしてしまうことからきた言葉だそうだ。僕のことをいわれているような気がする。しかし、それ以前に誰も僕の巣にはかかってくれないし・・・。

半夏生

2007-06-27 00:02:20 | Weblog
 一年で昼がもっとも長く、太陽が一番高く昇る日、それが夏至。6月22日がその日だった。
 その日から数えて11日目、正確には天球上の黄径100度の点を太陽が通過する日の7月2日頃を、半夏至(はんげっしょ)または、半夏生(はんげしょう)というらしい。難しいことはわからないが、農業従事者には大切な節目の日なのだそうだ。
 その頃に花が咲き、葉の半分が白く“化粧”することから、『半夏生』または『半化粧』と呼ばれるようになったという『はんげしょう』が厚化粧(?)を始めた。
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 この花は小さくて花弁がなく、ひも状の柄につながるようにつくが、花があまりにも地味なため、昆虫を誘うことができないという。そこで花に近い葉の半分ほどを“半化粧"させて昆虫を引き寄せようとするのだそうだ。-『野草の名前』(山と渓谷社)から-
女性の厚化粧と同じ理由があったのか♪(あれっ、女性を敵に回したかな?)

葉の形からして、ドクダミの親戚らしい。

スター誕生

2007-06-26 01:09:14 | Weblog
 日本にカラオケの文化が定着してどのくらい経つのだろうか?僕が今の仕事をアルバイトとして始めた、四十年に近い三十数年前、仕事が終ってからお客様とナイトクラブなどに出かけて、生バンドや弾き語りによる音楽で踊ったものだ。馴染みになると、そのバンドや弾き語りのギターをバックに歌わせてもらえた。

 30歳を少し過ぎてダンスが本職となったころ、夜の遊びはカラオケに代わった。仕事が終ってから毎晩のようにカラオケ店に出かけては、空が白むまで遊んだこともしばしば。今となっては懐かしい思い出である。

 ホール新世紀では、13年ぶりにお客様サービスの一環として、生バンドによる「生オケ大会」が開かれた。生バンドで踊れるお店も少なくなったが、生バンドを背に歌うことは、歌好きにとっては夢のようなことに違いない。

 13年前までは、恒例のイベントとして毎年のように行われ、僕も2度ほど歌わせてもらったことがある。昨夜は5組のお客様により自慢の歌声を披露していただいたが、許可をいただいた4組の方の歌う姿をご覧いただき、歌声をお届けできないのは残念ですが、雰囲気を感じていただければ幸いです。

次の機会にはあなたの参加もお待ちします。

羊頭狗肉

2007-06-25 09:27:13 | Weblog
 店の看板に羊の頭を掲げて客を呼び、実際には犬の肉(狗肉)を売っていたという意味の『羊頭を掲げて狗肉を売る』という中国の故事がある。見かけを立派に飾って内容の虚偽、貧弱さをごまかす。看板に偽りがあることをいう。

 牛肉と偽って豚肉を混ぜていた牛ミンチ偽装問題の会見で、はじめは言い訳ばかりしていた食品加工卸会社の社長は、長男に促され仕方なく自分が関与していたことを認めた。
この会見で、父親に真実を話すことを促した息子さんの毅然とした態度が、僅かな救いであった。これを『鳶が鷹を産む』というのだろうか。『鳶の子鷹にならず』という諺もあるが・・・。

 食品会社のずさんな管理やごまかしがあとを絶たない。雪印食品や、不二家の不祥事もまだ記憶に新しい。

 雪印集団食中毒事件では、当時の社長が会見延長を求めた記者に「私は寝てないんだ」と答え、ひんしゅくを買い、信用失墜に拍車をかけた。僕は未だに雪印の製品は買わない。これからも買わないだろう。不二家の製品も事件後に買っていない。
迷惑なのは豚肉である。豚肉が悪いわけではないのに、トンだ悪役になってしまった。

◇ 豚 ◇

なんだってそんなに
あわてるんだ
早く大きくなって
何が待っているというんだ

子豚よ
そんなに急いで
食うなよ
そんなに楽しそうに
食うなよ

-星野富弘さん-

八重咲き

2007-06-24 00:11:35 | Weblog

  人にものを頼んだり詫びたりするとき、丁寧に膝を折り頭を下げる。その膝をさらに折るという意から、丁寧なうえにもさらに丁寧に頭を下げ、礼を尽くすことを『七重の膝を八重に折る』という。

 不祥事が発覚すると、みな始めは知らぬ存ぜぬと言ってしらを切る。嘘が通らなくなると一転して、平身低頭お詫びを始める。どんなに七重の膝を八重に折ったとしても、そこに誠意など微塵も感じられない。テレビでニュースを見ていると、毎日のように、頭を下げる経営者や政治家の姿を見るが・・・。
 その名前と匂いから、嫌われものの代表のような草花がある。その花「ドクダミ」に、八重咲きがあることをはじめて知った。 みんなに嫌われながらも健気に咲くドクダミは、八重になってまで、好かれようとしているのだろうか。

◇ ドクダミ ◇

知らなかったよ
こんなにきれいだったなんて
そぐそばにいて
知らなかったよ

-星野富弘さん-

 昭和天皇にお仕えした、侍従の入江さんのお話だったと思うが、陛下のお留守に庭の雑草をきれいに処分し、お帰りを待った。その庭を見た陛下からお呼び出しがあり、お褒めの言葉をいただくものと思ったら、お叱りを受けたそうだ。
どんな草にも命があるのだから、そのままにしておきなさい、というお叱りだったという。 口から毒ばかり吐く僕にも、生きる価値あるかなぁ?

利休鼠

2007-06-23 01:15:23 | Weblog
 東京地方は梅雨入り発表当日の雨以来、一週間ぶりの雨になった。しかし降ったり止んだりの雨は、宵の口には上がり、梅雨空は長続きしないようだ。


-城ヶ島の雨-

雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨がふる

雨は真珠か 夜明けの霧か
それともわたしの 忍び泣き

舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡れて帆上げた ぬしの舟
ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる
唄は船頭さんの 心意気

雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ

-北原白秋・作詞  梁田 貞(やなだ ただし)・作曲-
 蓮の葉が繁る不忍池の雨は、池のキャンパスに美しい波紋を描き、「雨は真珠か 夜明けの霧か それとも私の しのび泣き」と歌っていた。白秋が詠った利休鼠の雨 とは、こんな色の雨をいうのだろうか?
 仕事仲間に「城ヶ島の雨」の話をすると、この歌を知らないし、聞いたこともないという。彼は40代半ばを過ぎている。「えっ!嘘だろう?」、「バラ色」のときと同じ言葉を叫んだ。側にいた彼と同年代の仲間にも聞いた。やはり知らないという。僕にとってこの城ヶ島の雨は、日本人なら誰でも知っている歌だと思っていた。アルバイトの大学生にも聞いてみたが、当然のことながら、誰も知らなかった。ちなみに、僕と同世代の人はほとんどが知っていた。
 先日の「バラ色」についてもそうだが、どうも僕には思い込みがあるようだ。その思い込みには、世代のギャップと、自分がいかに若い人を理解していないかを思い知らされる。

て・に・を・は

2007-06-22 01:57:27 | Weblog


知床の岬に はまなすの咲く頃
思い出しておくれ 俺達のことを
飲んで騒いで 丘に登れば
はるか国後(くなしり)に 白夜は明ける


♪♪
旅の情けか 酔うほどに さまよい
浜に出てみれば 月は照る波の上(え)
今宵こそ君を 抱きしめんと
岩影に寄れば ピリカが笑う

 知床旅情にも歌われたハマナスの花。茄子ではなく、実が梨に似ていて、海岸の砂地を好んで生育することから「なし」がなまって「なす」となり、「ハマナス」と名がついたという。日本では北海道に多く見られるらしい。

♪♪♪
別れの日は来た 羅臼(らうす)の村にも
君は出て行く 峠を越えて
忘れちゃ嫌だよ 気まぐれ烏(カラス)さん
私を泣かすな 白いカモメを
白いカモメを

 森繁久弥さんが作詞・作曲したこの歌、原題は「さらば羅臼」というそうだが、加藤登紀子さんが「知床旅情」というタイトルで歌いヒットした。このとき3番の歌詞の最後のフレーズを、はじめは「白いカモメよ」と歌っていた。僕の持っているCDでは、そう歌っている。ところが原詩は「白いカモメを」だったらしい。

 「よ」「を」のたった一字の違いで、この歌の意味はまったく違ってしまう。「白いカモメよ」と歌うと、“私を泣かすな”の「私」は白いカモメに問いかけている“カラス”のことに取れる。しかし気まぐれなカラスさんが、白いカモメに「私を泣かすな」はないだろう。
やはり気まぐれなカラスさんに、白いカモメが「私を泣かさないでください、この白いカモメの私を・・・」というほうが納得がいく。加藤登紀子さんは後に「白いカモメを」と歌っている。

 助詞の使い方一つで意味が大きく違うことが面白い。犬が人に噛みついてもニュースにはならないが、犬に人が噛みついたらニュースだ、とはよく言われることだが、勿忘草が暴言を吐いた人に噛みついたら、誰か手助けしてください。勿忘草が暴言を吐いたら、誰か噛みついて下さい。

 我がブログの友「禰里吉さん」の話によると、口から+(プラス)も-(マイナス)も出すと「吐く」になり、+(プラス)だけを出すと「叶う」になるそうだ。

待つわ

2007-06-21 00:22:35 | Weblog


かわいいふりして あの子
わりとやるもんだねと
言われ続けた あの頃 生きるのが辛かった
行ったり来たり すれ違い あなたと私の恋
いつかどこかで 結ばれるってことは
永遠(とわ)の夢
青く 広いこの空 誰のものでもないわ
風に 一片(ひとひら)の雲 流して流されて
私 待つわ いつまでも待つわ
たとえあなたが 振り向いてくれなくても
待つわ(待つわ) いつまでも待つわ
他の誰かに あなたが ふられる日まで
 梅雨入り宣言はされたものの雨も降らず、毎日真夏のような暑さに、上野公園の不忍池では、紫陽花が雨を待っているかのように、水を求めて咲いていた。
 気象庁には「関東地方の梅雨入りは本当か」という問い合わせが相次いでいるという。

♪♪
悲しいくらいに私 いつもあなたの前では
おどけてみせる道化者 涙なんていらない
分かりきってる強がり 平気で言ってみても
一人ぼっちの時には そっと涙を流す
誰も 私の心 見抜くことはできない
だけど あなただけには わかってほしかった
私 待つわ いつまでも待つわ
たとえあなたが 振り向いてくれなくても
待つわ(待つわ) いつまでも待つわ
せめてあなたを 見つめていられるのなら

待つわ いつまでも待つわ
たとえあなたが 振り向いてくれなくても
待つわ(待つわ) いつまでも待つわ
他の誰かに あなたが ふられる日まで

-あみん-
 雨を待っているのは、紫陽花だけではないようだ。池一面に葉を広げた蓮も、雨に降られる日を待っているようだった。

黒い花びら

2007-06-20 01:22:42 | Weblog

◇ 黒い花びら ◇

黒い花びら 静かに散った
あの人は帰らぬ 遠い夢
俺は知ってる 恋の悲しさ 恋の苦しさ
だから だから 
もう恋なんか したくない 
したくないのさ

-作詞: 永六輔さん  作曲: 中村八大さん-

初めて見る花です。「くろばなろうばい」というそうだが、神秘的で不思議な花だ。

 黒はマイナスイメージが強い。腹黒、黒幕、暗黒、黒星、容疑者をいう黒、など、邪悪な意味で使われることが多い。

 黒のつく歌も多く、「黒い花びら」をはじめ「黒い落ち葉」「黒の舟歌」「黒百合の歌」「黒い瞳」。映画にもある。「黒い水仙」「黒いチューリップ」「黒いオルフェ」など、歌や映画での黒には妖しげな雰囲気が漂う。

 負のイメージの黒だが、日本女性の髪を、みどりの黒髪、髪はカラスの濡れ羽色などと、文学的な表現にすると、なんとも素敵な色に変わる。みどりとは新芽などのように、瑞々しさを意味する言葉で、「みどり児」などとも使い、色の緑とは違うらしい。
 負の要素をたくさん持っている僕だが、あえてそれを隠さず、ありのままの姿でいるほうが気が楽であり、疲れない。この花のように魅力的にはなれないが、自然体でいることが、負を正に変えることもあるかもしれない。ないかな・・・?

優しさ

2007-06-19 00:26:58 | Weblog

◇ 朝日新聞のコラム“ひととき” から ◇

 夕方、バスに乗った。乗車口の近くに車椅子に乗った青年がいた。私は週2度ほどバスに乗るが、車椅子の乗客と乗り合わせるのは初めてだった。
 病院に着くと、運転手が車外に出てステップを出し、彼を降ろした。「どうしよう、手を貸さなくていいかしら」と思いながら、立てなかった。
 病院はバス停の目の前だが、通行量の多い道路を渡らなくてはならない。運転手は「大丈夫ですか」と彼に確認した後、ステップを収めて車内に戻った。すべてがてきぱきと早かった。
 だが、運転手が車椅子を置くために倒してあった座席を戻そうとしたとき、後方から中年男性の大きな声がした。「早く車を動かせよ、みんな早く帰りたいんだから」
 私をはじめ、何人かの乗客が驚いて振り返った。なんてひどいことを言うのだろうと、非難のまなざしで。運転手は、座席をそのままにして、急いで運転席に戻った。
 別の男性が「そんなこと言わなくてもいいだろう、事情があるんだから」と言ってくれた。彼と目が合った私はうなずき、同感だと意思表示をした。
 次のバス停が私の降りる所だった。何もできなかった私は、いろいろな思いをこめて、「どうもありがとうございました」と、車内に響く大きな声で運転手に言って降りた。

(千葉県柏市 主婦 66歳)


 もし僕がここに乗り合わせていたら、間違いなく、暴言をたしなめた男性と同じようなことを言っただろう。この男性に遅れをとったとしても、拍手をしてこの男性を称えたと思う。こんなとき声を上げることに勇気がいることはよくわかる。少なくとも拍手で後押しができないものか。そんな拍手が車内に広がったら、その日は幸せな気分になれそうな気がする。


 友人が病気で動けなくなったとき、車椅子を押したことがある。車椅子を停めて他の作業をしようとしたとき、ストッパーを使わなかったため、少しの坂で車椅子が動き出した。
 また、車椅子を押して歩道を歩いているとき、そばを通る自転車に危険を感じた。それ以来、自転車で車椅子のそばを通るとき、ゆっくりと走ることにした。
 少しの段差でも不都合だ。道路に多くの段差があることにも気がついた。何故こんなに段差が必要なのだろうか。

 自分が経験をして始めて気付くことがある。障害を持つ人 には、健常者には気がつかない不都合があるだろう。弱い立場の人に優しい人間でありたい。経験からそう思えるようになった。
睡蓮の花言葉は「優しさ・信頼」だそうです。

沙羅双樹

2007-06-18 00:27:16 | Weblog
ふと見上げた夏の空に真っ白な花。   

椿・・・?
 椿は木偏に春と書くが今は夏。この花、沙羅双樹といわれることもあるらしいが、本当はナツツバキというそうだ。

 釈迦の病床の四方に二本ずつ対峙して生えていたという沙羅の木、だから沙羅双樹。釈迦が入滅したとき、鶴のように白く枯れ変じたという。(大辞林)

 沙羅双樹は日本の気候では育たないという。ナツツバキがこの沙羅双樹に似ていることから、沙羅の木と呼ばれるようになったとか。


祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理(ことわり)をあらはす
おごれる人も久しからず
唯春の夜の夢のごとし
たけき者も遂にはほろびぬ
偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ

-平家物語(巻第一・祇園精舎)より-


『やき場と田んぼ』
-ある日のYさんのことば-

相田さんなぁ
おれんちのたんぼはさ
あのやき場(火葬場)の裏にあるだんべ
だからさ たんぼにいるとね
必ずやき場の煙を見るんだな
そのたびにさ 思うんだよ
「ああ 今日もだれかが焼かれているな・・・」
ってさ

やき場の垣根のすぐそばで
稲刈りなんかしてるとさ
家族の泣き声なんか聞こえてくる
ことがあるんだな
そん時さぁ
おれ つくづく考えちゃうんだな
人間死ぬときには
なんにも持ってゆけないッてことをさ
どんな財産だって地位だってよ
可愛い女房子供だって
みんな置いてゆかなきゃあ
ならねんだもんな

おらあなぁ
やき場の裏にたんぼ持ってるおかげで
人生観が変わったな

人間にとって
何が一番大事かッてことがさ
やき場の煙り見るたびに
教えられるんだなぁ

相田さんよぉ
人間生きているうちに
少しでも人のために
いいことしておくことだなぁ

日頃明るいYさんが
やき場の煙突を見ながら
ある日 しみじみともらしたことばです

-相田みつをさん-


◇なつつばき◇

空を飛ぶ鳥も白い花も
いつか土に帰る
火も灰も水もごみも
すべて受け止め
沁み込ませる土

土の上に私は立っている 
うじ虫と花の種を宿す
土の上に生きている

-星野富弘さん-

Only one

2007-06-17 01:36:50 | Weblog
 母の日にカーネーションを贈るように、父の日にはバラを贈るのだそうだ。知らなかった。

 作家の武者小路実篤は、2歳で父親をなくした。優等生の兄と違い暴れん坊の実篤は、病気で寝ている父の枕元をドタバタ歩き母に注意されたが、父は言った。「元気に歩いているのを喜んでいるのだ。しかるな」と。
また父は死ぬ直前、実篤を抱き「この子はよく教育してくれる人があったら、世界にひとりという人間になるだろう」と言った。これほど実篤を勇気づけた言葉はなかった。成績で人間は測れない。自分は世界でたった一人の人間になろう。実篤は一生涯、父の言葉を胸に刻んで生きてきた。

-朝日新聞≪実篤の父のことば≫(茨城大准教授・磯田道史さん)から抜粋-

SMAPのヒット曲「世界に一つだけの花」で作詩の槇原敬之さんは言っている。


そうさ 僕らも
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい

小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから
NO.1にならなくてもいい
もともと特別なOnly one

 父が他界して何年になるだろう。兄弟が多く経済的にも大変だったろうと、今になって思う父に、学校へ行かせてくれと、泣いて頼んだことがある。父は言った「松下幸之助をみろ、小学校しか行ってないけど、あんなに立派になっただろう」。僕は言った「だって僕はお父さんの子供だよ!」。 可愛くない子供でした。

真夏日

2007-06-16 01:15:17 | Weblog
 14日、関東甲信越地方の梅雨入りが発表された。午後から降り始めた冷たい雨は、夜更けまで降り続いた。
 眼を覚ますと真っ青な夏の空。気温はぐんぐん上がり、今年初めての真夏日となる。しかし、前夜の雨のためか、澄んだ空気と爽やかな風は肌に心地よく、暑さを感じさせない
 どこからか甘い香りが漂ってくる。あたりを見回すと、真っ白なくちなしの花。こんなとき、わけもなく小さな幸せを感じる。それは生きているという実感なのかも知れない。


小さな幸せ それさえも
捨ててしまった 自分の手から
くちなしの花を 花を見るたび
淋しい笑顔が また浮かぶ
くちなしの白い花
お前のような 花だった
 
 
◇ くちなし ◇

鏡に映る
顔を見ながら思った

もう
悪口をいうのは
やめよう

私の口から出た
ことばを
いちばん近くで
聞くのは
私の耳なのだから

-星野富弘さん-