勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

うるう日

2008-02-29 21:52:55 | Weblog
 今日2月29日はうるう日である。その年をうるう年というが、この1日は損したのだろうか、得したのだろうか?
 うるう年とは閏年と書く。閏(うるう)とは、余分の月日という意味だそうだ。1年は365日と6時間弱、1日に約1分づつ余ることになる。その余りが4年に1度の今日の1日。

 閏の字は、門+王だが、そもそもは玉で財貨の意味。門内に財貨があふれて家が潤うの意味から、うるおう月日でうるう年となった、と漢語辞典にある。ということは、この日は潤いの日であるから、得したと考えて心に潤いを持つのが正解か? 

ところで2月29日生れの人の年齢はどうなるのだろう?

 ご心配なく。「年齢計算ニ関スル法律」によると、「年を単位として期間を定めた場合には、起算日の応当日の前日に期間が満了する。ただし、応当日がない時はその月の末日を満期日とする」とあり、誕生日の前日が終了する瞬間に年齢が変わることになる。うるう日に生れた人は、応当日(2月29日)がなくても、ただしが適用されるので、2月28日が終了した時点で、年齢はひとつ増えることになる。しかし4年に1度しか誕生日がないわけだから、当然誕生日のお祝いもなく、プレゼントもない。損することになる。

 僕にとっては、年をとるのが一日遅くなるのだからやはり得したことになるのかな♪

愛の涙

2008-02-27 23:45:29 | Weblog

愛の涙に やさしく濡れて
咲くが女の いのちなら
なぜに散らした あの夜の風よ
今は帰らぬ 夢かなし

 僕が生れて間もないころの歌、「麗人草の歌」である。長く生きていると、今は帰らぬ悲しい夢もある。愛の涙を流したことがあったかどうかは忘れたが、古い歌に詩の良さを感じるのは、年寄りの証拠か?

 昨夜、愛の涙を久しぶりに見た。中国で行われている卓球世界選手権の団体戦での対韓国戦、最後の5番手に出場した福原愛選手、準々決勝進出がかかる試合だ。最終ゲーム9-10でマッチポイントを握られる。そこから粘ってジュースとし、逆転勝ちを納めた。その瞬間、彼女の眼から涙が溢れた。それは久しぶりに見る、愛の涙だった。一番手で出場して負けた不甲斐なさとチームへの申し訳なさが、最後の試合に勝っての感涙となったのだろう。思わずこちらもウルウルときてしまった。
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 月日の経つのは早いもの。幼かった愛ちゃんが、負ける度に流した悔し涙。可愛かったあの少女も10代最後の試合になるという。前回のオリンピック出場のとき、勝った試合でのインタビューの受け答えに、負けた相手を気遣う思いやりを感じた。

 そんな少女が久しぶりに流した涙は、やさしく濡れた愛の涙か、乙女(おんな)のいのちか・・・。スポーツで流す涙は、清々しくていい♪

江戸の華

2008-02-26 23:23:44 | Weblog
火は見てる あなたが離れる その時を
3月1日から7日までの一週間、春の火災予防運動が始まる
 
 火事と喧嘩は江戸の華といわれるが、人家が密集していた江戸の街は火事が多く、また江戸っ子は気が短く喧嘩っ早いことで知られる。そんな江戸の特色を表現した言葉だが、23日には江戸に春一番が吹き、その後も各地で春の嵐が吹き荒れている。そもそも春一番とは、その荒々しさに恐れをこめた漁師言葉だったという。風の強い日は特に火事には気をつけたい。


 また、「江戸の繁盛しぐさ」の著者、越川禮子さんによると、江戸の喧嘩にはルールがあったという。①手を出す前に、何度も相手に警告を出す。②殴るときにも、相手の肩から上には手をあげない。③周囲の人は、決着がついたと思ったら仲裁する。

 これを【喧嘩しぐさ】といい、子供のころから喧嘩しぐさを学んだ江戸っ子は、現代の子供たちのように喧嘩が殺人に繋がることはなかったという。

 わがマンションでは、先日取り上げたように、真夜中にボヤ騒ぎがあった。それから数日後、同じ部屋の住人が、水道を出しっ放しにして溢れさせ、水漏れで階下にまで迷惑をかけたという。火事を消そうとしたわけではないだろうが・・・。

 火事も喧嘩も無いに越したことはないが、このお騒がせ住人とは、以前喧嘩まがいのこともあった。ボヤ騒ぎに関して、マンションの住人への謝罪の言葉は未だにない。 

一事不再理の原則

2008-02-25 16:21:07 | Weblog
 イギリスの慣習法に、何人(なんぴと)も同一犯罪について再度の危険にさらされることはない、という原理があるそうだ。

 「人はひとつの事件で二度処罰されることはない」、という意味で、近代刑事思想の基本原理のひとつであり、これを一事不再理の原則というらしい。

 日本国憲法(三十九条)でも、「同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない」と、定めているという。


 アガサ・クリスティ原作の「情婦」(原題は「検察側の証人」)という映画があった。40年以上前の映画である。数あるアガサのミステリー映画の中でも、群を抜く面白さである。

【この結末については、どうか秘密をお守りください】

 舞台劇としての上演にも、また映画上映にも、観客に協力をお願いした文言である。そして観客はこれを守ったといわれる。出演俳優に渡されたシナリオも、結末の十数ページは欠けたままで、完成間近まで明かされなかったそうだ。

 そのほとんどが、裁判所の法廷を舞台に繰り広げられるドラマであるが、息もつかせぬ緊張感で終盤を迎える。そして、最後に起る思いもよらぬ大どんでん返しには、唖然として、席を立つ力も失うほどであった。この映画、「一事不再理」がテーマである。


 いまや伝説の女優(歌手)ともいえるマレーネ・ディートリッヒ、ショパンのノクターンが主題曲にもなった「愛情物語」のタイロン・パワー、老練のチャールズ・ロートンの三人の演技の秀逸さも見逃せない。敏腕弁護士チャールズ・ロートンの最後の言葉、「これからまた忙しくなるぞ」が耳に残る。

 ところで日本にも素晴らしい演技力を持つ一般人がいる。K.M.という人物のロス疑惑での演技力には上述の三人も及ばないだろう。そのK.M.がアメリカで逮捕されたとのニュースにビックリ。この結末、映画のような大どんでん返しが待っているのだろうか。

親切?

2008-02-24 00:46:07 | Weblog
 20年ほど前に郊外に家を建て、片道2時間近くをかけて踊りに来てくださるお客様がいる。彼女の話から・・・。

 昨年のこと、近くでの工事のための騒音のお詫びの挨拶だと、建築関係者を名乗る2人が訪れた。「屋根を見ると、だいぶ傷んでいるのでちょっと見てあげます」と言って、持参のはしごと、デジカメを持って屋根に上り、写真を撮ってきた。家に上がって、その写真をテレビに映し出し説明する。いま工事をやれば、150万円くらいでできる、と言われた。

 そろそろ屋根瓦も傷んできたので、取替え時と思った。見ず知らずの人が親切にアドバイスしてくれたので、150万円くらいなら工事を頼んでもいいと思った。主人のいるときに来て下さいと、名刺を貰う。ところがいつも主人の留守に来るので、まだ頼んでいない。


 そこまでの話を聞いた僕は彼女に尋ねた。「そのとき近所で工事があり、騒音がしたの?」。それはなかったと言う。

 「TV報道などで、お年寄りが、傷んだ家の工事と称して、莫大なお金を払わされた話知ってる?」「知ってるわ、おばあさんが、シロアリに荒らされた床下の工事に、何もしていないのに、はじめは少ない金額から、徐々に増えて、1千万以上のお金を払った話でしょ。ばかな人がいるのよね。」「その話とあなたの話と、どこが違う?」

 きょとんとした彼女「屋根と床下の違いだけ・・・?」そういいながら不思議そうな顔をしている。まだ、事の重大さに気がついていない。そこから延々と僕の説教が始まった。

 彼女、僕が説明するまで、まったくそんなことに気がついていないどころか、世の中には親切な人がいるものだと思っていたと言う。

 そして、先ほどメールが届いた。「今日は、大変な社会学も教えていただき、勉強させてくださいました。授業料納入しなくてはね。督促状くださいね~」

 「請求書、楽しみにしていてくださ~い」
 と返信した。詐欺が減らないわけだ。

反省の日

2008-02-23 01:47:36 | Weblog
 もしも、石を1㎏拾って来い、といわれたら、あなたならどうしますか?小石をたくさん拾って1㎏にしますか?それとも1㎏の大きな石をひとつ拾いますか?

 その拾ってきた石を元に戻すようにいわれたとき、大きな石を拾った人はすぐに元に戻せたが、小さな石を拾った人は、戻すことができなかった。

 教会での懺悔のとき「俺は何も悪いことをしていないから、懺悔の必要がない」と男が言ったときの牧師の教えである。

 忘れるほどの小さな罪でも積み重ねると大きな罪と同じ重さになる。大きな罪は反省ができるが、小さな罪は忘れてしまえば反省ができない。


 在沖縄米兵の少女暴行事件を受けて、在日米軍は22日を反省の日にしたという。沖縄県在住の米軍関係者は、軍人、軍属、家族を合わせて4万5千人弱いるそうだ。あとを絶たない米兵による事件は、一日の反省で無くすことができるのだろうか?

 吾が罪も、忘れてしまった小さなものも含め、あまりに大きくなって、一日や二日では懺悔できない。論語にある。【吾日三省吾身】(吾日に三たび吾が身を省みる)と。

 猿も反省するのだから、何も反省のない日を過ごしてきた吾が身を反省しよう。日に三たびは無理かもしれないが・・・。

木瓜

2008-02-22 00:20:52 | Weblog

◇ ぼけの花 ◇

やっと暖かくなった
庭に出て
太陽に
顔を向け

ポロポロと
涙を出して
遊んだ

-星野富弘さん-

 人魚が流した涙は、真珠になるという。しばらく涙を流していない。最後に流した涙はいつだろう。号泣の涙を流したこともある。慟哭の涙もあった。どちらも永遠の別れをしたときだった。うれし涙を流したことがあっただろうか。悔し涙を流したことがあっただろうか。みんな忘れた。
 冬に咲く木瓜の花は寒木瓜という。春に咲く木瓜は草木瓜、もの忘れの激しい僕は老人ボケ。そういえば、どこかに天然ボケもいたっけ。暖かくなるとボケが咲き乱れる。

いのち

2008-02-20 01:59:29 | Weblog
  昨年の2月6日、東武東上線ときわ台駅で、自殺しようとして線路内に入った女性を助けようとして、電車にはねられて亡くなった宮本邦彦巡査部長(当時)のドラマを見た。地域の人たちにあれほど愛されていたことを、奥さんは宮本さんが亡くなってから知ったという。

 いつも命の大切さを口にしていたという宮本さん。ひとりの愚かな人間によってその命と引き換えに、自分の命を落としてしまった。事故が報道された当時から、宮本さんのとった行動と勇気には胸が熱くなる思いをしていた。そしてその人間性を知れば知るほど目頭が熱くなる。

 マラソンの応援の帰り、東京駅で、ドアに挟まれたバッグを手放さず、電車に引き摺られる女性を見たとき、手でも挟まれているのではないかと思い、とっさに走り寄った。もしもあの時、手が挟まれていたとしたら、あの女性にしがみついてでも電車から引き離そうとしただろうか?多分しないだろう。しかしあの瞬間、無意識に走り寄って助けようとしたことは事実である。

 海上自衛隊の最新鋭のイージス艦が小さな漁船と衝突事故を起こした。国を護るはずの自衛艦が親子2人を海に投げ出し、未だにその行方がわからないという。艦のずさんな航行や連絡の不備、そして防衛省の相次ぐ不祥事が取りざたされている。そしてイージス艦には、300人もの乗組員がいたというが、彼らの救助活動が少しも見えてこない。午前4時はまだ暗い。しかし、暗い海に投げ出された人がいることを知って何の行動も起こさないでいられるのだろうか?

朝日新聞から

 全長165㍍、7,750㌧、建設費1,400億円、高性能レーダーの装備、従来のイージス艦にはないヘリコプターを搭載できる格納庫があり、防空の要として活動するという最新鋭艦が、目の前の海に投げ出された二人の命を救えないのだろうか?いや、救おうとしたのだろうか?

 20年前に起きた海難事故「なだしお」でも乗組員が救助活動もせず、ただ立って見ていたと報道されたような気がする。自分たちが起こした事故なのに・・・。

急がば回れ

2008-02-18 22:31:08 | Weblog
 昨日のことである。マラソンを見た帰り、東京駅で山手線に乗ろうと階段を上った。ちょうど電車が走り出すところ。目の前でドアにバッグを挟まれた50年配の女性、そのバッグを引き抜こうと必死に引っ張る。走り出した電車に引きずられて数メートル。思わず駆け寄って「手を離せ!」と叫んだ。声より早く手を離し、事なきを得た。電車はそのまま走り去り、慌てて駅員を探して走り回っている。
 そばにいた若いカップルに聞いた。「いまの女性乗るところだったの、それとも降りるところ?」「多分乗るところだったようです」「何故バッグが先に車内に入ったんだろう」「きっと閉まりかけたドアを抑えようとしたんじゃないですか」 

 この女性、命とバッグのどっちが大事なんだろう。閉まりかけた電車に乗らなければならないほど急いでいたのだろうか。すぐに次の電車が来るのに。。。

 バッグの持ち手が挟まれたくらいでは、ドアは開かないのだろうか?もしもそれが手だったら・・・。うしろから3両目くらいの車両だった。車掌は確認できなかったのだろうか?

 すぐに来た次の電車に乗ると車内放送があった。「ただいま隣の神田駅で前の電車内でトラブルが発生し、その処理のために発車を見合わせています。ご迷惑をおかけしますがもう少しお待ちください」。

 そして数分後「前の電車から連絡があり、車内で急病人がでたため、搬送しました。間もなく発車します」「・・・?」
ほんとかなぁ?
 

東京マラソン

2008-02-17 23:56:41 | Weblog
人は何故走るのか?

そこにゴールがあるから・・・♪

 と、都知事が言ったかどうかは知らないが、第2回東京マラソンが行われ、快晴に恵まれた都内の名所を10㌔レースとあわせて、3万3千人が走り抜けた。そこには3万3千通りのドラマが見える。

純粋に走ることを楽しむ人

限界に挑戦する人

赤い絆で結ばれて走る人。親子だろうか、それとも祖父と孫?

メタボが気になる人もいる

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ゴール間際のアクシデントに見舞われる人(マウスオンでどうぞ)

 冷たい北風の中、熱い走りで3万人以上が完走したと聞く。マラソンはゴールのよろこびと達成感があるから辛くても走れるのか。人生のゴールにもよろこびや達成感はあるのだろうか?

ランナーの皆さん、多くの感動をありがとう。そしておつかれさまでした。

2008-02-16 21:17:20 | Weblog
 仏壇の上に置いた折鶴がひとりでに動く我が家の怪奇現象。その後も原因を探ってみた。仏壇の横のテレビの上の、仏壇に一番近い端に置いて一週間、なんの変化もなく鶴は動かない。そこでもう一羽鶴を折った。

 仏壇の上と、仏壇の横に二羽の鶴を置いて一週間、はじめのうちはほとんど動かなかった二羽の鶴。気をつけてみると、仏壇の上の鶴だけが少しづつだが右を向いているような気がしていた。

そして今日、外出から帰ると、仏壇の上の鶴は明らかに右向きに移動している。
 
 そして仏壇の横の鶴は、僅かだが左を向いているのだ。出かけるときは窓もすべて閉め、風の入る隙間はない。はたしてこれは超常現象か?

 霊能者や予言者、超能力などの非科学的なことはまったく信じない僕だが、これをなんと説明しよう。詳しく調べてみれば、必ず納得のいく理由があるはずだが、ミステリーも面白い。この際、これ以上の解明はやめて、この不思議を楽しむことにしよう。

アムール・それは・・・

2008-02-15 11:22:35 | Weblog
 仕事柄、バレンタインデーという日は楽しみでもあり、ちょっと怖い日でもある。あちらこちらから聞こえてくる「ギリ・ギリ」という音に、我が身も軋(きし)む思い。少しではあるが、昨年まで届いた義理チョコが、ひとつもなかったらどうしよう。男なんて単純だから、義理とわかっていても、いただくとうれしいものだ。

 昼間行われたバレンタイン・ダンスパーティーに、赤い靴でドレスアップして現れたコスモスさん。義理チョコ一号をいただく。踊りながら彼女が言った。

「わたし12キロ増えちゃったわ♪」 
「エェ~!」
(そんな風には見えないけど・・・)
「今なんて言った?} 
「体重、2キロ増えたの」
「アァ~、びっくりした♪」

『体』が聞こえなかった。

 音楽の中での会話は、時としてとんでもない聞き違いをする。以前も「わたし不眠症なの」と言ったとき「エッ、子供ができないの?」と言ってしまった。二人で顔を見合わせて大笑い。ドジな僕である。

 踊っていると、妙齢なご婦人の視線を感じた。華やいだドレスを身に纏った美女、それは毎日コメントをくださる正子さんである。手を振って応えると、ニッコリと素敵な笑顔。そして、なんと彼女からも義理チョコが届く。
 今年も何とか惨めなバレンタインデーにならずに済んだ。男は「義理」でもうれしいのです。

爆弾低気圧

2008-02-13 23:58:51 | Weblog
 13日の東京は、爆弾低気圧などという物騒な名前の低気圧による強い北風が吹き荒れた。
 急速に発達する温帯低気圧を爆弾低気圧というらしいが、気象用語としては使わないそうだ。爆弾という言葉が悪い印象を持つからなのだろうか?「急速に発達する低気圧」と言い換えるそうだが、底冷えのするなんとも寒い一日となった。
 
根さえ
しっかりしていれば
枝葉は
どんなに
ゆれたって
いいじゃないか
風にまかせて
おけばいい

-みつをさん-
 
 この寒さで各地の梅の開花も遅れているという。春が待ち遠しいが、透き通るような青空に、風に流れる白い雲と、咲きかけの紅梅が眩しかった。

水辺の仙人

2008-02-12 23:19:43 | Weblog
 古代中国では、水辺に咲く気品のある花を“水辺の仙人”にたとえたという。

 春まだき寒風が運ぶ甘い香りに、思わずあたりを見まわすと、おのれの美しさに酔うが如く、水仙が白く誇らしげに咲いていた。


 雪中花とも呼ばれる水仙は、水面に映る我が身に恋した少年の化身であり、ナルシストの語源にもなったことはあまりにも有名である。

 房総半島、淡路島に並ぶ水仙の三大群生地のひとつ越前海岸は、その規模では日本一だという。


 水仙は福井県の県花でもあり、越前海岸の“水仙伝説”によると、海で溺れていた娘を助けた若者とその娘は愛し合う。しかし木曽義仲の軍に従った兄と、この美しい娘をめぐって争うことになり、それを嘆いた娘は越前海岸から身を投げてしまう。後に海岸には清らかな水仙の花が咲き乱れたのだった。(山と渓谷社「野草の名前」から)

 春を待つ花、水仙の甘い香りには、こんな悲話が隠されていたのでした。

侘助

2008-02-11 23:00:31 | Weblog

 一説によると、茶人・笠原侘助が好んだ椿、ということからその名がついたという侘助椿。他にも、秀吉の家来の侘助が朝鮮から持ち帰ったという説もあるらしい。


 楚々としたその花は、白や桃色、また赤に斑点入りのものなど種類も多く、一重の花は全開せず、その不完全の美が茶人に好まれ、茶花として「わび・さび」の世界になくてはならない花のようだ。


 吉田兼好は、徒然草で言っている。『何事においても、すべてが完全で、完結しているのは、その命が終わることになり、よろしくない。未完であるほうが、味わいも深く魅力的だ』と。

 
 年だけ重ねても何事にも中途半端で不完全、欠点だらけの僕にとっては、うれしい言葉である。完璧などは求めずに、気楽に生きる方が味わい深いのかもしれない。今日から勿忘草改め、侘助と改名しようかな?

誰ですか?頭髪が「侘助」だ、というのは・・・♪