勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

みどりの山手線

2013-01-30 22:58:02 | Weblog

 山手線と命名されて百数年が経つらしいが、今、山手線(やまてせん)は山手線(やまのてせん)と名を統一し、緑色のラインの入ったステンレス製の車両が走っている。今から50年前の1963年12月から1988年まではみどりの車両が走っていた。


 1984年のヨドバシカメラのCMには「ま~るいみどりの山手線(やまてせん)」と歌われたが、その後、山手線(やまのてせん)と歌詞を変えて歌われ、みどりの車両は山手線のシンボルでもあった。


 そして今、50周年を記念して今年の12月迄、緑色にラッピングされたみどりの山手線が一日に一編成だけ走っている。


 写真を撮るだけでは片手落ちと車両に乗り込んだが、車内は別に変わったところはない。次の駅で降り、再び車両にカメラを向けていると、そばで携帯を手に写真を撮る若者がいた。


電車が発車すると、彼は「だんなさんはこの車両を待っていたんですか?」と、僕に声をかけてきた。

「いや、この車両に乗ってきたんだけど」

「僕もこの車両に乗ってましたけど、だんなさんが写真を撮っているのを見て、みどりの車両だと気が付いたんです」


「それでケータイで写真を撮ってたんだね」

「この車両のことは、テレビで見て知ってましたけど、僕が生まれたときは、もう走ってなかったんです」

「えっ、いくつなの」

「24歳です」

「そう、25年前に廃止されたからね」

「両親がとても懐かしいって言ってました」

「そのケータイの写真は、ご両親に見せるんだね」

「はい」


 若者との会話は清々しく、みどりの山手線がより爽やかな緑色に見え、この時期としては暖かな陽射しがより温かく感じられた。

東京家族

2013-01-28 23:36:53 | Weblog
 ヒューマニズムを描かせたらこの人の右に出るものはいないと思っている監督がいる。あの『男はつらいよ』シリーズの山田洋次監督である。この人の映画を見終わったとき、なんともいえない人の温もりとやさしさが心に迫ってくる。

 『幸福の黄色いハンカチ』では、ハラハラドキドキさせられたラストに、ホッと胸をなでおろす演出がある。『息子』では、老父と、優秀な兄とは反対に気ままに生きるダメな弟との確執と和解を描く。ある日上京した父親は、弟の頼りないが心の優しさに触れ、安心してひとり雪深い山村に帰る。そこに、あの名画『エデンの東』を彷彿とさせる親子愛を見た。『遥かなる山の呼び声』は、タイトルでもわかるように、あの西部劇の名作『シェーン』のリメイクである。この映画では舞台を北海道に移し、シェーンでは描かれない、胸が熱くなるほどのヒューマニズムに溢れたラストに感動させられた。吉永小百合さん主演の『母べえ』だけは後味が悪く、あまり好きになれない映画だったが。。。


 「自分より上手い人の真似をすることを躊躇うな」は、レオナルド・ダヴィンチの言葉だということを、山田洋次監督が言っていた。世界的に権威ある「映画監督が選ぶベスト映画」で、世界中の映画の中から1位に選ばれた、小津安二郎監督の『東京物語』を現代に置き換え、山田流に描いた話題の映画『東京家族』を観て来た。

 どこにもあるような親子と、それぞれの家族の話であるが、前半のそこに繰り広げられる当たり前の日常生活は、少しばかり退屈でもあり、あまり混んではいない映画館の、我が座席のすぐそばでは、鼾さえ聞こえてきた。しかしそれは物語後半への導入部であった。母親の突然の死からそれぞれの人間模様が淡々と描き出されながら、その死が教える切なさと、ある種の幸福感と、希望に満ち心がやさしくなれるラストへの展開は、山田洋次監督の真骨頂でもある。「今夜は、おふくろに電話でもしようかな」と思わせる映画だと『東京家族』のパンフレットにあった。

プッチンプリン

2013-01-27 16:51:19 | Weblog
 プッチン・プルルンと皿にあけたプリンが揺れる瞬間は、スイーツ好きにとっては、心まで震える瞬間である、と云ってはいささか言い過ぎかもしれない。


 そのグリコ乳業のプッチンプリンが、世界一売れているプリントしてギネスに認定されたという。期間限定として「ギネス世界記録認定パッケージ」が発売されたので、期間限定などという言葉に弱い僕、早速スーパーでまとめ買いをした。


 容器の底の突起をプッチンと折るというアイデアの開発には、それなりの苦労もあったと、グリコのHPの漫画にある。底のツマミを折るための内側を薄くした円とツマミは、位置が微妙にズレているが、このほうが折れやすく、穴もきれいだという。些細なことではあるが、これも開発過程の失敗から生まれた怪我の巧妙だとか。 


 世界一売れているというだけあって、スパーの棚からもわかるように、他の製品に比べると、ほぼ売り切れに近い状態である。定期健診によると血糖値がやや高い僕だが、まっ、いいか!それを考えるのは明日にしよう。


 プリンは原料の卵や出来上がった時の色から、茶碗蒸しとよく似ている。ある人がプリンだと勘違いして茶碗蒸しを食べたところ、その不味さに思わず吐き出してしまったという。食べる前からプリンと認識した脳は、茶碗蒸しと気付くまでは、あの美味しい茶碗蒸しも不味いと思わせてしまうようだ。似て非なるものの代表かもしれない。果たしてその逆の場合はどうだろう。それはともかく、世界で一番売れたプリンだといわれれば、いつもより美味しく感じる僕の脳は、単純なのだろうか???

衣装替え

2013-01-26 00:21:06 | Weblog



あららっ! 小僧くん今日はお召し替えかい? 


おじちゃん ボク着替え中だから ちょっと待っててね


おじちゃんは 小僧くんの衣装替えを何度か見てるけど 今日もゆっくりと見せてもらうよ




ありがとうおじちゃん 

ボクの衣装替えはね 手芸のボランティアグループ「あじさい」のお姉さんたちがやってくれるんだよ



うん おじちゃんもね このボランティアのお姉さんたちと話しをしたことがあるから知ってるよ


ボクが洋服を着るきっかけになったのはね 

今日のような寒い日に 女の子が 僕の頭に毛糸の赤い帽子を被せてくれたからなんだ



今日も赤くてかわいい帽子とマフラーが よくお似合いだよ  




雪だるま君の青い帽子とマフラーも かわいいけどね


おじちゃん ボクと雪だるま君と どっちがかわいい?


そりゃぁ ゆ・雪だるまくん



より 小僧くんのほうが可愛いに決まってるよ


おじちゃん ホント?


もちろん ホントだよ おじちゃんはうそついたことないもん


それがうそっぽいよ おじちゃん


ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!!




それより そろそろ衣装替えも終わるようだね


おじちゃんが そばでおしゃべりするから やりにくかったみたいだけどね


∑(; ̄□ ̄A アウッ




でも かわいい小僧くんが出来上がったよ


衣装替えの間は ボクおしっこ我慢してたけど やっとおしっこができて よかった



そっかぁ 衣装替え中はおしっこできなかったんだね


それよりおじちゃん 明日からまた寒くなるらしいけど 風邪に気をつけてね


インフルエンザも 流行りだしたみたいだから 小僧くんも気をつけようね


おじちゃんも 元気で来月また逢いに来てね


それまで バイバ~イ!

携帯電話ブギ

2013-01-24 19:27:36 | Weblog
 子供の頃、電話は交換手を通してかけるものだった。長じて現NTTの前身である電電公社に就職し、交換機の保守という仕事を通じて、電話の変遷を見てきた。その電電公社も10数年で辞めてしまったが。

 電話の進歩は目覚しく、ダイヤル式からプッシュホンへ。また携帯電話としては、ボックス型の電話機を肩に掛けて持ち歩く、ショルダーホンが登場する。そして今、小型化した携帯電話全盛であり、家庭用の固定電話は影が薄い。一昨年の末には携帯電話の契約数は日本の総人口を上回り、形の上では普及率100%だという。

 携帯電話は電話機能だけでなく、カメラなど様々な機能が付き、すべてを使いこなすには至難の業でもある。更にスマートフォンが登場するや、携帯電話機能はPCの一部になり、数限りないアプリは「何がなんだかさっぱりわからず どれがどれやらさっぱりわからず わてほんまによう云わんわ」買い物ブギ状態である。それでも僕にとっては、便利で手放せないアイテムになっている。 


 先日の閉店間際のあるお店での出来事である。我々より一足先に帰った4~5人のグループがあった。数分後、帰り支度をしていると、そのグループの一人が戻ってきた。仲間の一人が携帯電話を忘れたという。彼らが座っていた席の周りを探したが見当たらない。「その携帯に電話してみたら」と提案して電話を鳴らしたが、うんともすんとも云わない。すると電話で会話が始まった。なんと電話の持ち主が出たという。戻って来る前にかけてみればいいのに。。。

 別の日のことである。ある人と駅で待ち合わせて出かけることになっていた。その前に預かりものがあったので、改札の内と外で手渡しをし、仕事場に置きに行った。戻るとその場所にいない。あれ?ホームに行ってしまったかな、と思ったが、その人は足を痛めていて、ホームまではかなり歩かなければならない。携帯に電話すべくあたりをキョロキョロしていると、遥か遠くからこちらに歩いてくる姿が見えた。「どこに行ってたの?」と聞くと、トイレから出てきたら僕がいなかったので、ホームに行ったのかと思って、、、という。「携帯に電話して確認すればいいのに」というと、「そうね」の一言。わてほんまによう云わんわ、あぁしんど!

くじけないで

2013-01-21 23:22:57 | Weblog

◇くじけないで◇

ねぇ 不幸だなんて
溜息をつかないで

陽射しやそよかぜは
えこひいきしない

夢は
平等に見られるのよ

私 辛いことが
あったけれど
生きていてよかった

あなたもくじけずに


 92歳からはじめた詩が、白寿の処女詩集としてベストセラーになった柴田トヨさんの詩集「くじけないで」に何度も慰められた。その柴田トヨさんが101歳で亡くなった。表題の詩の他にもうひとつ好きな詩がある。

◇貯金◇

私ね 人から
やさしさを貰ったら
心に貯金をしておくの

さびしくなった時は
それを引き出して
元気になるの

あなたも 今から
積んでおきなさい
年金より
いいわよ


柴田さんのご冥福を祈ると共に、これからもくじけないで、人から戴いたたくさんのやさしさを貯金しよう♪

不思議発見

2013-01-18 23:28:53 | Weblog
 厳しい寒さで野菜が高騰しているため、我が家ではトマトの栽培を始めた。というのは真っ赤なトマト、ではなくて真っ赤な嘘。


 いただいた草花を植え替えた小さな鉢を出窓に置くと、ある日覚えのない草花が芽を出した。我が家では時々こんな不思議がある。そのまま放っておくといつの間にか出窓の天井に届くほど大きくなった。それがトマトだと気付いたのは、最近である。葉に触れるといい香りがし、その香りがトマトの香りと同じだった。しかし何故今トマトなのか不思議である。


 日当たりの良い部屋の窓辺に移すと、大きくなった蕾が開き黄色い花が咲いた。トマトはナス科の植物だそうだが、ナスの花は紫なのに真っ赤なトマトの花が黄色とは、これも不思議である。しかし、あの赤いりんごの花も真っ白で、実の色と花の色が違うことは不思議なことではなさそうだ。スイカもかぼちゃも、きゅうりもゴーヤも花は黄色、野菜の花は黄色が多いらしい。理由はよくわからないが、受粉のための昆虫の好きな色だという説もある。


 野菜の値段の高騰で、僕の財布は黄信号である。この黄色いトマトの花が真っ赤な実をつけることがあるかもしれないが、財布は赤信号にならないことを願うばかりである。

ツタンカーメン展

2013-01-16 22:12:44 | Weblog
 閉幕が迫る、東京上野の森美術館で開催されている<黄金の秘宝と少年王の真実>と題した「ツタンカーメン展」に行ってきた。


 1月18日までの予定を、20日まで延長させる人気の催し物らしく、美術館の周りを取り巻く長蛇の列は30分待ちであったが、それでも短いほうだという。


 20世紀最大の発見といわれる、3,300年の永い眠りから覚めたエジプトの秘宝は、歴史的にも貴重な発見であり、発掘関係者が次々と不遇の死を遂げるなど、『ファラオの呪い』の伝説も生まれたという。

 ツタンカーメンは9歳で即位し、10年後には謎の死を遂げるが、黄金の棺に横たわる少年王と共に眠っていたたくさんの副葬品は、その美しさもさることながら、芸術などとは無縁な僕にとっても、芸術性の高さを感じさせる。


 ツタンカーメンといえば黄金のマスクを思い浮かべるが、今回のツタンカーメン展では、この黄金のマスクは展示されていない。ポスターの絵を見て黄金のマスクと勘違いし、「詐欺だ!」「インチキだ!」と、非難が殺到しているらしいが、美術館のポスターの胸像の左下には、小さく『写真:黄金のカノポス(内臓が保管されていた器)』とある。

 内臓が保管されていた黄金のカノポスからもわかるように、副葬品からは、死後も再生復活し、永遠の生命を得られるという「死生観」が溢れている。太古の昔から死への怖れと復活への望みは今と変らないことを知る。僕は死後の世界などあるはずもなく、生まれ変わるとも思っていない夢のない男だが、いにしえのエジプトに思いを馳せ、黄金に輝く美の世界に浸ってきた。

雪だるま

2013-01-15 23:34:02 | Weblog
 昨日の大雪に見舞われた首都圏では、鉄道は遅延し、道路は渋滞と事故が多発し、一夜明けても凍結した道路での転倒事故や、物流が滞るなど混乱は続き、凍りついた都会は手も足も出ないダルマ状態である。


 昨日の風雪とは打って変わって晴天に恵まれた上野公園では、都会の混乱を知ってか知らずか、陽に照らされた雪だるまが気持ち良さそうに日向ぼっこをしていた。強い日差しに、少しばかり惨めな姿になりつつある雪だるまもあったが。。。







 慣れない雪に混乱するのは大人ばかり、子供たちは元気いっぱいはしゃぎまわり、彼らにとっては初めてであろう大雪を楽しんでいる。



 そんな雪景色の中で、ヘブンアーチストのパフォーマーも、まばらな見物客に少しばかり寒さが身に染むようである。


 しかし、寒さをものともしない不思議なパフォーマーも現れ、外国人のカメラマンとモデルと思しきふたりには、寒さは感じられないようだった。


 久しぶりの大雪に景色は一変し、日常まで凍りついてしまった都会は、雪国の人から見れば滑稽かもしれないが、これが都会の弱さというものか。。。

雪は降る♪

2013-01-14 21:38:38 | Weblog

 未明に降り始めた雨が、午前中から突然雪に変わった。爆弾低気圧などという物騒な名前の低気圧がもたらした大雪は、新春の浅草を忽ちモノクロの世界に変えた。強風に舞う雪の中、慣れない足取りは、歩き始めたばかりの子供のよう。


 1月半ばになっても、多くの初詣客が訪れる浅草寺境内は、降り始めてから数時間で積もった大雪の除雪作業に余念がない。


 成人の日の大雪は、晴れ着姿の女性をより美しく、より淑やかに振舞わせ、雪の中に咲く一輪の大和なでしこのようでもある。


 浅草寺本堂の屋根瓦は、2年前にチタン製に葺き替えが終わったばかりだが、チタンは材質の特徴として、雪が溶けやすく、溶けた雪は凍りにくく、雪を滑りやすくする性質があるらしい。


 屋根のあちらこちらから落雪があり、宝蔵門や本堂付近では係員が注意を呼びかけ、本堂への上り下りは1箇所が許されているだけである。大きな雪の塊は大怪我の恐れもあるという。


 降りしきる冷たい雪と風にかじかんだ手指は、自分のものとは思えないほど自由が利かなくなった。帰途につこうと浅草寺境内裏を歩いていると、雪の中に座り込んでもがいている人がいる。近づいてみると、靴は脱げ立ち上がれないで困っているご年配の方だった。手を貸していると、通りすがりの子供連れの女性も手助けをしてくれた。どこまで帰るのかと訊ねると、我が家からそう遠くはない。

 シャーベット状に積もった雪の中を、腕を抱えて歩きながら御年82歳だということを知る。時々よろめいては倒れそうになる。これを老々介護というのだろうか。そして一言「危うく行き倒れになるところだった」との感謝の言葉に、「これが本当の雪倒れですね」といって笑った。自宅玄関まで送り届け、中に入って下さいという言葉を背に帰路につく。


 前を歩く親子連れの会話が耳に入った。 「雪のないところを歩きなさい!」 「どうしてなの?」 「・・・」 「ボク、雪の上を歩きたいんだもん」 雪は厄介なものであるが、楽しかったときもある。

体罰

2013-01-12 21:16:33 | Weblog
 明治生まれの父は無口で頑固で、口が重い代わりに手が早かった。子供の頃から生意気で口数が多く、父に叱られるとすぐに口ごたえした僕は、へ理屈言うなと父に叩かれた。拳骨で殴られた記憶はないが、感情だけで手を上げる父が大嫌いだった。死んでやれ、と思ったこともある。僕が死ねば父が困るだろうと思ったから。しかし、思うだけで本気で死ぬ気などなかったが。。。

 そんな僕をいつもかばってくれたのが母だった。僕は母に叱られた記憶がない。それは7人もいる兄弟が皆同じことをいう。どんなに父に叱られても母のフォローがあったから今の僕がある。大人になってからは、7人も育ててくれた父には感謝するようになったが、もし僕が子供を持ったら、父のような叱り方をするのは絶対にやめようと思っていた。残念ながら子供を持つことはできなかったが、気持ちがわかるので男の子を育ててみたかった。


 大阪市立桜宮高校のバスケットボールの主将が、顧問の教諭の体罰を受けて自殺した。この学校は他の部も含めて日常的に体罰があったと聞く。体罰を熱血指導と勘違いした許せない行為である。指導とは『知識・技術などを習得できるように教え導くこと』と我が辞書にある。発奮のためなどというのは言い訳であり、己の指導力のなさを、体罰という名を借りた暴力という手段でごまかしているにすぎない。そんな暴力で得た名誉などなんの価値もない。言い訳ばかりの学校側の対応も許せない。特に校長が。。。

 頻繁に発生するいじめも含めて、いつも学校側は自己保身と教師をかばうだけで、生徒への思いやりなど皆無である。学校が聖域であるはずもなく、彼らの行為は紛れもない暴力という犯罪であり、それを隠蔽する学校側と共に、罰せられるべきだ。同じことが巷で行われたらそれは警察沙汰になるだろう。もし形の違う熱血指導があるとしたら、その裏にはやさしさというフォローがなくてはならない。学校には若い彼らの命を守る義務がある。何故か自らの命を絶つのは男の子が多い。名誉ばかり重んじ、義務を果たせない学校など要らない。

乾燥注意報

2013-01-11 22:39:13 | Weblog
 連日の厳しい寒さに震え上がる毎日だが、北海道では-30℃を下回る気温のところもあるとか。僕には想像もできない気温だが、そんな寒さの中で暮らす人にとっては、東京の寒さなど寒さのうちに入らないかもしれない。また、関東地方には乾燥注意報も出続けている。そこで加湿器に登場願った。

 

 空気の乾燥はインフルエンザにも影響するらしく、湿度が高いほどインフルエンザの予防にもなり、また湿度が高くなることで体感温度も上がるという。我が家では厚着をして部屋の暖房を控えめにしているが、少しでも節電になればとの思いもある。それは世のため人のためではなく、我が家の家計のためである。厳冬の北海道では、節電を強いられているらしいが、寒さに負けず頑張って欲しい。

似顔絵

2013-01-08 22:27:00 | Weblog
 江戸時代の浮世絵師・写楽は、歌舞伎役者の個性を、誇張したデフォルメで描く作風が特徴的で、そのユニークさから贔屓筋にも役者自身からも不評であったらしい。また、「山藤章二のブラック・アングル」の世相風刺で話題になった、「週刊朝日を巻末ページから開かせる男」の異名を持つ、山藤章二氏の似顔絵もまた、描かれた本人が好むと好まざるとに関わらず、見るものをニヤリとさせる。

 浅草の仲見世通りのひとつ裏の通りの一角に、似顔絵を描いてくれるお店がある。店内に飾られている絵は「カリカチュア」と呼ばれる画風で、単に「似ている」だけではなく、描かれる人の内面や状況を理解し、ユーモアたっぷりの絵に仕上げる作風なのだそうだ。その時、偶々来店した男性が描いてもらっている場面を見学させていただいた。


 見る見る仕上がっていく似顔絵は、15分~20分程で出来上がり、特徴あるユニークな作品に仕上がった。そこで自分の顔がどのようにデフォルメされるかと興味がわき、僕もお願いすることにした。 


 描きながらも会話が途切れることもなく、その会話の中から僕の内面を引き出そうとしているのがわかる。描かれている僕の正面のガラス窓からは、通りすがりの人が、僕と絵を見比べてニヤリとしている。


 描かれた時の服装とは違うが、昨年の春に撮った写真と見比べていただければお分かりと思うが、8時20分というより、7時25分に近い垂れ眼と、子供の頃魔法使いの鼻と言われた鷲鼻、そして笑うと顔中口だらけとも言われた大きな口。それらの特徴を見事に捉えていながら、少しのサプライズと、ユニークさを併せ持つ、まさに写楽顔負けの「カリカチュア」な絵に仕上がり、思わずニヤリ。


 早速額に入れて、部屋に飾ることにしよう。浅草にお出かけの節は、一度挑戦してみてはいかがでしょう。興味のある方はこちらをご覧ください。

初詣

2013-01-07 23:35:19 | Weblog
遅ればせの初詣に浅草寺に行った。



 例年三が日までは、雷門が遥か遠くに見えるほどの長蛇の列に諦めることも多かった。


 今年は七草までじっと我慢し、正月気分も抜けた頃を見計らって出かけたのだが、それでも人出は多く、雷門を抜けるとやはり人の波。


 正月飾りで華やぐ仲見世通りは、本堂に近づくにつれ、世間では仕事が始まったであろう週の初めとは思えないほどの混雑である。


 特に今年は、スカイツリー開業元年であることも影響しているのかもしれない。記念撮影をする人も多く、僕もかなりご高齢の女性から、ケータイでの撮影を頼まれた。


 人の波は途絶えることなく、本堂で手を合わせての願い事も手早く、それでも「健康であること」「仕事が上手くいくこと」「人との和」の三つと欲張っていた。


 僅かなお賽銭ですべての願い事が叶うとも思わないが、初詣をしたという気分だけでも味わえれば、それもいいか。。。

寒の入り

2013-01-05 18:34:31 | Weblog
 晴れやかな青空の下、穏やかに、そして足早に我が家の三が日が過ぎていった。入れ替えに訪れたのが、この冬一番が枕に付く連日の寒さ。そんな寒さの中、正月料理に飽き、冷蔵庫に余った野菜類の始末も兼ねて作った、山梨県の郷土料理として名高いほうとう鍋。武田信玄の陣中食という説もあるほうとうだが、何よりも暮れに買い過ぎた野菜の整理にもなり、身体中が温まる栄養満点の一石二鳥の料理である。


 かぼちゃがと麺が主役のほうとう鍋は、根菜類や、きのこ、白菜など、たっぷりの野菜と、肉を味噌で煮込んだ鍋料理で、僕にとって二度目の挑戦だった。寒の入りの寒さ対策と、ほどほどの満足のいく味とに、まぁ、よしとしようか。