ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマンだった。引退した今は妻と二人で平和な生活を願いつつ、趣味と独り言でストレス発散

ポケモンとボランティア体験記

2011-08-17 11:58:00 | 

                                                                                          盆も終わり、一息ついた我が家です。今日はバァバが和君、奏君を引き連れてポケモンを観に行っています。私は家でお留守番。時間があるので何とか昨晩アップ出来なかったK君のボランティア体験記を載せようと苦心しています。

 セミの数ですが、詳しく見てみるとてっぺんに半分隠れていたのが見つかって、結局8頭居ました。

東日本大震災ボランティア体験記

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3/11の震災後の被災地に自分が何かできないかと思っていました労組の上部組織の全国○○労連からボランティアの募集があり参加することにしました<o:p></o:p>

家内は最初から最後まで行くことに対して反対しておりましたが私の決意は固く参加することにしました

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出発の前日の6/10午後から○○労組で結団式がありその夜は懇親会でしたこれが毎日続くとは誰も思ってなかったでしょう

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出発は福岡発8時の飛行機でしたが佐世保から来たS氏が時にホテルロビに集合のところ起きて来ませんT氏が起しに行きタクシで空港に向かつていたところ途中で航空券をS氏がホテルに忘れていて戻って取りに帰るハプニングがありましたが○○労組の幹部に見送られ無事に福岡を出発しました

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東京に着いて連合本部で108名総勢の合同結団式を終えてバスで福島市の連合ビルへ向かい到着は、16時でしたやはり東北は遠くにあるなと実感しましたバスの中で弁当が配られました確かイナリと巻き寿司だったと記憶していますがこの弁当が以後朝と昼18回も続くとは誰も思っていなかったでしょう

 

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その夜○○グル15名の懇親会があり皆まだボランティアをしていませんが皆で仲良くなりました帰り皆でス銭湯に行きましたが私が勝手に先に銭湯に行き皆が心配して探すハプニングがありましたT氏はこの先が思いやられたことでしょう<o:p></o:p>

連合ビルでは福島グル43名大会議室の雑魚寝内女性名は小会議室で布団はありましたが夜のこのプライバシの全くないことが消灯時間10:30まで外で過ごすという規律正しい生活パタンになりました南相馬市グルプは20(5名X内訳は○○グル15○○○○名でした

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6/12から日間中一日は休暇で岩手県の宮古市と山田町に行きました毎日原発から20~25キロの南相馬の農家にマイクロバスで通い福島市から時間半主に稲わら屑大小さまざまな木々生活用品等を庭と田んぼの側溝から撤去する作業でした必要に応じて草刈り機で草も刈りました<o:p></o:p>

軒の農家を回りましたが原発から近いこと避難推奨地域もあって家を守っているのは老夫婦でした東北農家の敷地は広く、500~600坪あり2~3棟の家が同じ敷地にありますしかし若夫婦と孫たちは避難していました若い人達のいない町は何か寂しい感じでした

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それでも年老いた夫婦は私たちが遠く九州沖縄から来てくれたということで自らも鎌草刈り機を持って一緒に作業していましたそのことが私たちの一番の収穫でした平野部の田畑も広く辺が100~150mはあり夫婦人で200~300mの溝さらいを行う気持ちにはなれない! これが被災地の現実でした

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毎日マイクロバスで通過するところに飯舘村がありました少しの明かりありところは役場JA郵便局のみで残りは全て閉鎖でいわゆる死んだ町でした

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私が感じたことは東北の人は呆れるぐらい親切で我慢強いことでしたそのことで私達は逆に勇気と元気をもらいました<o:p></o:p>

私達の作業は、20人とはいえ手作業ですので4~5時間で大きな作業を行うことはできませんそれでも農家の夫婦とボランティアの皆が自ら進んで作業してくれたことが嬉しかったです

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<o:p> 衝撃的な写真よりも象徴的な写真を紹介します。</o:p>

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 東 北地方の方言に地震のときは「てんでんこ」に逃げよ」  この「てんでんこ」というのは自分勝手に他者は構わずにという意味です農家の夫婦の話によると近所で亡くなった方は皆ほんの少し逃げ遅れたと話されていました自分の身は自分で守る自分が助からないと他者も助けることが出来ないこの安全基本を再認識しました原発から60数キロ離れた福島市でも小学生はマスクをしての登下校でした親の気持を考えると政府の対応に疑問を感じました

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この空気と水が澄んでおいしい東北に心から震災の復興と原発の問題の早期収束を願ってやみません<o:p></o:p>

最後にこのような体験をできるように計画を立案し人と物資を手当てして頂いた労働組合上部組織に感謝すると共に、1週間休みをくれた会社と職場の皆に感謝したい<o:p></o:p>

コメント (14)
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