盆も終わり、一息ついた我が家です。今日はバァバが和君、奏君を引き連れてポケモンを観に行っています。私は家でお留守番。時間があるので何とか昨晩アップ出来なかったK君のボランティア体験記を載せようと苦心しています。
セミの数ですが、詳しく見てみるとてっぺんに半分隠れていたのが見つかって、結局8頭居ました。
「東日本大震災ボランティア体験記」
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3/11の震災後の被災地に自分が何かできないかと思っていました。労組の上部組織の全国○○労連からボランティアの募集があり参加することにしました。<o:p></o:p>
家内は、最初から最後まで行くことに対して反対しておりましたが、私の決意は固く参加することにしました。
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出発の前日の6/10午後から○○労組で結団式があり、その夜は懇親会でした。これが毎日続くとは誰も思ってなかったでしょう!
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出発は福岡発8時の飛行機でしたが、佐世保から来た、S氏が7時にホテルロビーに集合のところ起きて来ません。リーダT氏が起しに行きタクシーで空港に向かつていたところ途中で、航空券をS氏がホテルに忘れていて戻って取りに帰るハプニングがありましたが、○○労組の幹部に見送られ無事に福岡を出発しました。
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東京に着いて連合本部で108名総勢の合同結団式を終えて、バスで福島市の連合ビルへ向かい到着は、16時でした。やはり、東北は遠くにあるなーと実感しました。バスの中で弁当が配られました。確かイナリと巻き寿司だったと記憶していますが、この弁当が以後、朝と昼18回も続くとは誰も思っていなかったでしょう。
その夜、○○グループ15名の懇親会があり、皆まだボランティアをしていませんが、皆で仲良くなりました。帰り皆でスーパー銭湯に行きましたが、私が勝手に先に銭湯に行き、皆が心配して探すハプニングがありました。リーダT氏はこの先が思いやられたことでしょう。<o:p></o:p>
連合ビルでは、福島グループ43名大会議室の雑魚寝(内女性5名は小会議室)で布団はありましたが、夜のこのプライバシーの全くないことが消灯時間10:30まで外で過ごすという規律正しい?生活パターンになりました。南相馬市グループは20名(5名X4班)内訳は○○グループ15名、○○3名、○○2名でした。
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6/12から6日間(中一日は休暇で岩手県の宮古市と山田町に行きました)毎日原発から20~25キロの南相馬の農家にマイクロバスで通い(福島市から1時間半)主に稲わら屑、大小さまざまな木々、砂、泥、生活用品等を庭と田んぼの側溝から撤去する作業でした。必要に応じて草刈り機で草も刈りました。<o:p></o:p>
5軒の農家を回りましたが、原発から近いこと(避難推奨地域)もあって家を守っているのは老夫婦でした。東北農家の敷地は広く、500~600坪あり2~3棟の家が同じ敷地にあります。しかし若夫婦と孫たちは避難していました。若い人達のいない町は、何か寂しい感じでした。
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それでも、年老いた夫婦は私たちが遠く九州、沖縄から来てくれたということで、自らも鎌、草刈り機を持って一緒に作業していました。そのことが私たちの一番の収穫でした。平野部の田畑も広く1辺が100~150mはあり、夫婦2人で200~300mの溝さらいを行う気持ちには、なれない! これが被災地の現実でした。
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毎日マイクロバスで通過するところに、飯舘村がありました。少しの明かりありところは役場、JA,郵便局のみで残りは全て閉鎖で、いわゆる[死んだ町]でした。
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私が感じたことは、東北の人は呆れるぐらい親切で我慢強いことでした。そのことで私達は逆に勇気と元気をもらいました。<o:p></o:p>
私達の作業は、20人とはいえ手作業ですので1日4~5時間で大きな作業を行うことはできません。それでも、農家の夫婦とボランティアの皆が自ら進んで作業してくれたことが嬉しかったです。
<o:p> 衝撃的な写真よりも象徴的な写真を紹介します。</o:p>
東 北地方の方言に「地震のときは「てんでんこ」に逃げよ」 この「てんでんこ」というのは、自分勝手に他者は構わずにという意味です。農家の夫婦の話によると、近所で亡くなった方は皆ほんの少し逃げ遅れたと話されていました。自分の身は自分で守る!自分が助からないと他者も助けることが出来ない!この安全基本を再認識しました。原発から60数キロ離れた福島市でも小学生はマスクをしての登下校でした。親の気持を考えると政府の対応に疑問を感じました。
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この空気と水が澄んでおいしい東北に、心から、震災の復興と原発の問題の早期収束を願ってやみません。<o:p></o:p>
最後に、このような体験をできるように、計画を立案し、人と物資を手当てして頂いた労働組合上部組織に感謝すると共に、1週間休みをくれた会社と職場の皆に感謝したい。<o:p></o:p>