年末ジャンボが発売された。今年はなんと7億円という。「これが当たれば、もう!」と思うが宝くじ歴20年、当たったためしがない。小遣いも少ないし、当たらないだろうし・・・と少々思考回路が後ろ向きだ。
門司港ウオーキングは白野江植物園。今年も野点があって私も抹茶を頂きました。
三連休の中日、日曜日のこと。いつものように妻はヨガに自転車で出掛けた。そしてその帰り、小倉の都心部にある勝山公園が(何かの催しで)賑わっていたので、色々見て回り買い物をしたところ、買い物額に応じて抽選券を一枚手に入れたそうだ。その足ですぐに抽選会場に行ったのだが、何と午後の早い時間にかかわらず妻の直前で、当たりくじ300本が出てしまい、抽選は打ち止めになったと云う。ここで妻が考えたことは、「当たりくじが多いのは間違いない。明日もこの催しがあるというので、明日の朝ならばくじが引けるし、当たる確率も大きい。これはなんとしてでも、くじを引かなくては!・・・」
この推理はそんなに違ってはいないと思う。妻にとってはくじを絶対に引かなくては、と強迫観念にも似た意識に捕らわれたと思われる。
さて翌日の連休最終日、私は昨日に引き続いてウオーキング。昨日は門司港11キロ、今日は小倉の10キロ。天気も良くて快適だった。12時過ぎにウオーキングを終えて居間でのんびりしていると、妻が帰ってきた。聴くと「くじを引いてきた。当たらなかった!」と憮然とした表情。どうも当たる筈だという思い込みが強かったようだ。私はくじ主催者が昨日の反省を込めて空くじを多く作ったに違いないと思ったのだが、「それは残念だったね。」
幸運の女神様がほほ笑んだと信じたいコレットの宝くじ売り場
実は、その日のウオーキングゴールは小倉駅。駅前の井筒屋コレットの東側に宝くじ売り場があって、その前を通りかかると窓口のお嬢さんと目が合ってしまって、微笑みかけられた。その結果、男の性というか、私の欠点というか、ふらふらと引き寄せられてジャンボを買ってしまった。連番、バラを1シートずつ。当たらないとは思うのだが、買わないと当たらないのは絶対の事実。妻が当たり運を使い果たした後ではないのが望みだ。
門司港ウオーキングは白野江植物園。今年も野点があって私も抹茶を頂きました。
三連休の中日、日曜日のこと。いつものように妻はヨガに自転車で出掛けた。そしてその帰り、小倉の都心部にある勝山公園が(何かの催しで)賑わっていたので、色々見て回り買い物をしたところ、買い物額に応じて抽選券を一枚手に入れたそうだ。その足ですぐに抽選会場に行ったのだが、何と午後の早い時間にかかわらず妻の直前で、当たりくじ300本が出てしまい、抽選は打ち止めになったと云う。ここで妻が考えたことは、「当たりくじが多いのは間違いない。明日もこの催しがあるというので、明日の朝ならばくじが引けるし、当たる確率も大きい。これはなんとしてでも、くじを引かなくては!・・・」
この推理はそんなに違ってはいないと思う。妻にとってはくじを絶対に引かなくては、と強迫観念にも似た意識に捕らわれたと思われる。
さて翌日の連休最終日、私は昨日に引き続いてウオーキング。昨日は門司港11キロ、今日は小倉の10キロ。天気も良くて快適だった。12時過ぎにウオーキングを終えて居間でのんびりしていると、妻が帰ってきた。聴くと「くじを引いてきた。当たらなかった!」と憮然とした表情。どうも当たる筈だという思い込みが強かったようだ。私はくじ主催者が昨日の反省を込めて空くじを多く作ったに違いないと思ったのだが、「それは残念だったね。」
幸運の女神様がほほ笑んだと信じたいコレットの宝くじ売り場
実は、その日のウオーキングゴールは小倉駅。駅前の井筒屋コレットの東側に宝くじ売り場があって、その前を通りかかると窓口のお嬢さんと目が合ってしまって、微笑みかけられた。その結果、男の性というか、私の欠点というか、ふらふらと引き寄せられてジャンボを買ってしまった。連番、バラを1シートずつ。当たらないとは思うのだが、買わないと当たらないのは絶対の事実。妻が当たり運を使い果たした後ではないのが望みだ。