farm note 農便り

農業をしながら生活を楽しくをモットーに

2013-04-14 08:32:33 | Weblog
若い頃、40歳代の頃、三時の休憩時間に図書室に来られたマレーシアのシャハリル先生の、泥の話に聞き入ったことがある。
どろどろと言うが、泥の中からはすの花は咲くという話でした。
仏教、御釈迦さんと関連した話になるほどと聞いていました。

そんな泥と格闘している私です。
トラクターで鋤いていると、泥をいっぱいつけて、農道を走っていることが何年も続いていました。泥に気もとめず、鋤き終ると、やれやれと家路を急ぎ、ほったらかしのトラクターで、泥を落とすのに、苦労していました。
たくさんの泥を家へ持ち帰っていました。
今、ちょっと気分的に農作業になれたせいで、そのどろを農道であつめます。
バケツ二杯くらいになります、
勿論私の落とし歩いているだろだけ回収します。他人の分まではしません。
米作りを始めて、砂が泥になるまでのお長い時間を考えると、粗末に出来ません。
泥を洗っていくと、砂になります。
その砂が粘着性をおびた土になるまでの時間を考えると、先人の努力を無駄にできません。私も農業者の端くれになりました。10年以上の時間を要しました。

朝、道の牛のウンチのように落とされている泥をみて、あーあーと思いました。
まだ忙しくて、泥にまでこころが行かないのだと思って泥ウンチを見ながらの散歩でした。
親しい方には、もったいないから、集めておいでと言います。
けちでもなんでもなく、先人が汗水流して作った泥を無駄に出来ないのです。

昔の道路に牛のウンチがぼったぼったと落ちていた昔を思い出しました。
昔、田鋤きは牛の仕事。
今、トラクター。
今も昔も泥は大切です。若い方もその内、泥の値打ちに気付かれるでしょう。
拘わっている対象に愛です。
泥にでも愛着ですぞ。
さあ、これから、また田を起してきます。春が来たと起こします。
コメント (2)
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