Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

ヨーロッパ製 柿右衛門写 もみじ小花散らし文 小皿

2021年02月14日 18時37分38秒 | その他の古陶磁

 ここのところ、古伊万里の勉強のためにこれまでに集めてきたヨーロッパの「古伊万里写」や中国の「古伊万里写」の紹介を続けていますが、今回は、そのうちの5点目の、ドイツのマイセン窯で作られた「ヨーロッパ製 柿右衛門写 もみじ小花散らし文 小皿」の紹介となります。

 ヨーロッパの「古伊万里写」とか中国の「古伊万里写」の物を勉強するとなると、どうしても、ドイツのマイセン窯で作られた物を収集して勉強しなければなりません(~_~;)

 ところが、これ、本歌の古伊万里よりも数が少なく、また、値段も高いんです(><)

 本歌の古伊万里よりも少なく、値段的にも高い物を買ってきて古伊万里の勉強をするというのは、本来は、本末転倒というものですね(><)

 それはともかく、古伊万里の勉強のために、何故、マイセン窯で作られたものを学ぶ必要があるかといいますと、次のような事情があるからです。

 

「1680~90年代にピークを迎えた柿右衛門様式は、1700年の声を聞いた前後になると、作風展開が停滞するようになる。峠を越えたのである。1710年ごろになり、ドイツのザクセン選帝侯であり、神聖ローマ帝国ポーランド王を兼ねたアウグスト強王は、柿右衛門様式を愛するあまり、マイセン窯の陶工ヨハン・ベットガー(1682~1719)に命じて、白磁の創始に成功する。この余勢を駆って、1720年前後には、手本とも見紛うほどの素晴らしい柿右衛門様式の色絵磁器の倣製品をつくりあげたのである。その出来ばえはまことに見事であったから、名声はヨーロッパの諸国に広まり、柿右衛門様式は各地の窯で写されることになった。」(「世界をときめかした伊万里焼」(矢部良明著 角川書店 平成12年初版発行)P.84 )

 

 つまり、マイセンは、ヨーロッパ最古の磁器窯であり、また、ヨーロッパ最大の窯だったからです。そして、マイセンから、ヨーロッパ全土に古伊万里写しが波及していったとも言えるからです。ですから、ヨーロッパの「古伊万里写」を学ぶには、マイセンで焼かれた物を教材として学ぶのが早道だからです。

 ただ、今回紹介します「ヨーロッパ製 柿右衛門写 もみじ小花散らし文 小皿」は、マイセンの初期の頃に作られたものではありません(><) かなり後になって作られたものであることが分かります(~_~;) したがって、良い教材とは言えないかもしれません(~_~;)

 マイセンは、当初は、ライバルもなく、窯印もありませんでしたが、マイセンの名声がヨーロッパの諸国に広まり、マイセンに続けとばかりにヨーロッパの各地の窯が台頭してきますと、作品に窯印を入れて、そのオリジナル性を主張するようになります。

 その窯印にもいろいろとあり、また、時代とともに変貌を遂げていますが、その代表的なものは、双剣マークでしょう。双剣マークの形から、作られた年代のおおよそが分かるようです。

 この「ヨーロッパ製 柿右衛門写 もみじ小花散らし文 小皿」の双剣マークから、この小皿は、1825~1850年頃に作られたものであることが分かるようです。

 その「ヨーロッパ製 柿右衛門写 もみじ小花散らし文 小皿」というものは、次のようなものですが、その写真からも分かりますように、ここでは、既に、もう、柿右衛門写し、古伊万里写しというものではなくなっているように感じます。古伊万里をすっかり吸収し、「マイセン様式」とも言える新たな独自なものに変貌しているように思います。

 

 

表面

右側斜め下の傷(3時から6時にかけての傷)は、2011年の東日本大震災で被災した時に出来たものです(~_~;) 大・小の2片に割れたものを、私が接着剤で貼り付けました。

 

 

裏面

 

 

高台内に描かれた「双剣マーク」の拡大

双剣マークの中でも最もいい加減な描き方のマークの一つで、「偽物?」と思われるようなマークですが、1825~1850年頃に多く描かれているようです。

 

 

生 産  地: ドイツ・マイセン

製作年代: 1825~1850年頃

サ  イズ : 口径;11.4×10.6cm  高さ;2.5cm  底径;5.6cm