ピンコロ地蔵に行きました

2010-01-02 22:01:11 | 雑感
1日午後、雪が舞う中家族で初詣に岩村田の鼻顔稲荷(はなづら・いなり)に行きました。初詣はわが家の場合、別所の北向観音か塩田の生島足島神社に行くことが多いのですが今年は岩村田に行きました。その後、野沢まで足を延ばしピンコロ地蔵にお参りしました。

ピンコロとは「ピンピンコロリ」のこと、楽に大往生できるようにということだそうです。かわいいお地蔵さんが祭られていました。このお地蔵さんは地元の商店街などが中心になってお祭りしたもので、最近ではバスで観光客も来るとか。仲見世ができており大勢の参拝客でにぎわっていました。

ピンコロ地蔵を紹介する立て札がありました。

「信州佐久地方は、日本でも有数の長寿の里として知られています。住みやすい風土と、千曲川の清流、そこで育った佐久鯉、新鮮な果実、野菜などの食物と、昔ながらの勤勉さ、信仰の深さが健康長寿の秘訣とされています。健康で長生きし(ぴんぴん)、楽に大往生(ころ)を願って、ここに長寿地蔵尊として【ぴんころ地蔵尊】が建立されております。」

それにしても岩村田の商人はたくましい。「ピンコロ」というマイナスイメージのネーミングを使ったこと自体すごい。最初はブラックユーモアかと思ったほどでした。長寿社会の中で人々の願いはなんといっても健康です。そしてできることなら長く病むことなく大往生したいと思っています。そんな願いにフィットしたのでしょうか、多くの方が訪れていました。

当時商店街はさびれる一方で活性策が求められていました。その一環としてピンコロ地蔵が検討され、ピンコログッズが開発され、月に1回のピンコロ市を開催し、粘り強い取り組みを積み重ねてきました。そんな動きに注目したマスコミに取り上げられ、参拝客も徐々に増えてきました。老朽化した民家を喫茶店にしたり駐車場やトイレをつくるなど取り組みの輪も広がっています。

いまどこでも商店街の活性化が叫ばれ様々な取り組みを行っていますが、なかなか芽が出ないのが現状です。そんな中、野沢商店街の取り組みはその独創性、粘り強さからいっても特筆すべきものです。

年取りさかなは何ですか?

2010-01-02 20:47:07 | 雑感
大晦日、わが家は早めの食事を済ませ、あとは恒例の紅白歌合戦。そして近くの神社へ二年参りに行きました。どこからか除夜の鐘が聞こえてきました。今年こそ希望の持てる年にしたいと思います。

さて、皆さんのお宅ではお年取りさかなは何ですか。年取りさかなとは大晦日に家族みんなで長寿を祝って食べるさかなのことです。わが家では通例さけですが今年はぶりでお年取りをしました。

一般的に年取りさかなは東日本ではさけ、西日本ではぶりが多いようです。これはさけの溯上と関係があります。さけの溯上の南限は新潟県・糸魚川あたりだと言われ、東北信では信濃川を溯上するサケが手に入りやすかったものと思われます。

これに対し中南信はぶりです。このぶりは飛騨ぶりと呼ばれました。飛騨ぶりは遠く富山湾で水揚げされ飛騨を経て、さらに北アルプスを越えて松本から伊那谷まで運ばれてきました。運搬手段は人か馬しかなかった時代に、延々と山を越え谷を越えてぶりを運んだことは驚きでもあります。

こうした食文化の違いから東日本はサケ文化圏、西日本はブリ文化圏とだと言われます。その二つの文化圏が重なり合っていたところが信州でした。この違いは北アルプスの山並みによるところが大きいと思われます。

そばとうどんでも似たようなことが言えます。麺類は東日本ではそば、西日本ではうどんが珍重されますが、これはそれぞれさけ文化圏とぶり文化圏と重なり合うところがあります。

正月料理を食べながらそんなお年取りの食文化のことを考えていました。

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