震災視察から帰ってきました

2011-05-21 01:54:41 | 議会活動
18日から20日まで行なった東日本題震災の視察から帰って来ました。詳細な報告は今後整理してから行ないます。とりあえず写真で報告します。

朝5時に東御市出発、石巻着11時。石巻港はすでに片付いていました。写真は左が蓮見議員、右が私です。写真を撮ったのが阿部議員さんです。


港に程近い住宅地は津波で大きな被害を受けていました。これまでのボランティアのみなさんのご努力で片付けが始まっていました。


石巻市役所も津波の被害受けましたが市民の生活支援に取り組んでいました。その中で長野県諏訪市、島根県松江市、長崎県諫早市など、全国の市から応援に来ている職員の皆さんがいらっしゃいました。


石巻ボランティアセンターは被災しなかった石巻専修大学の構内にあり、若者を中心に運営されていました。芝生の校庭にはたくさんのテントが張られており、駐車してある車のナンバーも全国に及んでいました。


中にはすでにここに来て3週間になるというつわものもいました。近くに自衛隊のサイトがあり、そこでシャワーが浴びられると言っていました。


午後南三陸町に移動しました。南三陸町はほぼ壊滅状況にありました。遠くに見えるのは消防施設でしょうか。


高台に移動して町の全景を見ました。まったく声が出ませんでした。写真などですでに実態はわかっているつもりでしたが、実際に目にしてみてその物凄さにただたじろぐばかりでした。この瓦礫の下には市民の毎日のいとなみと家族の団欒、そして夢や希望があったのです。それがいま泥濘に覆われています。茫然自失でした。心が折れそうになります。


ここ気仙沼市でも活発なボランティア活動が繰り広げられていました。この日も中高年を中心に100名ほどのボランティアがかけつけていました。被災してから2ヶ月にもなるからでしょうか、受付の方は大勢の皆さんを実に手際よくさばいていました。


ボランティアの皆さんは自分のできる仕事と名前をシートに書き、ガムテープで背中に貼って準備をします。ボランティアセンターでは市民の方から要請のあった仕事を振り分け、仕事ごとにいくつかのグループに分かれて作業に入ります。


個人のお宅の掃除をすることになったグループです。学生さんや仕事を休んできたサラリーマンの方、仕事をやめてボランティアに参加した方、すでにリタイヤされた中古年の方など様々な方が参加されていました。カメラを向けるとVサインをしてくれました。こんな時不謹慎だとは思いますが、こんな時だからこそその明るさが救いになりました。


最終日に気仙沼市を表敬訪問し副市長さんにお会いしました。ここには東御市から4名の職員が2週間交代で派遣されています。健康に留意されしっかり仕事をされるよう激励をしました。ここでは東京都の江戸川区の職員の方と一緒に仕事をされています。


気仙沼市の総合案内所には様々な情報が掲示されていました。情報と言う点では今回の被災にあたり、数多くの災害FM局が立ち上がったことも注目すべきことがらでした。気仙沼市でも3月23日には気仙沼災害FM、4月22日には本吉災害FMが立ち上がっています。


市民の方が列を作って相談所に訪れます。その応対に忙殺され、気仙沼市の職員の方はこのところ土日勤務が続いているとのことでした。他の市などから支援をしてもらっていても仕事は一向に終わりません。


気仙沼市の市民会館が避難所に指定されており訪れました。所長さんは女性の方でご自身もご家族を亡くされています。避難されている方々の立場に立って、きめ細かな心遣いをされておられました。隣接地には仮設住宅も建設されてきています。


気仙沼市の被害の状況は他の市と同様でした。船が瓦礫の上に乗っているのが、津波のものすごさを物語っています。


地震で地盤沈下が起きたとのことでところどころで満ち潮の時水浸しになります。交通止めが行なわれ迂回を強いられることになります。


帰りにお隣の岩手県陸前高田市の状況を見てきました。荒涼たる瓦礫が広がるばかりでした。

2泊3日の視察は実に多くのことを学ぶことができ、実りの多い視察でした。ここでの教訓をこれからの行政に活かしてゆくことができればと思います。

見守り隊紹介式とまちづくり懇談会

2011-05-18 04:04:10 | 議会活動


17日朝、滋野小学校で見守り隊、安心の家、学校ボランティアの紹介式がありました。見守り隊とは子供たちの登下校の安全を見守るボランティアのことです。子供たちの登下校にあわせて犬の散歩などをし、あわせて子供たちの安全をそれとなく見守るというのが趣旨です。安心の家とは子供たちが登下校の途中で困ったことができた時、駆け込むことができるお宅のことです。

わが家は中屋敷のちょうど中間にあるため以前から安心の家に委嘱されています。時には子供たちがトイレを借りにきたり、水を飲みに来たりします。私は子供たちがわが家に寄ってくれることが楽しみになっています。

集まったボランティアの方々は30人くらいでしょうか。全校生徒の前でお一人おひとり紹介していただきました。すでに子供たちと仲良しになっている方もおいでで、子供たちと楽しげに挨拶をかわされていたことが印象的でした。

午後からはまちづくり懇談会が開催されました。滋野コミュニティセンターに市の幹部が勢ぞろいして市政運営についての説明があり、集まった区長さんなど地域の方々と地域の課題について意見交換がありました。

今年から滋野地区は協働のまちづくりのモデル地区となっています。よりよいまちを創るために力をあわせて行くことができればと思います。

これから東日本大震災の被災地へ会派で視察に出かけます。このため3日間ほどこのブログの更新ができなくなります。帰ってきてから視察の報告をいたしますのでよろしくお願いいたします。

小出さんのお話をお聞きください

2011-05-16 23:35:26 | 雑感
福島原発事故について調べていましたら、知人から京都大学の小出裕章さんという方が、原発に批判的な立場でとてもわかりやすく解説しているという情報をいただきました。参考になるかと思われますのでご紹介いたします。クリックしていただければお話をお聞きできます。

大切な人に伝えてください-小出裕章さん『隠される原子力』

原発なしでも電力足りてる 小出裕章

小出裕章(京大助教)非公式まとめ

小出裕章 氏(京都大学助教)のプロフィール 「Wikipedia」より
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日本の工学者(原子力工学)。京都大学原子炉実験所助教、工学研究科都市環境工学専攻助教。研究分野は原子核物理学、原子力学、環境動態解析、原子力安全、放射性物質の環境動態。所属学会は日本保健物理学会、エントロピー学会。東京都台東区上野出身。

開成高等学校をへて1972年に東北大学工学部原子核工学科卒業。1974年、東北大学大学院工学研究科修士課程修了(原子核工学)。1974年、京都大学原子炉実験所助手。

これからは石油・石炭でなく原子力の時代、と考えて原子力工学を志したが、現代の原子力工学における放射線被害に鑑み、途中から原子力発電をやめたほうがいいと思うようになった。以来、一貫して"原子力をやめることに役に立つ研究"を行っている。

東北大学在学中、当時女川町に建設予定だった原子力発電所に対し地元住民が反対する現状を知る。このとき、彼らが主張する「(原発が)安全ならば、なぜ仙台市に建設しないのか」という問いに対する答えを見出さなければならないと考え、答えを導き出す。その答えとは、「(原子力とは)都会では引き受けられないリスクを持っている。したがって、電力消費地に近い都会では建設が困難なため、こうしたリスクを過疎の街に押し付けようとしている」というシンプルなものであった。

この答えに到達してからは、自ら原子力に対する考えと人生についての選択肢をを180°転換させる。「この事実はとても認めることはできない、止めさせよう、これからは原子力を止めさせる方向へ自らの力を注いでいこうと決心した」

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福島原発1号機メルトダウン!

2011-05-16 04:42:17 | 雑感
5月15日付けの信濃毎日新聞によれば、福島原発1号機は地震直後に圧力容器が破壊され大量の放射能が漏れ出していたそうです。前日には炉心溶融が確認され燃料棒が溶け出し、圧力容器や格納容器の損傷の恐れもあると報道されたばかりでした。以下記事を転載します。

東京電力福島第1原発1号機の原子炉建屋内で東日本大震災発生当日の3月11日夜、毎時300ミリシーベルト相当の高い放射線量が検出されていたことが14日、東電関係者への取材で分かった。高い線量は原子炉の燃料の放射性物質が大量に漏れていたためとみられる。

 1号機では、津波による電源喪失によって冷却ができなくなり、原子炉圧力容器から高濃度の放射性物質を含む蒸気が漏れたとされていたが、原子炉内の圧力が高まって配管などが破損したと仮定するには、あまりに短時間で建屋内に充満したことになる。東電関係者は「地震の揺れで圧力容器や配管に損傷があったかもしれない」と、津波より前に重要設備が被害を受けていた可能性を認めた。

 第1原発の事故で東電と経済産業省原子力安全・保安院はこれまで、原子炉は揺れに耐えたが、想定外の大きさの津波に襲われたことで電源が失われ、爆発事故に至ったとの見方を示していた。

 地震による重要設備への被害がなかったことを前提に、第1原発の事故後、各地の原発では予備電源確保や防波堤設置など津波対策を強化する動きが広がっているが、原発の耐震指針についても再検討を迫られそうだ。

 関係者によると、3月11日夜、1号機の状態を確認するため作業員が原子炉建屋に入ったところ、線量計のアラームが数秒で鳴った。建屋内には高線量の蒸気が充満していたとみられ、作業員は退避。線量計の数値から放射線量は毎時300ミリシーベルト程度だったと推定される。

 この時点ではまだ、格納容器の弁を開けて内部圧力を下げる「ベント」措置は取られていなかった。1号機の炉内では11日夜から水位が低下、東電は大量注水を続けたが水位は回復せず、燃料が露出してメルトダウン(全炉心溶融)につながったとみられる。

 さらに炉心溶融により、燃料を覆う被覆管のジルコニウムという金属が水蒸気と化学反応して水素が発生、3月12日午後3時36分の原子炉建屋爆発の原因となった。(「信濃毎日新聞」 平成23年5月15日付けより)


記事のポイントは3つあります。
一つ目は東京電力が初めてメルトダウン(炉心溶融)という言葉を使い、圧力容器が損傷し放射能の外部への漏洩を認めたことです。
二つ目は、今回の事故の原因については津波により外部電源の喪失だと言ってきましたが、地震による圧力容器や配管の損傷であったことを認めたことです。原発の耐震工構造に問題があったということです。
三つ目は、事故対策の有力な方策として取り組んできた「水棺」が不可能になり、対策を根本的に見直さざるをえなくなったことです。

事態は深刻です。高レベルの放射能により汚染された水が原子炉建屋の地下に溜まっているそうですが、コンクリートの建屋はもともと水を溜めておくところではありません。まして地震により亀裂が入っていることと思います。大量の汚染水が地下に漏れ出し、最終的に海に拡散していっています。

それにしても事故から2か月もたってから「実は最初から炉心溶融していました」というのはどうしたことでしょうか。

このあいだの放射能事故のレベルの時もそうでした。当初の発表は4でした。それが1ヶ月になって最高の7になり引き上げになりました。その時も「まだチェルノブイリの時ほどではない」などと言っていました。

これほどの大事故であるにもかかわらず、事故を小さく見せよう、小さく見せようという意識が働き、当事者からは正しい判断能力が失われています。正しい方針を出すには正しい現状把握が欠かせません。

孫たちと散歩しました

2011-05-15 08:27:09 | 雑感

お天気が良く田んぼの中孫二人と散歩しました。


水に興味津々のお兄ちゃんは目ざとく水門を見つけました。


それを見ていた弟は早速お兄ちゃんと同じことをしています。

お天気が良く娘が孫を連れて遊びに来ました。久しぶりに時間があったので近くのコンビにまで散歩しました。上の子のあとを1才半の下の子がヨチヨチとついて行きます。

いまではお兄ちゃんとなんでも同じことをしないと気がすまない弟。お兄ちゃんは水に興味があります。ちょうど水路のボックスがありました。さっそくさわってみています。それを見ていた弟はお兄ちゃんをまねてさわっていました。

成長するとは「まねる」ことなんですね。学ぶことも「まねる」ことからきているのでしょうか。子供の成長のヒトコマを見るようでした。

原発について5つの神話

2011-05-14 19:01:08 | 議会活動
福島原発事故をめぐる状況は炉心溶融という、ありうべからざる事態に立ち至ってしまいました。放射能を閉じ込めておかなければならないはずの圧力容器・格納容器に穴が開き、そこから放射能が漏れ出しているというのです。

これでは東京電力が計画していた圧力容器や格納容器内を水で満たすという「水棺」計画は不可能になりました。今後の事態の進展には目が離せません。これからどうなるのか憂慮しています。そこで原発と放射能についての5つの神話について考えてみたいと思います。それは原発は安全だという神話、放射能はそれほど心配ないという神話、原発を止めれば停電になるという神話、原発は安いという神話、環境にやさしいという神話です。ひとつ一つ考えて見ましょう。

■ 原発は安全だという神話

今回の福島原発で第一の安全性の神話は崩れ去りました。つい先日、東京電力は福島原発第1号機での炉心溶融を認めました。ウラン燃料が圧力容器から溶け出し格納容器内に洩れているというものです。格納容器自身も壊れている可能性があります。もう誰も原発は安全だと信じている方はいらっしゃらないでしょう。

■ 放射能はそれほど心配ないという安心の神話

私は枝野さんの「ただちに影響が出るレベルではない」というセリフは聞き飽きました。このところ彼は口癖のようにこのセリフを繰り返しています。それではと突っ込みを入れたくなります。「将来的には影響があるということですか?」と。

放射線の障害には急性障害と晩発性障害があるそうです。1999年の東海村の原子力事故では2名の方が2ヶ月から7ヵ月後に亡くなっています。問題はその後です。ガンなど後になって出てくる障害が恐いですね。

あのチェルノブイリでは小児白血病や甲状腺ガンが多発しています。「ただちに」という言葉であいまいにするのではなく、晩発性障害についても詳細に説明するべきです。

■ 原発を止めれば停電するという神話

原発をやめれば停電するという意見が根強くあります。しかしこれについては私たちには経験があります。2002年東京電力は原発のトラブルを意図的に隠蔽したとして、17基、全ての原発を停止するという前代未聞な事態にまで発展しました。この時も停電になると言われましたが何の問題もありませんでした。

その後電力自由化の中で自家発電が普及、、大きな工場などでは自前で賄っているところも出てきています。停電するから原発は必要だという言い訳は通りにくくなっています。

■ 原発は水力や火力などと比べて安価だという神話

燃料などの直接運用コストから見れば確かに安価でしょう。しかし建設に当たっては多額の地元対策費を支払い、手厚い電源交付金などの税金が投入されています。また核廃棄物の処理方法は決まっておらずこれからどれだけ資金がかかるかわかりません。まして事故が起きた時のコストは計り知れません。

運用コストだけでなく間接コストも含めて計算すれば、総コストは火力や水力などとは比較になりません。

■ 原発はCO2を出さないので環境に優しいという神話

CO2に限ってみればその通りかもしれません。しかしその後には放射能廃棄物が残ります。これの環境への負担はCO2どころではありません。無害になるまで数十万年かかると言われています。地層処分と銘打って地下数千メートルに埋めてしまおうと言う計画があります。しかし数十万年先まで管理しなければならないという案はとても検討に値するものではありません。

私は「子供たちにツケを回してはならない」と言っていますが、核廃棄物というゴミもまったく同様です。

しかし私でさえ理解できるこうしたことがなぜ専門家の方々は理解できないのでしょうか。

来週被災地へ視察に行きます

2011-05-12 23:57:13 | 議会活動
5月18日から2泊3日で東日本大震災の被災状況の視察に行ってきます。私を含め市議会の会派「太陽と風の会」の3名の議員が参加します。

4月以来、市は宮城県気仙沼市の復興支援に常時4名の職員を派遣してきました。この連休中は市長も現地を訪問し視察されたそうです。そして先日の9日には臨時議会で9月末までの職員派遣の予算措置が承認されています。こうした中で議会としてもかかわって行くことが必要だと感じています。

一方、被災地からは入れ代わり立ち代わりの視察のために仕事にならないという話しも伝わってきています。しかし現地に行った方からは、テレビで見る画像と事実とはまったく違うという声も聞きます。やはり現地に立つことの重要性を認識しています。私たちはできるだけ現地の方のお世話になることなく視察するつもりです。

視察する目的は3つ。被災状況の把握、復興への取組み、支援状況の把握と今後の支援の取組みについてです。できればこれから継続的な支援活動をするにあたり、交通事情や宿泊場所など必要な情報も収集してきたいと思います。

今日のミニコミ紙「東信ジャーナル」には小諸市のボランティアセンターと社会福祉協議会が災害ボランティアを募集し、岩手県大槌町に派遣したとの記事が載っていました。メンバーは21人、日程は11日から3泊4日。宿泊費用は個人負担ですがバス代などは市が負担するそうです。

ボランティアに参加したいと思っている方は大勢いると思います。しかし現地の情報も手に入らず、どうしたらいいかわからない方も多いのではないでしょうか。そんな点についても視察できればと思います。

6月議会が開かれます

2011-05-12 19:58:19 | 議会活動
6月議会の日程が発表になりました。6月2日開会、24日閉会23日間の予定です。詳細は下記の通りです。今回も私は一般質問を予定しています。12日と13日が予定されています。傍聴においでいただくか、ケーブルテレビ、FMとうみでご視聴いただければ幸いです。

第 1日 6月 2日(木)9時 本会議開会
第 2日 6月 3日(金)休 会 議案調査
第 3日 6月 4日(土)休日休会
第 4日 6月 5日(日)休日休会
第 5日 6月 6日(月)9時 全員協議会
第 6日 6月 7日(火)休 会 議案調査
第 7日 6月 8日(水)休 会 議案調査
第 8日 6月 9日(木)休 会 議案調査
第 9日 6月10日(金)休 会 議案調査
第10日 6月11日(土)休日休会
第11日 6月12日(日)休日休会
第12日 6月13日(月)9時  一般質問
第13日 6月14日(火)9時  一般質問

第14日 6月15日(水)休 会 議案調査
第15日 6月16日(木)休 会 議案調査
第16日 6月17日(金)9時  総括質疑
第17日 6月18日(土)休日休会
第18日 6月19日(日)休日休会
第19日 6月20日(月)9時 常任委員会
第20日 6月21日(火)9時 常任委員会
第21日 6月22日(水)9時 正副委員長会議
第22日 6月23日(木)休 会
第23日 6月24日(金)13時 本会議閉会

上記のスケジュールを見ると「休会」という文字が多いのにお気づきかと思います。これはお休みと言うことではありません。本当のお休みは「休日休会」と言います。休会というのは本会議を開かないということです。

「休会・議案調査」というのは本会議はお休みで提案された議案が妥当なものかどうか調査を行なう日のことです。関係部署に出向いて質問したり、周辺市町村の動向や関係条例を調べたりします。この議案調査をしっかりしないとより深みのある議論ができません。

ちょうどこの時期はぶどうが一番忙しい頃です。計画的に乗り切っていこうと思います。

東日本大震災で活躍するFM局

2011-05-11 05:06:42 | 議会活動
きょうは5月11日、朝から激しい雨が降っています。2ヶ月前の3月11日、午後2時46分からこの国の歴史が変わりました。亡くなった方、行方不明の方は2万4千人、いまだに避難所暮らしを余儀なくされている方は12万人にも及んでいます。

昨日は所用で安曇野市まで出かけてきました。そんな出先で「読売新聞特別縮刷版-東日本大震災1か月の記録」という本を買ってきました。3月11日から4月11日までの1か月間の読売新聞がそのまま縮刷されています。この歴史的事件のありようを残したいと思っていたのでグッドタイミングでした。

虫眼鏡を使ってあらためて細かい文字に目を走らせ、この1か月間のことを振り返ってみるとあまりの惨状に心がくじけそうになります。読み進めるのがつらくなります。そんな中、「臨時のFM局続々開局」という記事が目を引きました。「ゴミ出しから買い物、学校、住まいの確保まで、きめの細かい情報が求められる。今は地域の放送局の力を最大限発揮する時」と報じていました。

東日本大震災に見舞われた被災地では地元のコミュニティFM局が次々に開局され、震災10日後で12局にもなったそうです。

11日には花巻市(FM0ne)、12日には岩手県奥州市(奥州エフエム)と茨城県鹿島市(FMかしま)、14日には茨城県つくば市(ラヂオつくば)、15日には宮城県大崎市(おおさきさいがいFM)が開局しています。16日には宮城県登米市(H@!FM、はっとエフエム)、そして福島市(FMポコ)、宮城県石巻市(ラジオ石巻)の3局が開局しました。その後18日宮城県塩釜市(BAY WAVE)、19日に岩手県宮古市(みやこさいがいエフエム)、20日宮城県岩沼市(ほほえみ)、21日宮城県山元町(りんごラジオ)となっています。

その後ネットで調べましたら以下の通りなんと21局にも及びます。地域における情報伝達の手段としてコミュニティFM局の重要性が認識されての結果だと思います。そしてその多くが市民ボランティアの手によるものです。

こうした中で災害時におけるコミュニティFM局の有効性が、あらためて注目されています。幸い東御市においても昨年10月に「FMとうみ」が開局しています。緊急ラジオの配布も始まっており、もし市内に大きな災害があった時にも十分対応できる態勢が整っています。まさに先を見越した施策だったと思います。「FMとうみ」にはこれからも地域の身近なコミュニケーションとしての活躍を期待しています。

▼東日本大震災にともなう臨時災害FM局(4月15日現在)
【岩手県】<地名・周波数・開局日>
・宮古市(77.4MHz、3月19日)みやこコミュニティ放送研究会
・山田町(76.7MHz、3月17日)IBC岩手放送
・釜石市(86.0MHz、4月 7日)
・花巻市(78.7MHz、3月11日-4月3日/3)FMOne
・奥州市(77.8MHz、3月12日-3月29日)奥州エフエム
・大船渡市(78.5MHz、3月28日)奥州エフエムが支援
【宮城県】<地名・周波数・開局日>
・気仙沼市(77.5MHz、3月22日)H@!FMが支援
・登米市(76.7MHz、3月16日)H@!FM
・大崎市(79.4MHz、3月15日)おおさきFM放送局
・塩釜市(78.1MHz、3月18日)BAYWAVE
・石巻市(76.4MHz、3月16日)ラジオ石巻
・名取市(80.1MHz、4月 7日)
・岩沼市(77.9MHz、3月20日)エフエムいわぬま
・亘理町(79.2MHz、3月24日)FMあおぞら
・山元町(80.7MHz、3月21日)りんごラジオ
【福島県】<地名・周波数・開局日>
・福島市(76.2MHz、3月16日-3月25日)FM-POCO
・相馬市(76.6MHz、3月29日)
・南相馬市(79.5MHz、4月15日)
・いわき市(77.5MHz、3月28日)SEAWAVE
・須賀川市(80.7MHz、4月7日)
【茨城県】<地名・周波数・開局日>
・つくば市(84.2MHz、3月14日)ラヂオつくば
・鹿嶋市(76.7MHz、3月12日)FMかしま

臨時議会で被災地支援予算可決

2011-05-10 04:21:10 | 議会活動

(写真)旧北御牧村の議場はとても立派です。1年あまりここに通うことになります。

5月9日は第2回臨時議会が開催されました。今回の議会から市庁舎の改修工事のため議場が北御牧庁舎となります。いつもならサンラインを通って市庁舎に向かうのですが、この日は島川原の橋を渡って議場に向かいました。

議場は北御牧庁舎の3階にあります。ここは1階が市の総合支所と商工観光課、JAが入り2階は北御牧公民館となっています。議場は旧北御牧村のもので合併以来使われていませんでした。

私はこの議場を4月の産業建設委員会の山林調査の際初めて見たのですが、なかなか立派な施設です。現在の議場には議員控室はなく廊下の一角を仕切って使っていましたが、この議場には広い控室があります。これまで使われていなかったのはもったいないと思いました。これから1年あまりお世話になります。

さて臨時議会では、平成22年度一般会計予算の専決処分案や平成23年度の一般会計補正予算案など8議案が提案されました。

補正予算で災害支援費として2千万円上程されました。内容は東日本大震災で被害を受けた宮城県気仙沼市へ派遣する職員の人件費・そのための支援物資・宿泊施設借上料・公用車レンタル料と、市営住宅に避難してきている皆さんに対する電気料・ガス代・上下水道使用料を3ヶ月間無料とする費用です。

気仙沼市への職員派遣はすでに4月から2名ずつ2週間交代で実施しています。仕事の内容は気仙沼市の職員と一緒になって仮設住宅申し込みの取りまとめ、義援金の配分や対応、罹災証明の発行などを行なっています。働き方は地元の職員と同様、土日の休みは一切ないというハードな環境にあります。

最初は市庁舎の片隅に寝て食事もカップめんということも多かったようです。空気がよどみ、臭いも強い中で咳が止まらず体調をくずしたり、派遣の前後を含めて正味16日間働きづめの中で疲労感訴える職員も出てきました。

こうした中で宿泊場所を確保することになりました。幸い車で20分ぐらいの一関市に確保でき、食事も提供してもらえるようになり、頼めば昼食のおにぎりも提供していただけるようになったそうです

こうした支援は10月の初めまで継続される予定で、派遣される職員は述べ数十名にのぼる見込みです。いま舞台が丘整備事業が本格化し人手が足りない中で、被災地へ職員を派遣することは並大抵のことではありません。派遣された方も残された職員もお互いに大変なことだと思います。もしかしたら本来業務に支障をきたすことがあるかもしれません。

「しかし」と私は思います。いま被災地で未曾有の災害の中で大変な事態が生じています。そうした中で被災地の職員は自らを省みることもなく、市民のために必死になって働いています。そんな自治体を支援することは極めて意味があることだと思います。市の職員の方も派遣されて大変だと思いますが、ぜひ多くのことを学んで帰ってきてほしいと思います。そしてその経験をこれからの仕事の中に活かしてほしいと思います。

いま市内に避難されてきているご家族は4月下旬で16世帯だそうです。その中で小・中学生が8名いるそうです。このうち市営住宅に3世帯8人、借家に3世帯6人、その他実家や知人宅に身を寄せている方がいらっしゃいます。市営住宅入居者に対する水道光熱費の無料化については3ヶ月間となっていますが、今後長期化する場合には支援という方向で考えるそうです。

最後に市庁舎増改築工事の請負契約について審議されました。落札したのは竹中工務店さん。落札価格は16億3128万円(うち消費税は7633万円)。予定価格に対する落札率は84.8%となっています。下請けとして建設工事や資材調達で6社の市内業者を予定しているそうです。

最後に全員一致ですべての議案が可決・承認されました。

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