25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

早坂 暁の作品

2018年08月08日 | 映画
 昭和のテレビドラマで何がよかったか、もう一度見たいかと言えば、「花へんろ」と「夢千代日記」そして「事件」を挙げる。ほかにもあるのだろうが、思い出せない。この三作とも早坂曉の脚本である。悲しみも、おかしみもある。何と言っても、「花へんろ」では俳句が「夢千代日記」では短歌が出てくる。そして「花へんろ」では桑原研朗が音楽を、「夢千代日記」では武満徹が音楽を担当している。これが映像とよく合うのだ。セリフ、ナレーション、映像、音楽どれもマッチしている。行間を読む、と言われるが、映像と音楽が行間を読む手助けをしてくれる。
 桃井かおりは彼女の俳優人生で代表作だろうし、吉永小百合も、もはや「キューポラのある街」よりは「夢千代日記」が最高の代表作だろうと思う。吉永小百合はこれがなかったら、青春ドラマ俳優で終わっていたかも知れない。
 若山富三郎も「事件」がなければ、「子連れ狼」かヤクザ物で終わっていたかもしれない。
 
「花へんろ」は渥美清がナレーションをやっていた。
 早坂暁と渥美清は仲がよかったらしく、渥美清に、尾崎放哉を演じてみないかと相当説得し、渥美清も乗り気になったらしい。寅さんからの脱皮を考えていた頃だ。ところがこの企画は関西で尾崎放哉のドラマが橋爪功を主人公としてつくられたというニュースがあって流れてしまった。渥美清の脱皮もできぬまま寅さんで役者人生を終えた。渥美清の自由律の俳句にいい句が多くある。
 
 文学の香りがする早坂暁の作品を考えてみると彼の物語の源泉が太平洋戦争期の思春期時期にあり、彼のユーモアは商売人の一家でありながらも句会を主宰する親たちの風雅さである。
 太平洋戦争まではまだ庶民にはピンと来ていない戦争であった。太平洋戦争までの穏やかな日々のなかでいろいろなことが起こるが、それが国家による犠牲をあからさまに強いるものではなかった。
 昨日「花へんろ」の特別編がNHKBSであった。早坂暁を思わせる主人公良介は愛する義妹が広島のうつ原爆で帰らぬ人っとなってしまったことを知る。
 悲しいドラマであったが美しかった。儚い命であったが、命は尊いとじっくり思わせる脚本になっていた。
 こういう脚本を継いでいく人は誰なのだろう。いるはずもないのだが、そう思ってしまう。