25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

思い出すこと 1

2018年08月16日 | 日記
 尾鷲小学校に入っての一学期、掃除の時間にぼくは担任の男先生にひどく叱られたことがある。温厚なその先生がひどく怒ったにだった。ぼくは同級生の吉沢くんと悪ふざけしていたのだろう。なぜ叱れたのかその理由が思いだせず、叱れた、本気で先生が怒ったということだえが強く印象に残りもう、何百回も思いだしている。ぼくはしてはいえないことをしたのか、悪ふざけも度が過ぎたんか。きっとぼくの行為の何かが先生の勘に触ったのだろう。
 他人に叱られるということが初めてだったと思う。これまでも母や父に叱れたのだろうが記憶にないから、他人に叱れるというのはよほどショックだったのだろう。

 小学生の頃は授業に集中しなくても、姉がいたせいで三年は得をしていた。姉が習うことを弟のぼくもきっと家で見ていたにちがいない。
 とにかく外で遊ぶことが好きだった。遊びにも流行があって、ビー玉が流行ると、やがて潮を引くようにやらなくなり、今度は角パンが流行るという風だった。仲間を集めては中村山あたりで薪を刀にみたて、切り合いをしたり、相撲を取ったりした。
 一年、二年と進んでいくと、ますます授業中に別のことを思うようになり、機があれば多動児となった。三年生で女性の先生になり、男の先生の恐ろしさとはうってちがうので、その先生をなめきっていた。机の前でじっとしておれず、調子こいていた。その女性教師が出産で休み、臨時できた男の先生は怖くもなく、あまり怒ることなく、ぼくはいよいよギャング時代に突入したのだった。姉の勉強をわき目に見ていたぼくの貯金もかなり使ったように思う。昭和31年から33年kyらいのことである。今のように多くの物はなかったが、食い物は十分だった。そして天真爛漫でもあった。父が遠洋漁業船に乗っていたので、父がいないときが多く、ぼくは増長してヤンチャだったように思う。