宗教という言葉が入ってきたのは明治になってからである。それまでは日本人の意識は八百万の神と仏が合体しているようなうっすらとした信仰はあったようである。仏教の経典な読める庶民などはいなかった。ただ「南無阿弥陀仏」や「なん妙法蓮華経」とかを唱え手を合わしたり、神社では柏手をうっていたのだろう。ニ礼二拍一礼の作法も宗教という言葉が出てきたことで、神道も慌てるように様式決めた明治のことである。キリスト教という厳しい信仰が入ってきて、それを宗教と呼ぶのなら、日本列島人はどのようにして道徳心をもつにいたったのだろう。
新渡戸稲造はクリスチャンであったが、その点で悩んだらしい。それが「武士道」を書くに至らせた。新渡戸稲造にとって武士道はキリスト教の厳しい教えによく似ていたらしい。
クリスマスを楽しみ、キリスト教の結婚式をあげ、正月や七五三となると神社に詣でる。人が死ねば葬式をする。一部神教の信者から見れば訳がわからないだろう。日本列島人の多くは信心がないのか、と問われたら、ない、とは答えられないだろう。ただ超越した絶対神に服従するか、と問われたら、それはない、と多くの人が答えることだろう。
ぼくらの意識の世界は無意識も含めて一体どうなっているのだろう。
明治期に伊藤博文が憲法を考えた時、日本の憲法の軸を天皇においた。万世一系だと天皇のこと定義した。神武天皇は神話の第一代天皇である、とした。天皇が司る国を日本だとした。短い期間であったが廃仏毀釈までみ明治の初期に行われた。西洋の方式が利用された。この国体は長く続かず、米英中ロらの連合軍によってこてんぱんにされた。しかし多くの若者は「天皇陛下万歳!」と叫んだ。天皇は絶対的な神そのものであった。
戦後天皇は江戸期のような象徴となった。そして人々の間ににこやかに顔を見せるようになり、国内外各地で人々に寄り添うように慰霊の訪問をした。
仏教は葬式仏教になり、ほとんど解体されているように思える。神社も静かに粛々とある。江戸期に戻ったようである。宗教色が薄まっている。それは経済の成長を伴っている。自分で自分の未来をある程度見通せるようになって、どの宗教薄まった。
日本列島は地震や津波、水害のよう災害はあるけれど、もちろん天変地異による飢饉はあったが、平均すれば西南アジアやヨーロッパよりは豊かに暮らせたのだろう。海に囲まれていた。四季のある温暖な地域であった。
いわば絶対神に救いを求めなくてもよかったのである。日本列島人の意識深層には一万年に及んだ縄文人の文化がある。その上に弥生人がもたらした文化がある。朝鮮、中国からもたらされた文化も層を成している。明治になって欧米の文化が入ってきて、僕らに意識の表層部分を作った。それが崩れた。明治以降に積もった表層の部分が崩れたのか、もっと深いところから崩れたのか、日本列島人はまだ総括をしていないように思う。
新渡戸稲造はクリスチャンであったが、その点で悩んだらしい。それが「武士道」を書くに至らせた。新渡戸稲造にとって武士道はキリスト教の厳しい教えによく似ていたらしい。
クリスマスを楽しみ、キリスト教の結婚式をあげ、正月や七五三となると神社に詣でる。人が死ねば葬式をする。一部神教の信者から見れば訳がわからないだろう。日本列島人の多くは信心がないのか、と問われたら、ない、とは答えられないだろう。ただ超越した絶対神に服従するか、と問われたら、それはない、と多くの人が答えることだろう。
ぼくらの意識の世界は無意識も含めて一体どうなっているのだろう。
明治期に伊藤博文が憲法を考えた時、日本の憲法の軸を天皇においた。万世一系だと天皇のこと定義した。神武天皇は神話の第一代天皇である、とした。天皇が司る国を日本だとした。短い期間であったが廃仏毀釈までみ明治の初期に行われた。西洋の方式が利用された。この国体は長く続かず、米英中ロらの連合軍によってこてんぱんにされた。しかし多くの若者は「天皇陛下万歳!」と叫んだ。天皇は絶対的な神そのものであった。
戦後天皇は江戸期のような象徴となった。そして人々の間ににこやかに顔を見せるようになり、国内外各地で人々に寄り添うように慰霊の訪問をした。
仏教は葬式仏教になり、ほとんど解体されているように思える。神社も静かに粛々とある。江戸期に戻ったようである。宗教色が薄まっている。それは経済の成長を伴っている。自分で自分の未来をある程度見通せるようになって、どの宗教薄まった。
日本列島は地震や津波、水害のよう災害はあるけれど、もちろん天変地異による飢饉はあったが、平均すれば西南アジアやヨーロッパよりは豊かに暮らせたのだろう。海に囲まれていた。四季のある温暖な地域であった。
いわば絶対神に救いを求めなくてもよかったのである。日本列島人の意識深層には一万年に及んだ縄文人の文化がある。その上に弥生人がもたらした文化がある。朝鮮、中国からもたらされた文化も層を成している。明治になって欧米の文化が入ってきて、僕らに意識の表層部分を作った。それが崩れた。明治以降に積もった表層の部分が崩れたのか、もっと深いところから崩れたのか、日本列島人はまだ総括をしていないように思う。