25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

絶対に戦争をしないと世界に訴える

2018年08月12日 | 文学 思想

 八月になると先の戦争と核問題が話題となる。現代社会は使える核開発競争という馬鹿げた政策が行われている。ヨーロッパやアメリカはイスラム国家に脅威を持ち、たとえ戦争がなくても政治の意識の根本に戦争、防御、報復をもっている。これは彼らの原罪のようなものだ。

 戦争を克服できないホモ・サピエンスは滅亡のカードを持ってしまったことになる。戦いの連続だったキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の歴史を見ても、その遺伝子は脈々として現代に繋がれている。
 ときどき、われわれはそういう世界に背を向けて、慎ましく生きていけばいいではないか、世界経済三位などということに執着する必要もないこと(-。-)y-~ではないか、と思うことがある。白人には付き合い切れんぜ、と思う。
 キリスト教も、イスラム教、ユダヤ教も同じ神を崇めるというのだから呆れる。少々は自らの宗教を考えてみたほうがよいと思うが、ぼくには到底わかり得ない超越した神の存在があるのだろう。「戦争の放棄」という理想的な憲法を日本において提案したというのは、戦争という概念そのものがダメなのではなく、日本に戦争を放棄させて二度と米英など連合国を攻めるなという、やはり戦争が前提の要求だったのではないか。はエジプトからシナイ半島、やがてローマ帝国、帝国の分裂、ヨーロッパ国取り合戦、第一次世界大戦、第二次世界大戦を経ている彼らは、自衛と報復の意識がぼくらには考えられないほど記憶としてあるのかも知れない。

 しかし、もうそんな記憶は軽蔑、憐れとし、歴史を完全にリセットをした方がよいと思う。
 戦争放棄は未来へのメッセージである。個個人は心の中ではそう思っているだろう。コスタリカだっと思うが国は軍隊もなくした。もちろん戦争も放棄した。永世中立国を目指している。(※非常時には自衛隊ために徴兵ができるようになっているが、現在の高度な技術力を必要とする戦争においてこの制度は事実上意味がないという意見がある) 
 このような国々が現れればいい。馬鹿な、とリアリストhは言うかもしれない、しかし、「絶対に戦争はしないのだ」という精神を徹底して世界に訴えたほうがよい。