さすがにこの台風では客もキャンセルだろうと思っていた。すると、づでに尾鷲にいると予約客から電話が、かかった。京都からの家族である。銚子川で遊びたかったのだが、それは断念。しかし大泊に美味しい料理屋があるらしい。この辺にはよくきていて、そのみせが一番ですね、と言っていた、料理もあったから、それも楽しみで来たのだ。
キリスト教勉強が終わって、読書がまた人類史に戻っている。木の上で生活していた人類の祖先の中に、ある日突然折れ曲げられない足の親指をもつ奇形の子が誕生した。その頃アフリカはジャングルから疎林や草原になっていた。足の親指がまがらない奇形児は木の上での生活には親指が曲がらないため、不便だったにちがいない。
ところが地上で立ってみると、親指で蹴って歩くのには実に便利であった。立つことによって敵を見晴らすことができる。物を腕に抱えて運ぶことができる。足の親指が曲がらない方が環境にてきおうするにはよかった。直立歩行が始まって、骨盤が小さくなった。
それでも疎林や草原で生きるには難しかった。直立歩行は他の動物よりスピードがでない。やはりネラワレルと弱い。飢餓もあった。何でも食べるようにした。獲物が獲れないときがある。だがホルモンは飢餓のときには細胞の成長を遅らせた。食べられる時に食べておいて、飢餓のときは自分の芝生やたんぱく質で生きた。体の代謝を遅らせたが、逆に脳が発達した。考えなければならなかったのだろう。
ホモ・サピエンスは人類の誕生700万年前から680万年経って系統分化した。
華奢で弱かったサピエンスは唯一の人類となった。
ところでぼくも万世一系である。多分、ずっと、ずっと前、植物と動物に分かれる以前から、命を奇跡のように繋いできてぼくもあなたもいる。天皇のみが万世一系ではない。おとこであれ、女であれ、ずっと命を繋いできているのである。そのくらいの常識は誰にだってわかる。
古生物学、人類学、考古学もまた研究が進んでいる。その研究は血統を無化し、人類の野蛮性を客観化する。現在を見るには大過去からと未来の死からの視線である
これはぼくの持論である。今日だけを一所懸命という言葉には違和がある。
キリスト教勉強が終わって、読書がまた人類史に戻っている。木の上で生活していた人類の祖先の中に、ある日突然折れ曲げられない足の親指をもつ奇形の子が誕生した。その頃アフリカはジャングルから疎林や草原になっていた。足の親指がまがらない奇形児は木の上での生活には親指が曲がらないため、不便だったにちがいない。
ところが地上で立ってみると、親指で蹴って歩くのには実に便利であった。立つことによって敵を見晴らすことができる。物を腕に抱えて運ぶことができる。足の親指が曲がらない方が環境にてきおうするにはよかった。直立歩行が始まって、骨盤が小さくなった。
それでも疎林や草原で生きるには難しかった。直立歩行は他の動物よりスピードがでない。やはりネラワレルと弱い。飢餓もあった。何でも食べるようにした。獲物が獲れないときがある。だがホルモンは飢餓のときには細胞の成長を遅らせた。食べられる時に食べておいて、飢餓のときは自分の芝生やたんぱく質で生きた。体の代謝を遅らせたが、逆に脳が発達した。考えなければならなかったのだろう。
ホモ・サピエンスは人類の誕生700万年前から680万年経って系統分化した。
華奢で弱かったサピエンスは唯一の人類となった。
ところでぼくも万世一系である。多分、ずっと、ずっと前、植物と動物に分かれる以前から、命を奇跡のように繋いできてぼくもあなたもいる。天皇のみが万世一系ではない。おとこであれ、女であれ、ずっと命を繋いできているのである。そのくらいの常識は誰にだってわかる。
古生物学、人類学、考古学もまた研究が進んでいる。その研究は血統を無化し、人類の野蛮性を客観化する。現在を見るには大過去からと未来の死からの視線である
これはぼくの持論である。今日だけを一所懸命という言葉には違和がある。