以前に図書館で借りて読んだ国分拓の「ヤノマミ」には驚嘆した。アマゾンの奥深くで移動して暮らしている原始の民族の生活、NHKのディレクターが6ヶ月ほどを一緒に過ごして取材したものだ。ヤノマミの生活にも驚いたが、ぼくはそこへ行き、取材をするディレクターやカメラマンに驚嘆したのだった。彼らはヤノマミと同じ生活をして確かな取材をした。
次にぼくはまた図書館でやはりアマゾン奥地に住む「ピダハン」を読んだ。これはアメリカの宣教師が宣教のため行き、書いたものだ。彼らは、精霊の概念も神の概念もなく、右左の概念もなかった。ピダハンの言語を、ピダハンの村から少し離れたところで、コーヒーやハンモックを持ち込み、我が生活様式は頑なに守ってピダハンを知ろうとするのでだった。結果、彼は信仰を捨てた。ピダハンの言語研究者になった。
「イゾラド」というまた別の民族があることを息子から知った。またヤノマミを取材したディレクターが「ノモレ(仲間)」というタイトルで書籍にした。ヤノマミの取材を終え、熱をだし、入院した男だった。
懲りずにまた別の民族の実像を調査しにいく。この男はどういう男だと驚きもし、尊敬もする。
ぼくらは彼の取材により、きっと人類にとってとても大事なことを教えてくれると思う。
ぼくはとりあえず、かれらの共同幻想、個人幻想、対幻想を知りたい。
旧約聖書の歴史は収奪と人殺しの歴史である。エジプトやメソポタミアの文明から遠く離れて、アマゾンの上流域にたどり着いた幾つかの集団は文明の外にいた。闘いの歴史を刻みこまれた現代の文明である。特に西南アジアからヨーロッパ、北アメリカがすごい。そういう歴史など無関係に生きてきたアマゾンの奥地の集団である。
「ヤノマミ」も「ピダハン」も手元に置いておこうと思い、「ノモレ」も読もうとAmazonで注文したにが昨日だった、そしたら翌日4時にまず「ピダハン」が届いた。文明最先端時間の速さでぼくは書物を手にしたのだった。これも驚嘆。続いて翌日「ヤノマミ」「ノモレ」「言語が違えば世界も違って見えるわけ」「ことばと思考」が届いた。
聖書に始まった6月からの読書の旅はいくつかの聖書関連本、人類の起源、日本人の信仰、と走破して、今アマゾンの支流奥地で暮らす人々の暮らしをもう一度読もうという気にさせている。
次にぼくはまた図書館でやはりアマゾン奥地に住む「ピダハン」を読んだ。これはアメリカの宣教師が宣教のため行き、書いたものだ。彼らは、精霊の概念も神の概念もなく、右左の概念もなかった。ピダハンの言語を、ピダハンの村から少し離れたところで、コーヒーやハンモックを持ち込み、我が生活様式は頑なに守ってピダハンを知ろうとするのでだった。結果、彼は信仰を捨てた。ピダハンの言語研究者になった。
「イゾラド」というまた別の民族があることを息子から知った。またヤノマミを取材したディレクターが「ノモレ(仲間)」というタイトルで書籍にした。ヤノマミの取材を終え、熱をだし、入院した男だった。
懲りずにまた別の民族の実像を調査しにいく。この男はどういう男だと驚きもし、尊敬もする。
ぼくらは彼の取材により、きっと人類にとってとても大事なことを教えてくれると思う。
ぼくはとりあえず、かれらの共同幻想、個人幻想、対幻想を知りたい。
旧約聖書の歴史は収奪と人殺しの歴史である。エジプトやメソポタミアの文明から遠く離れて、アマゾンの上流域にたどり着いた幾つかの集団は文明の外にいた。闘いの歴史を刻みこまれた現代の文明である。特に西南アジアからヨーロッパ、北アメリカがすごい。そういう歴史など無関係に生きてきたアマゾンの奥地の集団である。
「ヤノマミ」も「ピダハン」も手元に置いておこうと思い、「ノモレ」も読もうとAmazonで注文したにが昨日だった、そしたら翌日4時にまず「ピダハン」が届いた。文明最先端時間の速さでぼくは書物を手にしたのだった。これも驚嘆。続いて翌日「ヤノマミ」「ノモレ」「言語が違えば世界も違って見えるわけ」「ことばと思考」が届いた。
聖書に始まった6月からの読書の旅はいくつかの聖書関連本、人類の起源、日本人の信仰、と走破して、今アマゾンの支流奥地で暮らす人々の暮らしをもう一度読もうという気にさせている。