25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

声質

2018年08月26日 | 音楽
 自分の声の質に合った曲というのがあるのだろう。好きで唄いたい歌あが自分の声質に合わなくても、唄いたい歌を唄うことにしている。ぼくの声はバリトンだと思う。しかし世に出回る歌はそもそも声が高い。ジャニーズ系はどのグループのものも高い、
 自分の声質をしっかりとわかって曲選びをしているカラオケ通は下手なことはしない。どれもどうだといわんばかりの選曲をしている。だが面白くない。
 先月初めてカロオケ喫茶に行ったとき、まず、部屋の明るさ驚き、みなさん客は静かに座っている。他人歌っているときにおしゃべりしてはいけないというマナーがあるらしい。他人の歌もしっかり聴いて拍手をするのである。4人いたので仲間かと思っていたら、二人連れと一人で来ている女性が隣り合って座っていた。ここはだめ、ここがよかったと批評し合うわけでもない。
 これは尾鷲だけのマナーなのか全国共通マナーなのか知らない。三人以上の人の集りではなんとなくルールができていくのだろう。
 ぼくも友達も少々酔っていたので、友達は「なんやこの明るいのは。もっと暗うせんかい」とかルール破りのようなことを言っていた。そしてすぐにTPOを思ったらしく慎重に曲を選んでいた。客の中には知り合いもいたので、他人が歌っているとき話しかけて始末だった。
 今後一人でいくことはないだろう。
 しかし考えてしまう。自分に合う歌というのはどんな歌なのだろうと思う。知り合いの女性は園まりの「優しい雨」がとても彼女の声に合う。歌い方、ながれるような調子もよくあっている。ところが彼女の声は刻むようなリズミカルな曲に合わない。
 そういうことぼくは知りたい。