キセノサト、ハクホウ、タカヤス、イキオイ、トチノシンも無事で(これは金魚の名前です)、メダカも、孫が獲ってきた川魚の稚魚も台風を無事にやり過ごした。やれやれ、ととんと晴れない空は台風の前哨戦のような感じがある。貸別荘の看板は吹き飛ばされ、庭においてあったものは散乱していた、ブルーシートまで吹き飛んでいた。
これらの暑さや台風の原因が地球温暖化のせいなら、今後も続くということになる。日本はまさに災害列島である。諸行無常。
ホモ・エレクトスに続き、ホモ・サピエンスがアフリカを出て、シナイ半島を渡り、ヨーロッパへ。他のグループはアジアへ。南アジアから幾つかグループがジャワ島や、フィリピンへ。フィリピンから黒潮に乗ったかもしれない。一部のものは中国から台湾へ、台湾から沖縄諸島へ。またあるグループは朝鮮半島から対馬、九州に。バイカル湖付近のグループは新潟や秋田に到着したかもしれない。
2万年。縄文人の時代があった。歩き続けた人々だったのだろう。すでに土器を作り、火も使っていた。組み合わせも技術も当然持っていた。槍に自分達で制作した鋭利な刃物もつけた。
現在「縄文展」が東京上野にある国立博物館で開催されている。
妻と娘たちはわざわざ見に行った。ぼくは「ぶらぶら美術館」で見た。火焔式土器やら女性の身体やら、実用的、リアルさはなく、何かを象徴しているような物ばかりである。
狩猟採集で生きていたが、やがて栗などを栽培することで定住化した遺跡も出ているが、貯蓄というものがないから、奪うということもめったになかったのかもしれない。概ね、農耕が始まるまではよい時代だったのではないだろうか。詳細がわからないので言いようがない。
ただ日本列島は海に囲まれ、外から入ってくる人も少なく、地震や津波、台風をしのげば、お腹がすく日もあっただろうが、成長が遅れて若さが保たれ、脳は発達したことだろう。
アマゾン奥地の文明と接しなかったヤノマミは生きるに必要な食糧や環境をみて、産まれてくる子供の数をコントロールしていた。その決定は産む母がするのだった。
人類は未熟児のまま子供を産む。直立歩行の運命である。生涯で10人くらいまで産めるのだから人間の数は増える一方である。採集する食糧にも限りがある。
農耕は大産業革命であっただろう。貯えることができるようになった。するとまもなく部族によって格差ができた。奪い合いが始まった。
日本列島は中国の文化を朝鮮経由で取り入れながら、独特な宗教観、文化を持つようになったが自己改革がなかなか進まない国だった。変わるのに、外国の力が必要だった。精神的にも西洋化されることは今もない。精神の底にはアジア的停滞が澱んでいる。天皇を父系に限ると頑としていい放つ人たちもいる。
「絶滅の人類史」を読んでから別の「人類進化700万年の物語(チップ・ウォルター)」という本を読んでいる。この本は2回目だというのに、記憶が薄れていて、20種ほどいた人類の名前さえおぼえられない。しかしこんきよく覚える努力をしているが、人類史はまだ推測の域でていないほど証拠が少ない。しかし確実に積み重ねの研究が行われている。
記憶というのは人に語ることで高まるものだ。語って整理し、覚える。しかし語る相手は少ない。だから、ブログに書いてみる。
これらの暑さや台風の原因が地球温暖化のせいなら、今後も続くということになる。日本はまさに災害列島である。諸行無常。
ホモ・エレクトスに続き、ホモ・サピエンスがアフリカを出て、シナイ半島を渡り、ヨーロッパへ。他のグループはアジアへ。南アジアから幾つかグループがジャワ島や、フィリピンへ。フィリピンから黒潮に乗ったかもしれない。一部のものは中国から台湾へ、台湾から沖縄諸島へ。またあるグループは朝鮮半島から対馬、九州に。バイカル湖付近のグループは新潟や秋田に到着したかもしれない。
2万年。縄文人の時代があった。歩き続けた人々だったのだろう。すでに土器を作り、火も使っていた。組み合わせも技術も当然持っていた。槍に自分達で制作した鋭利な刃物もつけた。
現在「縄文展」が東京上野にある国立博物館で開催されている。
妻と娘たちはわざわざ見に行った。ぼくは「ぶらぶら美術館」で見た。火焔式土器やら女性の身体やら、実用的、リアルさはなく、何かを象徴しているような物ばかりである。
狩猟採集で生きていたが、やがて栗などを栽培することで定住化した遺跡も出ているが、貯蓄というものがないから、奪うということもめったになかったのかもしれない。概ね、農耕が始まるまではよい時代だったのではないだろうか。詳細がわからないので言いようがない。
ただ日本列島は海に囲まれ、外から入ってくる人も少なく、地震や津波、台風をしのげば、お腹がすく日もあっただろうが、成長が遅れて若さが保たれ、脳は発達したことだろう。
アマゾン奥地の文明と接しなかったヤノマミは生きるに必要な食糧や環境をみて、産まれてくる子供の数をコントロールしていた。その決定は産む母がするのだった。
人類は未熟児のまま子供を産む。直立歩行の運命である。生涯で10人くらいまで産めるのだから人間の数は増える一方である。採集する食糧にも限りがある。
農耕は大産業革命であっただろう。貯えることができるようになった。するとまもなく部族によって格差ができた。奪い合いが始まった。
日本列島は中国の文化を朝鮮経由で取り入れながら、独特な宗教観、文化を持つようになったが自己改革がなかなか進まない国だった。変わるのに、外国の力が必要だった。精神的にも西洋化されることは今もない。精神の底にはアジア的停滞が澱んでいる。天皇を父系に限ると頑としていい放つ人たちもいる。
「絶滅の人類史」を読んでから別の「人類進化700万年の物語(チップ・ウォルター)」という本を読んでいる。この本は2回目だというのに、記憶が薄れていて、20種ほどいた人類の名前さえおぼえられない。しかしこんきよく覚える努力をしているが、人類史はまだ推測の域でていないほど証拠が少ない。しかし確実に積み重ねの研究が行われている。
記憶というのは人に語ることで高まるものだ。語って整理し、覚える。しかし語る相手は少ない。だから、ブログに書いてみる。