25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

消費の選択肢

2019年02月03日 | 社会・経済・政治
 いろいろな商品、サービスで日本社会もいっぱいである。言い換えればそれほど選択肢が多いわけである。それが結構なことかどうかは、多様な意見があるだろう。
 個人的には、今のぼくに要る物、サービスはごく限られている。将来のことも踏まえて言えば、住める家、ガス、電気、最低限の電気器具(洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ、エアコン、掃除機、炊飯器、テレビ。オーディオプレイヤー、DVDプレイヤー、コンピューター、スマホ、タブレット)照明器具、ストーブ、風呂、トイレ、寝具、衣類、履き物、家具などである。これらは買い替えが発生したり、修理が発生する。減価償却のようなものだ。つまり、その維持するためのお金を貯めておかなければならない。
 あとなんだ、と言ったら、釣りの道具がある。庭の維持のための道具がある。金魚メダカがいるからエサやろ過材などある。
 そうそう、自転車に車がある。車があれば、車検、修理、ガソリンが要る。高速道路を走れば走行料金が要る。
 日常的に食べる物で必要な食材は限られている。肉、魚、豆腐、卵のようなたんぱく質や脂質。野菜のようなビタミン、ミネラル、繊維質、小麦、米のような炭水化物。ぼくの場合、他にアルコール類(日本酒、ウィスキー、芋焼酎など)
 以上挙げた物はぼくにとって必要だと思う物で、無理すれば、アルコールを減らしたり、金魚、メダカを飼うのを止めることもできる。

 一人であれば、スーパーで買う物は一日千円もあれば上等である。

 おそらく30代の男性が挙げるのと違うかもしれないが、内容はさして変わらず、教育費というみのがでてくるのだろう。これは個人の最低限必要な物なのである。そこからテレビコマーシャルや新聞雑誌、ネットからの広告をみていると、ぼくはビデオゲームの広告を見て、「これは要らない」と思い、新車の車を見て、要らないと思う。あってもなくても別段生活に影響がないというものはいっぱいある。百円ショップやホームセンターにいけば圧倒されるように物がある。そしてそれらを必要としている人がいるのだろう。
インスタグラム要る?
 選択肢が多いのは結構である。しかし、選択肢が多すぎるのも困ったものだ。
インスタグラム要る? 靴は何足要る? 車は何台要る? アプリはどれが必要?

 ぼくはあきらかに日本社会は選択肢が過剰な社会だと思うが、肝心なところに選択肢がないという事実がある。JR料金には選択肢がない。水道料金も選択肢がない。高速道路、電気代にも選択肢はない。医療費もほぼない。薬代もほぼない。選択肢のあるのはあってもなくてもいいものばかりだ。
 さて個人的に無駄なものは無駄とはっきりさせて、一体どのくらいの経済規模が要ることだろう。方やにゲームを作る人がいて方やに農業に従事する外国人労働者がいる。方やに売れない歌手が売れるために必死になって、方やに介護の仕事をする外国人がいる。奇妙な社会になってきているものだ。