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25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

日本は新産業の創出が遅い

2019年02月26日 | 社会・経済・政治
「22年前にこういうものを作ったんだ。それが事業半ばで頓挫した」 とぼく言って、ある機器とCDとテキストを見せた。
 「①これは全テキスト一冊分を通しで聴けて、➁各Lessonごとに取り出せる。ここまでは音楽CDと同じだ。③最低限らにLessonの中の一文ごとに前にも後ろにも進めて聴ける。④その一文の任意でスロー読みやら訳やら解説をいれようと思えば入れられる。音もテキストもプレイヤーもタブレットのアプリにできるだろうか」
  とぼくは単刀直入に訊いた。
「う~ん、③までは簡単にできます。④ですね。でもできると思います。①から③まで2週間。④を入れても、二ヶ月もあれば・・・」
「へえ、できるわけ? それじゃあ、音源のテープやCDがあって、それを取り込み、自動的に各トラックやインデックスに振り分けていけることはできる?。昔22年前にマイクロソフトのウィンドウズ95を作ったチームのメンバーだったアメリカ人に作ってもらったんだ。出来上がったのは当時まだフロッピーディスクだった。自動的振り分けるのを作るには時間がかかった。半年ほどかかったと思う」
「う~ん、そうですか。でもそれはちょっと難しいですね。手作業で入れていくというのは簡単ですがね」
 彼ははなからできないなどと言わなかった。「ここまでだったらこのくらいの日数でできる。その次はやってみないとわからないところがあるので、取り掛かってみて、まだ日数を計算してみるんです。プログラマーの世界はそうなんです」
 当時ぼくの周囲でだれもできなかったことが22年の歳月の中で、フォーマットのようなものも取り払われ、アンドロイドかアップルの2種になっているのだろう。ソニーが提示してくれたDEEDフォーマットはすでにより大きい、機能性が高いものに吸収されてしまっているのだろうと理解した。
 25歳のその青年はなんでもないかのように淡々と語ってくれた。

 やっぱり技術は進化しているのだ。22年前あれほど資金が要って、人手が要って、能力が要ったことが、わずか25歳の青年がやれるとうのだ。

 となれば進化していないのは、そういう技術を活かせない人間側のことだ。例えば、教科書会社や通信教育会社や語学出版社や外国語を教える学校のようなところに、そんなアプリがあれば大いに役立たせることができると判断できるか、という問題だ。
 こういうときに人間の保守性というものが出て来る。これまでのやり方を変えたがらない、という問題が出て来る。

 タブレットの中に教材を入れた会社の英語指導を見てみると、お粗末すぎて、ただ文が出て来て、そこが何度でもリピートができる程度である。10秒戻れる機能をつけているのもあった。どうして前後に一文一文と進められないのか。その発想が疑問である。

 学習塾はどうしているのだろう。LLでさえ使えきれない人が多かった。タブレットはもっと便利だと思うが使いきれないのだろうか。

 若いプログラマーの仕事の世界はきつそうだ。引く手あまただろうが、プログラマーが健全に働けて生活ができるはなはだ素晴らしい環境があるとよい。運動ができ広場やホールがあるとか、社員食堂は断然美味しい、とか、休憩室はとてもこころが和むとか。ぼくにいわせれば金の卵だ。日本の学校教育は「プログラミング」教育を始める予定である。遅い。ようやく腰を上げた。英語教育の変化も遅すぎる。これらが日本が30年停滞している象徴でもある。