25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

振り返れば22年

2019年02月25日 | 日記
1995年。ウィンドウズ95発売の頃と現在とではコンピュータプログラミングの技術はどの程度上がっているのか。ぼくは全く知らない。知っているのはスマホやタブレットを操作することくらいで、プログラミング技術の進展については皆目情報も知識もない。
 なぜこのようなことを言い出すかと言えば、タブレットで通信教育をしているところが日本にはあって、そこのタブレットで英語の学習を見てみた。またスマホのアプリで語学練習のアプリがいっぱいあるので、いくつか使ってみた。
 すると、ぼくが22年前に発想して作り上げた機能はもってなく、せいぜいリピートをするくらいで、戻るのも10秒前とか十秒後だとかという動き方しかできない。

 本当のところこの語学の世界はどうなっているのか、もっと知りたいと思い、今日は25歳のプログラマーと会うことになった。例えばそのプログラマーの技術で、これができるか、あれができるかと聞いてみたい。またアプリという世界はどのようになっているのか、その機能部品などはどう取引されるのか、アプリそのものの流通経路はどうなっているのかなども知っていれば教えてもらいたい。

 今、振り返って、事務所にあるウチの出版社で作った教材とSDが多数ある、「日本文化Q&A」「臨床医が使う英語」「トイック英単語3000」とか児童向けから大人向けまでいろいろである。ぼくはこれを世に出そうとした。するとこのSDをかける機器開発をしたソニーの機器が一枚のCDで16時間かかるはずだったものが8時間ほどで止まってしまうという異常が出た。それはソニーの責任でするものだったが、ぼくはソニーにはしごを外され、ソニーは一万台の機器をぼくらの教材と売ることなく、この事業から撤退してしまった。
 たいへんな量の在庫が残った。処分代が150万円したことをおぼえている。そのいくつかがまだ事務所にあるので、それを今日若いプログラマーに見せる予定である。
 当時は16時間の音声が入るフォーマットのCDをコピーする技術もなく、2000万円ほどしてかいはつしたのをおぼえている。

 早すぎたのだ。そして今頃が一番いいのだ、と思うようになっている。ベネッセに提案書を送ったがウンともスンともまだ言って来ない。

 まあ勝手に送ったものだから待っているよりしかたがないのだが、別にベネッセでなくてもよい。世界には巨大な語学出版社が多数ある。