中島みゆきのアルバム
「生きていていいですか」「EAST ASIA」「恋文」を借りてきて、パソコンで、これは、という歌をまとめて一枚のCDにした。それを聴いている。「生きていてもいいですか」ではあまりにも切なく、ひどいほどに暗いので、「蕎麦屋」と「舟を出すのは九月」だけにした。
中国調メロディーの歌が「恋文」に二曲入っていた。「月夜同舟」と「川風」どちらも揺れるように気持ちのよい歌で何度も聴いている。中島みゆきの歌詞を読むのも楽しく、あの明るく喋る女性が「恨みます」を歌っている姿を想像するとその落差に驚く。
「EAST ASIA」を歌っているときの彼女は「こころは誰にも縛られないよ」と笑みを浮かべたり、厳しい顔をして歌う。その歌い方みは余裕がある。
この頃、桑田佳祐、宇多田ヒカルと聴いてきて、中島みゆきを今集中して聴いているのだが、こころに染み入るのである。
Kiyasume さんのブログはなんだか面白くて、頭のなかで移り変わっていく事柄は一貫性がないのに、なにかのヒントで「そういえば」と話が移っていく感じはブラックファンタジーである。こういう言葉があるのかどうか知らないが、頭の中では位相の違うこともテーマが違うことも、現実も、妄想も一人の頭の中で起こっていることであって、こればっかりはしかたがない。Kiyasumeさんの文体は正直が裏打ちされているように思えて、悲惨なことも、長々とこれでもかというくり、映像までくっつけてきて書く。ブロクをちょっと読む、という風にはいかない。彼のブログを三つも読めば一冊の単行本を読むくらいのものだ。
小説でも、独り言でもいいから本にすればいいのにと思う。何か独特な面白さがある。ぼくは腹を抱えて笑ってしまい、読み進めることができないほどだ。
今日は財布の置き忘れをし、どこに置き忘れたのか思い出せず、困っていたら、物置の綿くずが置いてあるケースの上に置いてあった。そう言えば、昨日綿くずの下に置いてあるセメントを小量取り出すのに、綿くずケースを一度に横に置いたのだった。その時に財布をもっていたので、思わずそこに置いたのだった。
「生きていていいですか」「EAST ASIA」「恋文」を借りてきて、パソコンで、これは、という歌をまとめて一枚のCDにした。それを聴いている。「生きていてもいいですか」ではあまりにも切なく、ひどいほどに暗いので、「蕎麦屋」と「舟を出すのは九月」だけにした。
中国調メロディーの歌が「恋文」に二曲入っていた。「月夜同舟」と「川風」どちらも揺れるように気持ちのよい歌で何度も聴いている。中島みゆきの歌詞を読むのも楽しく、あの明るく喋る女性が「恨みます」を歌っている姿を想像するとその落差に驚く。
「EAST ASIA」を歌っているときの彼女は「こころは誰にも縛られないよ」と笑みを浮かべたり、厳しい顔をして歌う。その歌い方みは余裕がある。
この頃、桑田佳祐、宇多田ヒカルと聴いてきて、中島みゆきを今集中して聴いているのだが、こころに染み入るのである。
Kiyasume さんのブログはなんだか面白くて、頭のなかで移り変わっていく事柄は一貫性がないのに、なにかのヒントで「そういえば」と話が移っていく感じはブラックファンタジーである。こういう言葉があるのかどうか知らないが、頭の中では位相の違うこともテーマが違うことも、現実も、妄想も一人の頭の中で起こっていることであって、こればっかりはしかたがない。Kiyasumeさんの文体は正直が裏打ちされているように思えて、悲惨なことも、長々とこれでもかというくり、映像までくっつけてきて書く。ブロクをちょっと読む、という風にはいかない。彼のブログを三つも読めば一冊の単行本を読むくらいのものだ。
小説でも、独り言でもいいから本にすればいいのにと思う。何か独特な面白さがある。ぼくは腹を抱えて笑ってしまい、読み進めることができないほどだ。
今日は財布の置き忘れをし、どこに置き忘れたのか思い出せず、困っていたら、物置の綿くずが置いてあるケースの上に置いてあった。そう言えば、昨日綿くずの下に置いてあるセメントを小量取り出すのに、綿くずケースを一度に横に置いたのだった。その時に財布をもっていたので、思わずそこに置いたのだった。