米朝の首脳会談報道をテレビで見、その後の各コメンテーターの意見を聞いている。コメンテーターはいかにも客観的で、分析的である。
ぼくは心情的に申してみたいことがある。
金正恩委員長は35歳ほどの年だ。若い。35歳で世界を見渡すことはできない。この青年が国民の上に立って70を過ぎるアメリカの大統領と張り合っている。大変なことだと思う。自分の35歳の頃を振り返ってみればわかる。知らないことがいっぱいあった。
北朝鮮は元高句麗である。新羅、百済とは違う環境であった。中国との国境があった。ゆえに、中国からの侵入に対したし、中国と組んだ新羅にも抗戦した。高句麗の一部は中国に取られ、ロシアにも取られている。歴史上では中国との戦いの繰り返しである。中国にたいしては歴史的にわだかまりがあると思う。日本に対する怒りと同じくらいのものが歴史に積み重なっていると思う。アメリカに拘るのはそのせいだ。近くの隣人よりも遠くの友人の方が良いこともある。
日常のことをみていたら、尾鷲のことを他所の人の意見が華々しく新聞にかきたてられるのとよく似ている。父や母、兄弟姉妹、近所の人がいうことよりも遠くの神様みたいな人が言ってくれ、そういう人と仲良くなったほうがいいのだ。アメリカはそういう場所にいる。中国には警戒することだろう。
まず、このもとをぼくは言いたい。
もうひとつある。この若い青年元首はヴェトナムや中国をお手本とせず、日本の天皇のようになりたいのではないか、と思うことだ。ヴェトナムも中国も一党独裁ではあるが、その元首は世襲制ではない。
大統領になるのではない。昔の天皇のようにお隠れあそばすのだ。そのような姿を望んでいるように思えてならない。まだ、日本もアジア的段階が色濃く残っているのだから、北朝鮮がなおさらである。
このような心情を知るのは日本国民ではないかと思う。それがうまく意思疏通ができない。近すぎるのかもしれない。兄弟姉妹と同じように。
コンパスを手にして福岡を中心でいいから円を描いてみればわかる。我々は同じ円の中にいることがはっきりとわかる。福岡を中心に、弧を描けば、東京や東北、北海道は入らない。それほど挑戦半島との行き来は頻繁だったように思える。それほどの隣人である。うまく天皇のようになってもらって、議会制の民主主義か、より良い政治体制になってほしいものだ。
ぼくは心情的に申してみたいことがある。
金正恩委員長は35歳ほどの年だ。若い。35歳で世界を見渡すことはできない。この青年が国民の上に立って70を過ぎるアメリカの大統領と張り合っている。大変なことだと思う。自分の35歳の頃を振り返ってみればわかる。知らないことがいっぱいあった。
北朝鮮は元高句麗である。新羅、百済とは違う環境であった。中国との国境があった。ゆえに、中国からの侵入に対したし、中国と組んだ新羅にも抗戦した。高句麗の一部は中国に取られ、ロシアにも取られている。歴史上では中国との戦いの繰り返しである。中国にたいしては歴史的にわだかまりがあると思う。日本に対する怒りと同じくらいのものが歴史に積み重なっていると思う。アメリカに拘るのはそのせいだ。近くの隣人よりも遠くの友人の方が良いこともある。
日常のことをみていたら、尾鷲のことを他所の人の意見が華々しく新聞にかきたてられるのとよく似ている。父や母、兄弟姉妹、近所の人がいうことよりも遠くの神様みたいな人が言ってくれ、そういう人と仲良くなったほうがいいのだ。アメリカはそういう場所にいる。中国には警戒することだろう。
まず、このもとをぼくは言いたい。
もうひとつある。この若い青年元首はヴェトナムや中国をお手本とせず、日本の天皇のようになりたいのではないか、と思うことだ。ヴェトナムも中国も一党独裁ではあるが、その元首は世襲制ではない。
大統領になるのではない。昔の天皇のようにお隠れあそばすのだ。そのような姿を望んでいるように思えてならない。まだ、日本もアジア的段階が色濃く残っているのだから、北朝鮮がなおさらである。
このような心情を知るのは日本国民ではないかと思う。それがうまく意思疏通ができない。近すぎるのかもしれない。兄弟姉妹と同じように。
コンパスを手にして福岡を中心でいいから円を描いてみればわかる。我々は同じ円の中にいることがはっきりとわかる。福岡を中心に、弧を描けば、東京や東北、北海道は入らない。それほど挑戦半島との行き来は頻繁だったように思える。それほどの隣人である。うまく天皇のようになってもらって、議会制の民主主義か、より良い政治体制になってほしいものだ。