25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

螢川

2019年03月19日 | 

 朝、事務所に着き、パソコンの電源をONにしても起動しない。ブーともビーともいわない。点灯もない。プラグが抜けているのか、と確認したが、抜けていないし、そのコンセントは生きている。たこあしでもない。

 NECのものなので、検索してみると、電源がつかないというページは修理屋さんに検索エンジンは乗っ取られていて、NECからの「お困り相談」みたいなのは出てこない。いわゆる探すのに苦労する。

 結局自分ではできず、市内の修理もやっているパソコン教室に持っていった。今日は以前書いたものがパソコンにデータとして入っているかを確認したかった。それができなかったのでイライラした。

 今はクラウドもあるので少々は便利になっているが、モニター画面とCPUが一体化しているので、これが本格的な故障で修理もできないことになれば非常に困る。

 昼からは「よもやま話」の会。宮本輝の「螢川」が課題本である。前回は太宰治賞の「泥の河」だった。ぼくはこっちの方が当時好きだと思った。「螢川」は芥川賞を取った。

 再読してみると、めったに起こらない何万、何十万という蛍の群れの現象をどのように書くのだろうと、ひきこまれていった。

 「泥の河」ではポンポン船に住む少年家族を主人公の9歳の少年が知り合うことになり、やがて一家が去っていくという話だ。ポンポン船の主は売春をしていた。健気な姉と弟、主人公の家は川の界隈で飲み物や氷や大判焼きのような食べ物を売る店をやっていた。9歳の少年のこころの裡を大阪の川の橋辺りの風景もよく書けていた。今度「螢川」を読んで実に見事だと感じた。最初の導入部では一気に昭和37年3月末の富山、裏日本の風景を描いて始まる。そして母、はがの記憶、父とに会話、父の病気、死、父の友人、母の弟、主人公竜夫の同級生、竜夫が淡い恋心を寄せる幼なじみの英子などに話が簡潔に織り込まれて、話は今年はめったにない大量に蛍が出る時ではないかと、そこに話が収斂していく。

見事であった。

 「幻の光」「錦繍」「青が散る」と読み進んだが、「ドナウの旅人」で読むのをやめてしまった思い出がある。