25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

孫ー娘ー自分・妻ー母

2019年03月28日 | 日記
 Goo Blog の形式が変わったので、少し戸惑っている。書いたものを自動保存していたつもりが、出て来ない。これには参る。ぼくのやり方にどこか間違いがあるのだろう。
 娘と孫たちが春休みで尾鷲に来ている。姉7才は弟4才によく気配りする絶えず二人は笑い合って、ちょこまかと動きまわっている。ぼくの労働を手伝ってもくれる。
 今日は池の水取りや、枯れ草の処理を手伝ってくれた。68ー7=61。
 孫娘とは61歳の歳の差がある。孫娘は確実に日本の破綻を経験する。それは戦後一度経験し、それ以後経験のないものだ。
 そういうことを考えてしまうことは止めて、今日は「夢古道の湯」に行ってのんびりした。悪いと思うが客が少ない方がのんびりできる。「夢古道の湯」では向井の漬物売られていて、ぼくは「からしな」を衝動買いしてしまった。美味しかったからよかった。

 前にぼくが料理した自称「地中海」を7歳娘はおぼえていて、その中の海老を食べたいという。そう言われる張り切って、海老→キャベツ→牛肉→もやし、という順で食べた。味付けはワインと
塩、胡椒である。ビールが美味しかった。

 明日は母親を病院に連れていく。次々と忘れていく世界は実は恐ろしいものではないか。母も慌て、おののき、恐れ、不安で一杯なのではないか、とおもってしまう。
 お医者さんと話をして、経験的な病状の推移を聞いてみたい。

 孫ー娘ー自分・妻ー母という系は百年ほどのものであるが、実際は延々と過去に、それから未来に繋がっていく。途絶えることがあるかもしれないが、それはかまわない。
 2035年齢ー2045年。このシンギュラリティーの時期を母もぼくも妻も経験することなく、娘と孫、孫の子供、ぼくにとってはひ孫が経験するのだろう。