25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ラーメン

2019年03月27日 | 日記
 昔、尾鷲に「南京飯店」という中華料理屋があった。そこのラーメンが旨く、この店のラーメンがぼくのその後のラーメン人生の基準になった。どうしても比較してしまう。同じ味という店は一度もなく、その味を探し求めていると言っていいと思う。老夫婦がやっていたと思う。ぼくの娘も知っているから、長くやっていたのだ。中国からきた家族だと聞いていた。中国か日本のどこかに彼らが学んだスープの源の地なり店なりがあるはずだ。尾鷲には他に「北京園」やら「春日亭」とか「留園」という店があり、中国からきた人たちがやっていた。
 今やインスタントラーメンは本物のラーメンよりも旨くなっていると思うことが多い。今日も日清の新商品「麺NIPPON 博多」を食べた。博多ラーメンの美味しい店となんら変わることはない。
 本当に南京飯店の味を覚えているのだろうか、とも思う。
 今年の正月休み、娘が「美味館のラーメンのスープは南京飯店のに似ている」というので、早速食べてみた。そんな気もするが、どこか違う。最近ぼくはここの「五目ラーメン」のスープにいたく感心しまくっている。はまっているのだ。

 この店のご主人の奥さんは「波さん」と言って、いつもよくしてくれる。大連からやってきたらしい。母親が来るのだという。6ケ月ほど滞在するそうな。一度懇談しようということになっている。ぼくは「アリババ」に興味をもっている。アリババは貿易をやりやすくする物流倉庫を無料提供しようとしている。日本からひとつひとつ荷物を送らなくても、まとめて送って倉庫に行き、そこから客に渡るという。中国14億人はこれから消費者となってくる。巨大である。アメリカの2億2千万人の巨大マーケットと桁が違う。中国は歴史的に世界の中心だったときがあり、衰退したときもあった。今は一党独裁であり、それが成功している。自由、人権の問題がやがて顕在化するが、今のところ14億人を牽引している。

 えー、ラーメンからこんな話になったが、要するにラーメンは美味しく、難しく、微妙なものだということだ。 
  
 

乖離または岐れる

2019年03月27日 | 映画
 自分の母のことで恐縮であるが、93歳の母は物忘れがいよいよ激しくなってきた。不思議なことであるが、文字は読めるし、書ける。以前新しいCDプレイヤーやDVDプレイヤー、携帯電話を手渡したときがあった。覚えられないのはいいにしても、文字で書いてあるところを押すなりすれば動くわけで、それができない。「文字習っとんやろ」と言いたくなるが、新規なものができないのである。文字を読み、その意味するところを自分の中でどうやら処理できないようなのである。文字を読むということと理解するということは違う脳の部位の働きなのかもしれない。いわゆる「老化」というのは文字の意味を知っていることとそれを実行に移せることの乖離のように思える。
 身体的な感覚で言えば、もっと早く走れるはずだったのに、実際は思うように走れない、という風に。

 取り扱い説明書を読めばわかるものを読まない。これは性格の問題だろうと思う。

 日本人の3人に1人が小学3,4年生の理解力で、問いの文章が理解できず、図やグラフが読み解けず、数的な問題も理解できない人がいるという国連の調査統計を見て驚いた。それでも日本は世界でトップクラスの「知力」である。識字率は100%に限りなく近い。

 ホモサピエンスの中からホモデウスが誕生しようとしているとある学者は述べる。ホモデウスは神の領域にまで手を伸ばし、科学を駆使して先の時代に突入していく人類で、それから取り残されたものがホモサピエンスのままで終わる。仕事のに質についていけない。ロボットやAIができることはそれらに任せなければならない時代がもうすぐそこまで来ている。パソコンの操作ができない若者が増えているという。企業はパソコン研修をするという。まだ企業に研修してもらえる者はラッキーだが、教えてもらえない者はずっとできないまま、職探しをしなければならなくなる可能性がある。すると選択肢は限られるように思われる。

 こんな光景が見えそうだ。すでにあると聞く。ある区域は将来のホモデウスばかりが住み、高い防御壁、警備員のいるゲートがある。その区域には許可がないと入れない。
 さしずめ Nasa や google などで働いている人々はホモデウスの候補者たちなのだろうか。現在、これから消滅していく職業などが話題になる。徐々に推移していくと人間も徐々に適応していくだろうが、急に来るということもある。

 パソコンが新しくなってから快適になった。すべてはクラウドに保存できる。ファイルはスマホやタブレットでも共有できる。