三浦瑠璃が「徴兵制」を提案している。当事者意識や危機意識を高めるためだそうである。自衛隊は憲法に明記されていないが、災害時の活動などで、国民に認知されている。これを明文化してしまうと、集団的自衛権の発動がありえる以上自衛隊員は命を捧げる立場となる。むしろ、自衛隊を明記せず、戦争に参加させにくいようにしておいた方がよいとぼくは思う。
きっと人手不足と、戦う自衛隊というイメージで、自衛官募集が困難になってくる。奨学金、退官してから何らかの補償(大学進学など)を餌にして貧困な家庭の男子女子に勧誘を始めるような気がする。アメリカがそうである。それでも志願するものがいなかったら「徴兵制」だろう。
日本は大国意識を捨てたほうがよい。歴史のどこかで経済力の強い、大国意識をもってしまった。北欧の三国も豊かな国々であるが大国意識は持っていない。軍拡競争をやりはじめたらきりがない。ホモ・サピエンスの愚かさを示しているだけだ。三浦瑠璃など、アメリカが戦争をおこしたら、自分が傭兵志願していけばよい。人を巻き込むな。
戦争には正義や?善も悪もなく、絶対的な悪なのだ。
ニュージーランドでのテロ事件。イスラム教徒のモスクで連射した白人がSNSでライブ。このような事件が起こると、傲岸な歴史をもつ一方でキリスト教を背負い、産業革命を起こして世界の文明をリードした白人種の衰退を感じる。トランプ大統領をもつアメリカ合衆国の白人にもそれを感じる。
人類はいわゆる「神」の領域に足を踏み入れている。それは科学者であり、科学者を支援する企業や政府である。このホモ・デウス、つまり神の領域で生き続けていくホモ・デウスとこの領域には入らない、入れないホモ・サピエンスはネアンデルタール人と分かれたのと同じような分岐点にいるような気がする。白人、低所得と犯人は書いていた。移住者にやられているんだからやってしまう、と自己正当化していた。こういう事件は感染しやすい。ホモ・サピエンスは狂ってしまうのも早いものだ。