25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

パソコン、タブレット、スマホ

2019年02月14日 | 日記
 スマホはだいたい4年もすれば劣化し、故障も始まるという。タブレットを落とし、表面のガラスが破れたが画面が見えないこともないので放っおいた。タブレットは外へ出て、仕事上で使うので、NTT ドコモと契約している。ところが外で画面を見せたい場合、自分で撮ったビデオはどのままSDや本体に保存できるし、写真も同様である。WIFIがあるところならYOU TUBEもできるわけだし、ダウンロードだってできる。
 すると、WIFI環境がない家にいくかとなれば、おそらくないと思う。ということはドコモとタブレットの契約を切ればよい。これでいくらか節約できる。
 事務所にはデスクトップのパソコンがある。これがなかなか面倒になってきた。どこかから画面に不要なものが現れる。いちいち削除する。警告がぅくるときもある。更新すべきものがいくつかあって、それをすればもっと快適になる、と言ってくる。動きが遅いので本当らしく思えてきて、そこをクリックすると、次々と誘導の案内が出てきて、年に5千円でいつでも最適化の管理をするというので、申し込むとカナダの会社だった。契約を解除することもあるだろうから解除の方法を確認するとそれが分かりにくい。

 こんな風にパソコンが面倒になってきた。知らぬ間に、知らないブラウザが出てくることもある。印刷機を替えれば、その会社からの案内が出てくる。
 ローマ字打ちして漢字変換の漢字を探し、と日本語は相当不便な入力の仕方をしなければならない上に、要らぬ物が飛び込んできて、それを削除などすることにイラつく。
 で、タブレットのような画面操作ができて、キーボードがあるものがよいと思い、店でみてみると、その種のものは10万円以上はする。タブレットだけだと3万円くらいのものだ。7万円の差はなになのだろう。迷惑なものがくるようならば、10万円以上するものを買おうとは思わない。
 こういうことを考えるのも面倒臭くなってくる。

 話が違うが、今日ウィスキー「知多」をアマゾンで買ったら、売り主のSHOJI SAKETENの「世界の酒類事典」というお酒の通販カタログである。これが凄かった。世界の酒がほとんどといっていいほど載っている。解説までついていて、値は安い。
 こういうことができるのもアマゾンを逆手にとって酒を販売し、来た客に総合カタログを送り、直接販売を行う。スマホ、タブレットでできる商売だ。ぼくの方はスマホひとつで購入できる。パソコンを使う時間もだんだんと少なくなっている。

まんぷくラーメン

2019年02月13日 | 社会・経済・政治
 電車内で化粧をする女性や、救急車を呼んでインスタグラムに投稿するため車内でスマホを撮る男女、子供を虐待する親などなどわけのわからないアンポンタンがいる。社会のなかにいるというおとが明確に理解できていないのだろうし、家庭は社会への通路であることも理解できていないのだろう。テレビを見て「このままでは一億人総白痴化する」と言ったのは大宅壮一だったか。今やテレビのだらしなさや質の悪さに加えてYOU TUBEやインスタグラムもある。
 煽り運転。建築基準法違反の建築物を建てる者。統計をごまかす官僚。国会で嘘をつく官僚。
 それでも憤らない国民。

 今日は「まんぷくラーメン」が完成したので、記念に「チキンラーメン」を食べる人が多いのかも。スーパーのレジの人に聞いてみよう。ぼくは朝に、昼は「チキンラーメンにしよう」と思っていたのだが、なんだかんだとあり、スーパーに買いにいくのをつい忘れた。スーパーの前まで2回も行ったのにだ。
 ぼくも萬平に押されて保水性をもつ土の塊作りの春の編となり、試行錯誤している。できたらすごいのだ。砂漠を緑化できるのだ。昆虫も絶滅せずともすみ、砂漠は森林にも、農地や牧草地ともなり、道もできるようになるのだ。雨だってもっと降るようになるはずだ。夢みたいなことを、と思われるのでひとりひっそりとやっている。

キジに、イワシに

2019年02月12日 | 日記
 この前、曽根の庭で雉がピョコピョコと歩いていて、美しい鳥だなあと思いながらみとれていた。次に谷中の雉丼の店に何度か行ったことを思いだした。なんてことはない昔の労務者が昼に寄るような食堂だったが、脇の個室に池波志乃と中尾彬夫妻がいた。穴場の店としてJALのウィングという雑誌でこの店が紹介されていた。歯ごたえもよく、タレも旨かった。
 ちょうどその頃は池波正太郎の鬼平や剣客商売などを愛読していて、ちょっと食通めいたことをしてみたかった時分であった。
 よく尾鷲と東京を行き来していた。結局馴染みとなって定着した店はなかった。幾つかの店は思い出として残るだけだ。

 もう二月も半ばになってきたのに、鰯が獲れない。小さなカレイが揚がったらしく、昭子さんの家の前でツナギとして干してあったのをみた。すると知り合いの女性から電話がかかってカレイあるよって明日昭子さんとこへ行ってこい、と言う。するとぼくの分を作って置いてあった。鰯の話になったが、さっぱり獲れんという。サンマもイワシも獲れずでは尾鷲の市場はどうなるのだろう。黒潮は貧しい潮で、岩礁に当たってこそ泡立ってプランクトンんがわく。イワシをとる漁師がいなくなったのか、水温が高く、通り道が変わってしまったのか。毎日チェックを入れているのだが、いまのところ朗報がない。

通販

2019年02月11日 | 社会・経済・政治
「モノタロウ」というネット販売サイトがある。アマゾンは書籍、CDその他があるが、「モノタロウ」は書籍とか音楽はないがホームセンター的な物の種類が多い。例えば、塩化カリウムがほしい、と思えば、アマゾンでは一社しか扱ってなくて、2月1日に注文したのが出荷が2月27日から4月15日までの間だと返事が来た。しかたないか、と思っていたら、「モノタロウ」というサイトがあることを知り、試しに「塩化カリウム」を検索してみた。ずらりと製品が並び、配送も翌日到着とある。ついでにアマゾンでは売ってないので、市内の薬局に頼んでいた「硫酸第二鉄」もズラリと並んでいて、しかも薬局の半分の値である。これには参った。

 いつも思うことだが、スーパーなどは「売れないものは置かない」という傾向である。だからぼくの好きな八味唐辛子は売ってないし、中華料理のミソのような豆鼓は売ってない。スモークサーモンも売れないのかイオンでは一時姿を消したが、たまたまいた本社社員のような人に「スモークサーモンくらい置いてくださいよ」と言ったら翌日にはあったので、言ってみるものだな、と思ったことがある。中国酒の紹興酒は主婦の店にはあるがその他の店にはない。ウィスキーはヤマザキ、ヒビキは姿を消し、ついに知多も姿を消した。スーパーニッカはどこにもない。するとそういうものは通信販売で買うしかないのである。通信販売会社は在庫をもつ必要もなく全国の少数の要望にも応えることができる。
 アマゾンが出版社から本を買い取りにするらしい。出版社は嬉しいだろう。東販や日販といった流通問屋が出版の大きな阻害であった。(とぼくは思っている)。出版社を作れば厳しい審査やコネなく売りたい本を売ることができる。倉庫へいったり、磨きやにいくこともなく、印刷部数の無駄も省けることができる。価値があっても売れない本、小数者のための本も書店では難しいが通販ならあり得る。
 ひとつ残念なのは通販は外にでなくてもよいことだ。買い物は外に出てこそ楽しいものだ。

30年の停滞

2019年02月10日 | 社会・経済・政治
 泉佐野市の100億円キャンペーンも、Paypayの100億円還元もデフレ現象のひとつだと思う。消費者から言えば安くなるのだから結構なことだ。これがダメだというのなら、賃金を上げるしかない。企業が内部留保金を吐き出し、設備投資にだすか、人材育成や研究費にだすか、市場を新たに開拓するかしかないわけで、それが見込めないから賃金が上がらないのである。つまり労働力が不足しているというが、景気がよいために不足しているのではない。生産年齢人口が減っているからだ。一億総活躍社会というのも、夫婦共働きでないと一定の生活水準を保てないからだ。
 この30年間での日本企業の衰退は著しい。
 思い出すよい例がある。
 バリ島に通っていたとき、まだスマホが登場していないときだ。携帯電話をもっていくと、日本のはバリ島内で使えないのだ。一度日本を経由するらしい。いろいろな機能があって素晴らしい携帯電話なのだが使えない。ところがフィンランドのノキアの携帯はシンプルそのもので、電話ができ、しかもプリペイもできて、安い。日本の携帯はその後世界を席巻することもなく、iPhoneスマホの登場でIT世界は激変し、日本の電機企業は格下になってしまった。
 新しいイノベーションに政府がお金を使うこともなく、旧態依然としたオリンピックの箱もの、ホテルという箱もの、災害復興のための土建工事にお金を注いでいる。これでは発展のしようがない。特区をつくって獣医学部を許可する。それが大きな産業を生み出すというのだろうか。

 田原総一朗が共産党の議員をからかっていた。国鉄、電々公社、専売公社の民営化が当たり前のように、討論番組に参加している人に「民営化反対の人.手を挙げて」と言って、「共産党はなんだって民営化に、反対でしょ」と言ってからかう。またその若い共産党議員も上手い反論ができない。「競争のない独占的な民営化は断固反対だ。なぜ、国民の資産を一社にまかせ、国民は株主の利益分までお金を払わなければならないのか」と共産党議員は言えないのか。首を傾げてしまった。
 日本の停滞のひとつにJRの高値があると思う。それとコンピュータと相性の悪い日本語。変換手間だけでも時間にするならたいへんなものだ。
 
 競争相手がいない民営化など許すべきでない。切符代に株主配当を折り込むなどとは奇妙な話だ。JRの鉄道資産は国民のものではないか。
 JRは長い間新幹線を走らせながら世界への売り込みをしてこなかった。遅すぎた。腰が重かった。今リニアを開通させようとしているが、リニアを世界に売るような機運もない。まあ、そもそもリニアが日本にいるのかという疑問もあるが、中国は自国でリニアより速い超高速鉄道を走らせる計画でいる。アメリカでは空飛ぶ車も飛び始める。
 30年前の新自由主義が今頃また日本に押し寄せている。元小泉政権が格差社会を作ったではないか。郵便局までも売ってしまったではないか。日本が売りつくされて、やがて債権までも外国に売られるようになる。
 電機産業企業はリストラの嵐である。銀行も同様である。それで外国人労働者に働きにきてもらい、賃金が上がらないシステムを作る(ように思えてならない)

 よい製品を作り、職人を尊ぶ日本は職人のガラパゴスとなった。

 年金が支払われないようになったら、日本社会も終わりである。もっと言えば支払われるのだが、そのお金の価値がなくなれば支払われないのと同じである。年金機構が株式に国民から 預かったお金を株式に投入している。日銀も株を買い、株式市場のコントロールをしている。それにより株をする人は大きく損をすることなく売り買いを続けることができるが、そんなことをいつまで続けられることだろう。

 政府だけが景気の良さをアピールしてアベノミクスを自画自賛している。実情は空き家をつぶして空いた土地さえ売れないという経済状況なのだ。
 



座っているということ

2019年02月08日 | 日記
 この頃、いくつかの会社では立ってミーティングをしている。座ってするより効率が良いらしい。そう言えば暗記するなら立ってせよ、という人もいた。人間は本来動く動物で、立って歩いているのが一番いいのもしれない。様々なところが「座る」という人間のひとうつの動作が、「座っている」「座りっぱなし」になってしmあい、それが股関節を硬くし、大腿四頭筋肉を弱らせ、腸腰筋を弱らせる。それだけでなく、血管を圧迫し、血行を悪くする。すると、酸素、栄養素の吸収だけでなく二酸化炭素などの排出も鈍る。
 6時間の運動をしても3時間座ってしまえばその運動が帳消しになってぢまうほど、体に悪いという報告を聞くと、さもありなんち思うが、この座る習慣から脱出するのは相当に難しい。
 以前、床に和用の炬燵があって、和式の生活を一時期することがあった。これだとうたたねしたり、起き上がるのも無精となってしまうので、また居間を洋式にした。洋式と言ってもソファは置くことなく、学校机に毛がはえたくらいのお粗末なものだ。おかげにぐずぐずせずすぐに立つようになった。できるだけパソコンの前にいるときも、立ち上がったり、姿勢を変えたりしているつもりだが、やっぱり座っている時間が長い。座って頬杖でもついてしまえば筋肉はだらりと緩むが頬杖ぢないとしんどい時もある。頬杖、凭れる、これもよろしくない座り方である。
 人間はどうしても座る場面はあるのだから、だとすれば正しい座り方をしなければならない。最近「若返りの薬 ネオエイジングGHRP-2という薬がでたそうで、アメリカで錠剤で売っているらしい。医師の処方が必要である。日本では注射用が主流らしいが、1個の細胞の図はぼくらが習った頃の細胞図とは全く違う。細胞格言とかミトコンドリアなどは同じだが、細胞骨格というフィラメントなどが網の目のように張っている。細胞分裂を起こす原動力となるたんぱく質線維であり、筋肉などの元となっているナノサイズのものだ。
 これは人工的に細胞から若がえらせるものであるが、もしも人間が動かない植物のような動物になったら、この薬が多用されるのか、無駄となるのか、考えてしまう。
 とりあえずは最低限の動きができればよいので、それは維持しなければならない。腰痛はや膝痛、股関節痛なぢのロコモティブシンドロームは立つことを台無しにするから、用心している。

  昨年2月に書いたもの

















個人の尊厳

2019年02月08日 | 文学 思想
 中国、韓国、米国との歴史認識問題を終わらせて、韓国、中国と仲良くやっていく政権が必要である。
すでに戦後73年が経っている。それなのに、やった、やらない、侵略した いや進出だった、アメリカに宣戦布告なく真珠湾攻撃をした、いやアメリカにのせられた・・・・・。

 歴史の検証を四国が十分審議尽くして、謝りがあるならば謝る。そういう歴史的課題をきっと引き受けなければならない政権がいつかくるだろうと思う。反日だ、反韓だ、反中だといつまでも言っておれないだろう。遅すぎた感も否めない。

 もうひとつマスコミに対して気に入らないことがある。小室圭さんの母親と元婚約者との間の金銭トラブルだ。男は卑怯にも、元婚約者の息子が宮家の子女と婚約する予定の発表があってから言いがかりをつけてきた。貸した、もらった、の念書もない。ただこれは母親と元婚約者の問題である。個人の尊厳を重視するなら母親と息子は別人格なのだから、そこは峻別して報じるべきだ。マスコミ、とくに情報番組はどこもひどい。ゴゴスマやスクランブルなど、小室さんが通う大学のランキングまでだして小馬鹿にする。眞子さんとの仲はどうなるのかと煽って、話題にし、広告料をとる。放っておけばよいものをマスコミが猛る。それをその番組内で批判できるコメンテーターもいない。財務省出身だか、ニューヨーク弁護士だと、肩書が自慢そうな山口真由などが調子に乗せられて、圭さんの通う大学のランキングで、大手の法律事務所に勤められるとはおもわない、と行っていた。全くのアホ発言である。
 こんなことですったもんだと言っているテレビ局なんて他の国にあるのだろうか。品位のヒの字もなく、近代になって身につけた個人の尊厳の思想の欠片もない。そうそう、これをずっと言いたかったのだった。

一年前の今日書いたこと

十歳女児虐待死 その父親

2019年02月06日 | 文学 思想
とりとめのないような日々を過ごしている。それでも何かが起こる。たとえひきこもっていても何かが起こる。それが生きているということだ。
 栗原心愛ちゃんが父親栗原勇一郎の虐待暴力で死んでしまったと疑いがもたれている。連日このニュースが流れる。教育委員会や児童相談所が責められる。母親も加担していたと逮捕。自殺防止の意図も、と報道される。
 現代はこちら側はなんともない時間の過ごし方をしていてもあちら側からテレビひとつ点ければ、脳や身体を刺戟する事柄が目に、耳に入ってくる。
 この悲惨な事件は連日、「なぜ止められなかったか」に焦点があたっている。注意喚起をしたいのだろう。児童相談所の担当員はたいへんなことだろう。ミス。迂闊。だれでもやってしまいそうなことだ。人間、完璧な判断ができるはずもない。父親が殺してしまうとは思いもよらなかったろう。
 父親はどんな人物なのか。その育成歴を知りたいと思うし、物の考え方を知りたいと思う。どのようにしてこんな男が出来上がるのか知りたい。

 よく一家心中をするが、父親だけ死にきれず生き残ってしまうという事件が今でもある。父親が子供、妻も殺して、自分の時は死に失敗する。刑務所に入る。このような一家心中事件は日本では同情を呼ぶ。
この不思議。日本人は子供の生き死に対して大きな矛盾を持って生きている。ぼくはその矛盾はもってない。理性で解決している。つまりそういう無意識は鷲掴みにして取り出し、捨てている。子供を愛しているとしても、子供を不憫だと思ったとしても、子供は自分のものではない。子供はこれから成長して自分を確立してゆく「社会的な人間」であり、「次の世代につないでいく個としての存在」であり、「個人世界をもつ存在」である。もうこれ以上生きられないという夫婦の道連れにすると言うことは許されるはずもない、なのに、世間は「一家心中事件」に同情する。
 子供は親のものである、というかすかな思いが相談員にあったのかもしれない。親が文句を言ってきたときに対抗できる思想をもっていなかったように思われる。
 殺人者である父親は日本の古層の無意識をもった古い男である。この父親のことがそろそろテーマとならなければいけない。テレビ局はこういうときが力の出しどころだと思う。

*昨日二度目、「スリービルボード」を見た。よかった。男も女もないという視線がある。古い田舎町を舞台にして。

おぼえられない

2019年02月06日 | 日記
中島みゆきの EAST ASIA をおぼえているのだが、何度聴いてもおぼえられない。おそらくこれまでの僕の脳にない複雑なメロディであり、歌詞の流れ方をしているのだろうと思う。FADの一曲がなかなかおぼえられないのと同じで、メロディとかリズムには親しみ馴れたものがあり、初めてのものを身体に取り込むにはなかなかたいへんな努力がいるように思う。音楽にはいささか自信があっただけに、覚えられないのには参ってしまう。以前、桑田佳祐の「サウダーデ」という曲を何度も何度も聴いておぼえた。これにも時間がかかったが、今ではスーッと間違いなく出て来るし、この曲がさして難しいとも思わなくなった。つまり身体に入ったのだ。
 いっそのこと、楽譜を買おう、と思って調べてみたら、中島みゆきの楽譜全集で中古のものはアマゾンにあって、7700円ほどで売っていた。ほとんどの曲が載っているのだろうが、一曲のためにこれを買うというのももったいない。ヤマハがダウンロードして楽譜を印刷できるサービスをやっている。それには手続きがいるので、これも面倒なことだと思ったのだった。本当は便利なサービスのはずが、なのに。
 それでやっぱり聴きとおしておぼえるしかないと思っている。脳がだんだん腐ってきているのだろうかとも思う。若い人なら簡単におぼえてしまうような気がする。

 今小説を書いていて、一応書いたのだが、どうもすっきりこなくて、何かを挿入したら全体がまとまるみたいな感覚があって、それをいつも頭の隅に置いてある。昨晩の夜中小説を読んでいて、突然、その挿入すべきことが浮かんだ。小説の中にヒントがあったのである。よし、と思って寝たら、翌日忘れてしまっている。午前五時に目を覚ましたとき、おぼえていない。それであわてて、また昨晩読んだところを読んでみた。どこがヒントだったのかわからない。もしかして読書をしていて夢でもみたのか、と怪しんでいる。今日はそれを思い出すことに精を出す。

時間がかかるものだ

2019年02月05日 | 社会・経済・政治
ベネッセ コーポレーションに「アイデア提案」の手紙を書いて送った。組織がわからないので、「総務部 もしくはそれに相当する部署 御中」とした。手紙の中でも、総務部に送れば、一番適当な方にこのアイデアを届けていただけるだろうと思い、書いた。さてどうなることだろう。

 内容は以前このブログでも書いたように語学学習機アプリのことである。二十二年前からこの世界は一歩も進んでいないことを最近知ったことから、アイデアを提案することにした。
 まだ語学学習がテープで行われていた頃、ぼくはオックスフォードやケンブリッジ、アメリカのパラマンウントを訪問し、プレゼンテーションをし、中国やヨーロッパでの展示会などに参加もした。テープ全盛期からテープよりも始末の悪いCDが登場しているときだった。機能のすばらしさは素直に認めてくれるのだが、問題はプレイヤーであった。ぼくの提案する教材には専用の語学学習機が必要だった。

 今、思うとそれが大問題だったのだ。出版社は値の張る機器などは売りたくない。売った経験もない。
 日本でも同様であった。あれから二十二年経っている。プレイヤーという存在は消えた。スマホやタブレットが登場した。アプリというものが登場した。「将棋」「囲碁」「ラジオ」「You Tube」「ワンセグテレビ」ありとあらゆるものがある。ただないのは「語学学習機つき教材アプリ」である。まあ、こういうことは縁みたいなものだから、「わかる人はわかる」し、「わからない人はわからない」から、ベネッセの誰に当たるのだろうと思っておくことにした。

 ベネッセの役員をしていた仕事上の知り合いはもう引退したので、彼には言わず、彼の名前も出さなかった。ただ、ベネッセ側は知らないだろうけど、ぼくが彼の会社に提案した英語の初期学習法-フォニックスの理論」を今ベネッセは使っている。なぜなら彼の上場した会社はベネッセと合併したからだ。五年前に彼と奥さんとで松阪で会って、「あんたはすごい、今オレはわかる、ベネッセも使ってる。これじゃないとだめだ、と言ってる、オレはあんたの提案に乗ったが本当かいなとぼんやりしていたな」と彼は言った。その話を聞いて、そうかあ、ベネッセもフォニックスを導入したのか、と思ったのだった。フォニックスは英語の読み書きの法則である。
 フォニックスをNHKが使ったり、ベネッセが使うようになるまで30年かかっている。日本には「英語教育」(大修館)という雑誌があったにもかかわらずだ。
 新しいことのなかには瞬時に爆発的に広まっていくものもあるが、とてもゆっくりと人間の保守性の中に入りながら変わっていくものもある。ぼくのあのときは20年早すぎたのかと思う。

 さて、今日の朝日新聞に、半藤一利が面白いことを書いていた。新聞の見出しはこうであった。「本土の『防波堤』の発想 今も」である。沖縄についての意見であるが、日本人には「攘夷」が残り、「防波堤」意識が残っているという。また攻め入った隣国を見下し、白人にへつらう。
 安倍政権には期待できないから次の政権で歴史問題の根本的解決を図ってほしいものだ。すでに戦後73年にもかかわらず、ドイツのようにできない日本。外交下手で、領土に過敏。
 時間がかかるものだ。

アルコールのとりすぎ

2019年02月04日 | 日記

 体重が増えていく傾向にあり、これは食べすぎ、飲みすぎだとわかるのだが、これは血管を硬くし、血液をつねにドロドロにし、血圧を上げ、肝臓を傷め、腎臓を弱らせ、骨や関節、筋肉に負担をかけ、となにもよいことはない。計るだけダイエットは有効であるが、ぼくのようなものはそのくらいの方法では甘いと思うようになった。アルコールである。アルコールの分解に肝臓が疲れているのはわかるし、夕方の5時からは絶えず、脱水状態だということもわかる。すると当然、血液、血管に支障がくる。またアルコールはカロリーも高いため、糖分が脂肪に替わり、脂肪肝になり、中性脂肪になる、だろうと考え、一昨日は6時頃350ml缶の発泡酒を2缶飲んだ。(ノンアルコールビールもそうだが、発泡酒もずっと美味しくなっていることに最近驚いている)
 すると、睡眠の質が違ったと実感した。それで気をよくして翌日も2缶にしたが、米倉涼子と黒木華の「疑惑」がとても面白かったので、途中もう1缶飲んでしまった。それでもまだ10時頃のことである。
 2缶と3缶とでは微妙に睡眠の質が違った。やはり1缶は余分だと思った。あるいは、1缶余分に飲めばコップ2杯ほどの水を飲めばいいかな、と思った。そして寝る前には尿は出し切っておく。
 眠るまでに十分読書もできる。それに読んだことも覚えてもいる。
 昨夜などはロシアが2020年までに食糧自給率を100%にすると、国家プロジェクトで、有機野菜に取り組んでいるらしい。ところが種子の購入にアメリカに5兆円ほども払っているらしく、それを止めるため、独自に自然な方法で交配を重ね、遺伝子組み換えを否定し、新鮮でおいしく、安全な野菜や穀物を自給し、余れば輸出するということだ。ロシアの大地は広く、人口は少ないのだから、可能なのだろう。
 
 ちょうど3日前に朝日新聞の一面広告欄に「ネオエイジング」という本が出たことを知り、すぐにアマゾンで注文した。今手元にある。12兆の細胞を覚醒させる若がえり先端医学の紹介本である。リチャード・フランシス・ウォーカーというアメリカの成長ホルモン研究者の一人である。この「若返り」の科学がどこまで進んでいるのか、かねてから知りたいと思っていた。
 酒を控えたことで、読書の時間が増えた。頭もすっきりしている。
 体重はどう変わるだろう。 

消費の選択肢

2019年02月03日 | 社会・経済・政治
 いろいろな商品、サービスで日本社会もいっぱいである。言い換えればそれほど選択肢が多いわけである。それが結構なことかどうかは、多様な意見があるだろう。
 個人的には、今のぼくに要る物、サービスはごく限られている。将来のことも踏まえて言えば、住める家、ガス、電気、最低限の電気器具(洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ、エアコン、掃除機、炊飯器、テレビ。オーディオプレイヤー、DVDプレイヤー、コンピューター、スマホ、タブレット)照明器具、ストーブ、風呂、トイレ、寝具、衣類、履き物、家具などである。これらは買い替えが発生したり、修理が発生する。減価償却のようなものだ。つまり、その維持するためのお金を貯めておかなければならない。
 あとなんだ、と言ったら、釣りの道具がある。庭の維持のための道具がある。金魚メダカがいるからエサやろ過材などある。
 そうそう、自転車に車がある。車があれば、車検、修理、ガソリンが要る。高速道路を走れば走行料金が要る。
 日常的に食べる物で必要な食材は限られている。肉、魚、豆腐、卵のようなたんぱく質や脂質。野菜のようなビタミン、ミネラル、繊維質、小麦、米のような炭水化物。ぼくの場合、他にアルコール類(日本酒、ウィスキー、芋焼酎など)
 以上挙げた物はぼくにとって必要だと思う物で、無理すれば、アルコールを減らしたり、金魚、メダカを飼うのを止めることもできる。

 一人であれば、スーパーで買う物は一日千円もあれば上等である。

 おそらく30代の男性が挙げるのと違うかもしれないが、内容はさして変わらず、教育費というみのがでてくるのだろう。これは個人の最低限必要な物なのである。そこからテレビコマーシャルや新聞雑誌、ネットからの広告をみていると、ぼくはビデオゲームの広告を見て、「これは要らない」と思い、新車の車を見て、要らないと思う。あってもなくても別段生活に影響がないというものはいっぱいある。百円ショップやホームセンターにいけば圧倒されるように物がある。そしてそれらを必要としている人がいるのだろう。
インスタグラム要る?
 選択肢が多いのは結構である。しかし、選択肢が多すぎるのも困ったものだ。
インスタグラム要る? 靴は何足要る? 車は何台要る? アプリはどれが必要?

 ぼくはあきらかに日本社会は選択肢が過剰な社会だと思うが、肝心なところに選択肢がないという事実がある。JR料金には選択肢がない。水道料金も選択肢がない。高速道路、電気代にも選択肢はない。医療費もほぼない。薬代もほぼない。選択肢のあるのはあってもなくてもいいものばかりだ。
 さて個人的に無駄なものは無駄とはっきりさせて、一体どのくらいの経済規模が要ることだろう。方やにゲームを作る人がいて方やに農業に従事する外国人労働者がいる。方やに売れない歌手が売れるために必死になって、方やに介護の仕事をする外国人がいる。奇妙な社会になってきているものだ。
 



トランプ大統領の顔をたてる

2019年02月02日 | 社会・経済・政治
 アメリカと中国の通信分野が象徴する覇権争いで世界は東西、南北をブロック化しそうである。困ったものだ。しかも再び軍拡競争になりそうである。アメリカから高い武器を買い、アメリカのいうとおり、面積制限なしのカジノ法案も作り、農薬の基準も緩和し、遺伝子組み換え種子の門戸も開き、表示までしなくてよいようにし、漁業権も大手企業も買えるようにして、森の規制も、水道の規制も、農業の規制もしたというのに、アメリカのトランプ大統領は対米日本の貿易黒字が気に入らない。それは中国にたいしてもだ。
日米構造協議で日本は徹底的に丸裸にされて、研究しつくされて、再び敗戦となったのは1990年代だったか。金融の自由化も始まり、再編も始まった。そして竹中平蔵のような学者が小泉純一郎に引き上げられて大臣となり、今日に至るまでの新自由主義的な政策が始まった。最初の象徴が郵政民営化である。

 このような政治の流れを実感として感じることはないが、この2月1日からEUとのTPAが始まり、ワインの関税が撤廃された。チーズもらしい。庶民感覚で言えば安くなることにこしたことはないが、日銀や政府はやきもきしていることだろう。2%の物価上昇はまたも遠のく。
 
 習近平主席が訪日するという。米中貿易戦争、ファーウェイ起訴で強気に出ているアメリカは中国と同様の貿易黒字国だから、本来はタフな交渉になるはずだ。日本はトヨタを救うために何を差し出すのだろうか。すでにカジノの権利をあげたも同然であり、儲けはアメリカの企業に吸いとられていく。カジノ会社が無制限にお金を貸し出すこともできると了承されている。企画書では海外の大富豪を相手にするのは難しく、国内の8割の日本人客を見込んでいるようだ。パチンコ天国で、競馬、競輪、ボートと賭け事が好きな日本列島人。日常のすごそばにパチンコ店がしっかり根を張っている。珍しい国だ。IR法でリゾートエリアにカジノができたら、日本人は6000円もの入場料を払って出かけるのだろうか。そこまで愚かだろうか、と問いたい。しかしIR法は議決された。そして今度の交渉でトランプ大統領の顔をたてるのは何か。アグリビジネスか、中国を牽制せよか、核を買えか。
 テレビや新聞は裏で進んでいることを報じることなく、嵐はどうだの、なんだの、と言っているくらいで、新自由主義の功罪の取材くらいしろよ、と言いたくなる。竹中平蔵がちゃっかりとパソナという人材派遣会社の会長におさまり、外国人労働者派遣にも仕事を広げることにある。かれのビジネスには温かい風が吹いている。こういうことも30年、50年後どう日本社会に影響するのか、もっとまじめにやれよ、と言いたくなるのだ。

 

 

腰が軽いか重たいか

2019年02月01日 | 日記
「ちょっと、ちょっとこれ持っていって」と母の家の近所の方が「広報おわせ」をぼくに手渡した。すぐにぼくは裏の「人の動き」の欄を見る。先月と比べて、12月末現在ということで、世帯数が15減っている。人口は24人減って住民票のある人は17,924,人である。人口はどんどん減っていく。「河原町らあ、空き家ばっかやんな」と配達のおばさんが言う。

 世帯数が減るということは空き家が出て来るということだ。空き家になれば、とりあえずは家の中にあるものの処分が必要だ。それと掃除。廃棄処分はシルバーセンターの登録男性が受け持ち、掃除は登録女性が受け持つ。この仕事が多くて、シルバーセンターは忙しいらしい。世帯数15のうち全部が全部シルバーセンターというわけでもないだろうが、それにしても結構な数である。

 自分のことを考えてもわかる。処分すべきものとそうでない物は子供たちがするのだろうが、結局シルバーセンターに頼まなければならないことだろう。その量たるや、と考えてもぞっとする。母親の家だけでも今からぞっとしているので、この頃、細君と相談して、捨ててもよいものをこっそりと母親に黙って、捨てている。毎日ちょっとづつやれば、結構違うことだろう。

 ぼくの事務所に使っている部屋にも相当な物がある。これまでの仕事の物だ。本、雑誌、前のパソコン、書類ケースがいくつも。本棚がいくつもある。バリ島のマッサージクリームだのなんだかのと一杯ある。この解決には、まだ絶対に必要なものだけに印をつけて、あとは全部一斉に廃棄をお願いすることだ。1日で済むことだろう。どこかで重い腰を上げなければならない。

 神戸の芦屋に住む仕事上の付き合いがあった先輩に仕事のことで連絡をしたら、「すべて仕事から引退しました。ベネッセとも接点はありません。ぼくはもう古希ですよ。こちらにくるときがあればランチしましょう」ときた。「何を言っているのですか。今どきの古希っていうのは80のことですよ。腰が重くなったらいけませんよ。ぼくは58歳ですよ」と返しておいた。

 腰が重たいのは実はぼくもそうである。車で東京まで走るのが億劫になった。ホテルの予約をし、紀勢本線に乗り、新幹線に乗り換え、品川からまたどこかに向かうことを想像するだけで億劫になる。情けない話ではある。がよくよく考えてみると、強い動機さえあれば、腰はシャンと上がるはずだと思う。例えば、シアトルまで飛行機で飛び、美味しいダンジリン蟹でも食おう、と誘われたら、きっと腰は上がると思う。さすがにオリンピックのために上京する気にはなれない。