エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

姫踊子草

2014年03月26日 | ポエム
今日はヒメオドリコソウ、である。
花は、ホトケノザにそっくり。



けれども、花の着き方が全く違う。



かてて加えて、群れてあるとき本当に踊り子たちがいるように錯覚すら覚える。
淡くも儚き花である。







「古旋舞の踊子の袖春の草」







古旋舞は、中国の古くからの踊りである。
回転しつつ踊る。
その袖の先は、長く色鮮やかである。

その色鮮やかな袖の先が、回転していかにも旋回する踊りの様相である。
紅潮した踊子の頬が、色鮮やかな衣装と相まって見ていて心地良い。
伝統のある踊りは、決して廃ることは無いのだ!
と、知れる。




歴代の中国の皇帝は、この踊りを楽しんだに違いない。
羨ましい限りである。

新疆ウイグル自治区のムカーム「ムカームの踊り」にいまもなおその様式は残されている。
中原で唐の時代に流行し、かの楊貴妃も得意としたといわれる「古旋舞」に似ているのである。



リズムは5拍子や7拍子など変速拍子が多用され、テンポが上がるに連れ2拍子に変化する。
ぼくたちは、高い木戸銭を払って見学する。



       荒 野人

春が来た

2014年03月25日 | ポエム
暖かさが春を連れてきた。
そう思いたい。



街中では、辛夷が見事に花を開いた。




童謡 春が来た





辛夷は春を告げる、そもそも深山に咲く花なのである。
けれど、今では都会でも春を告げてくれる。







「群れるほど身体に沁みる辛夷の木」







花が終わると、げんこつのような実を付ける。
だから辛夷である。

秋・・・その実は赤く熟れる。
熟れきると、弾けて周囲に飛散する。

種の保存である。



こうした営みこそが、着実な時間を刻む。
歴史の歯車は、そのようにして回って来たのである。

奇想天外の物語が無い訳でもない。
けれども、あらゆる事柄には王道は無い。
それを教えてくれるのが、森羅万象。
仏教では曼荼羅。



辛夷は、春先に哲学する楽しさを教えてくれる。



極めて非哲学的である野人に、美学を教えてくれるのである。



      荒 野人

ミモザの花房

2014年03月24日 | ポエム
見事なミモザである。



ミモザの奥にミモザが咲く。
ミモザの房は、豪華である。

花房といって良かろう。







「ミモザ咲き街の灯の広がれり」







ミモザは、マメ科オジギソウ属である。
ミモザは青空に良く似合う。
このミモザは「フサミモザ」である。



そうした花である。

因に花言葉は・・・。
「豊かな感受性」「感じやすい心」である。
悲しいほど、辛いほど繊細で細やかな花言葉である。

また、ミモザの名前の由来であるけれど・・・。
葉に刺激を与えると古代ギリシアの「身振り劇ミモス"mimos"(マイム、パントマイムの前身)」のように動くことからこの名がついたと言われている。
ラテン語本来の発音はミモサ、英語発音はマモゥサあるいはマイモゥサとなり、日本語のミモザはフランス語発音に由来する。



      荒 野人

永遠の〇・・・散華

2014年03月23日 | ポエム
今、話題になっている「永遠の〇」を観た。




映画 『永遠の0』 予告編 90秒





空を舞台とした映画はわくわくする。
この映画は、多くの言論人が「戦争讃歌」であって「特攻讃美」というけれど・・・。
男と女の愛の極致を描き出した、と云って良かろう。





「島々の戦の名残春の雨」

「映画観し散華の春の物語」





ぼくは不覚にも、上映中ずっと涙していた。
涙なくしては見られない男と女の愛の形であって「零戦」と「特攻」と「戦争」は歴史的事実として観るべきであろう。
久しぶりに良い映画だった。

そんなに、口を極めて批判される映画では無い。
散華の形まで否定するなら・・・日本の美学否定である。




映画【永遠の0予告】大ヒット上映中♪





何が話題になっているかと言えば、原作者の百田尚樹の発言である。

実は、その発言を嫌気してぼくは、映画を見る事は止めようとも思っていた。
報道によると、百田氏は、米軍による東京大空襲や原爆投下を「大虐殺」と表現し、A級戦犯を裁いた東京裁判は「それをごまかすための裁判」だったと指摘したという。
さらに、南京大虐殺についても、「そんなことはなかった」と発言している。

この百田発言に対し、在日米国大使館は今月8日、米政府の立場として「非常識だ」などと百田氏の発言を非難していた。
といった経過を承知しつつ、やはり観てみようと思ったのである。

映画は素晴らしかった。

百田氏は、NHKの経営委員など引き受けるべきでは無かった。
物書きとして、存在を示すべきだった
いま、そう思う。



岡田准一、が良かった。
いまは亡き、夏八木勲、が良かった。
山本學、も良かった。
風吹じゅん、も良かった。
おひさま井上真央、の戦争未亡人も良かった。



井上真央の大きな目が、良い。
その瞳に映される景色が、良い。

岡田准一は、ジャニーズ系だからと敬遠していたけれど、素晴らしくストイックに役を作っている。
俳優として、秀逸であると思う。
いま、もっとも脂の乗った役者かもしれない。
素晴らしい演技であった。

夏八木勲は、齢を重ねつつ老成した演技力が光る。
正しく、老熟である。
惜しい役者を亡くした。

この映画は、岡田と夏八木が支えている。




        荒 野人

メジロが来た

2014年03月22日 | ポエム
この子・・・メジロである。
目の周りが白いから、目白だ。



桜が咲き初めて、ようやくメジロが出てきた。
この年、初めてのメジロである。

嬉しくてならない。
だから、狂うほど写真を撮りまくった。



3月18日、関東に春一番が吹いた。
春一番は、荒天でもあるのだが風の暖かさは格別である。



桜の花に埋もれるように、一心不乱に蜜を吸う。
春を謳歌するメジロたちである。







「目白来る心もとなき咲き初め」







可愛い限りである。
ちゃんと季節を知らせる、その心持ちが良い。



こじんまりとした身体を、枝の上にチョコンと置いて楽しいんでいる。
人もこうありたいのだが、背負うものが大きすぎる。
バランスがとりきれない。

寂しい業である。
けれど、生きている証左でもある。



       荒 野人