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どんな走り方が好きなのか、と問われれば
ただただ黙々と距離を稼ぐような走り方だろうか
若いころから健診結果の数字が悪くて医者からあれはダメこれは控えて
と云われるうちにすっかり食べることに興味を失い
いまでは土地の名物もインスタの映え飯にもちっとも食指が動かない
美しい景色とかすごい景色とかの類いも
片っ端から名所を回るうちにすぐにトキメかなくなっていった
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だからボクにとってツーリングは普段の散歩走りとあまり変わりがない
けれど散歩していてもとても楽しく満足できるので
本当は遠くまで行ったり泊りがけで走ったりしなくても
いいと云えばいい
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なのに北海道を走ることは特別だと感じるのだ
それを説明しようと自分自身の頭の中を分析してみたけど
どうにも答えらしいものは見つからない
見つからないのに特別だという感覚は
いったい何に、はたまた何処に、起因しているのだろうか
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ツーリングに出た時、必ず決めているのは
旨いものを喰う事でも道の駅に寄る事でもなく
または温泉につかったり城を巡ったりすることでもない
ただ1日1回はオートバイを降りてのんびりすることだ
単にそれだけ
場所は・・・どこでもいいだろう
時間もいつだっていい
ただ心に響いた時と場所で、ただただオートバイを停める
もちろん逆に名所だからとか観光スポットだからと云って
わざわざ避けたりすることもない
富士山の見られる海岸だって停めてぼんやりすることはある
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この写真の場所は浦幌町の道道1038号線
後で地図で見たが「オタフンベ海岸」という浜らしい
オートバイを停めた場所の陸側には小高い丘があり
オタフンベチャシと呼ばれるアイヌの砦があったのだそうだ
鎌倉時代頃というから1000年位前だ
写真の背面側へ辿ると襟裳岬へつながる長い馬の背状の海岸線が遥か彼方へ伸びている
オタフンベとはアイヌの言葉で「砂ークジラ」の意
砂を集めて打ち上げられたクジラを模した故事による地名のようだ
敵を謀るために打ち上げられたクジラをまねて砂をかたどり、そこに兵を忍ばせた
食料不足の敵は打ち上げられたクジラと信じ武器も持たずに駆け付けたところを一網打尽にされた
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見渡す限りの太平洋とそこから繰り返し止めどなく打ち寄せる波
浜には少し冷たい風
アイヌの男たちの壮絶な戦い
空はその日も青かったのかな、なんてふと考える
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ここは国道273号線 糠平国道
糠平温泉の手前の旧国鉄士幌線音更第3橋梁跡の写真だ
鉄橋ではなく素材にコンクリートを用いたのは
砂利が現地調達できたことによる費用低減と
国立公園内の景観に調和するデザインをという意図がある
いちばん大きなアーチは32mもあり
全橋長は71mにも達する立派な橋だ
この橋梁の成功により日本各地でアーチ橋が作られるきっかけになったり
建設資料が詳細に残されていることなどから学術的な価値も非常に高いのだそうだ
竣工は1936年
この後行った「タウシュベツ川の橋梁跡」は1937年竣工
あちらは11連アーチの全長130メートルだ
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それにしても近代国家の交通インフラに対する熱意は激アツだ
悲しいかな今ではクマとシカとキツネの住処に成り下がった
人の気配など微塵もない
ただ森を切り裂く国道を時折猛スピードでクルマが走り抜けるだけだ
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この日は冷たい冷たい雨が降る最悪のコンディションだった
クマ出没注意の看板にビビりながらも
森と巨大なアーチ橋とシカの群れが不思議なコントラストだった
カッパを着こみヘルメットをかぶったまま
アーチ橋が見渡せる橋の上にしばらく佇んでいた
1987年に士幌線は全線が廃止
それからすでに37年がたつ
この先の幌加にも終点の十勝三股にもすでに町は無く
コンビニなど云うまでもないがあっても良さそうなガソリンスタンドもない
そしてクマやシカにまで普及すれば別だが
モバイルの電波もここにはない
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ここは夕張
炭鉱の町だった
北九州と並んで日本の近代を支えた化石燃料「石炭」の産地
今ではもう国内の炭鉱は釧路に1か所だけだが
最盛期にはここだけで年間500万トンを採掘していた
その当時、夕張には16万人が暮らしていたのだ(現在の夕張市は8600人)
今は建物もほとんどなくなって
山の斜面や谷筋の平地がすべて草木に覆われてしまっているが
かつての賑わいがいかほどであったかは容易に想像が出来る
ここに健さんの映画「幸せの黄色いハンカチ」のロケ地が残っている
撮影当時からあった理容店が喫茶店になり管理棟として残る
相手をしてくれた施設の人が丁寧に当時の状況を教えてくれた
平らになっているところにはすべて住居があった
「みんな何処に行ってしまったんでしょうかね?」
とひとりごとのように呟いたボクのつまらない問いかけに
彼女は遠くを見たまま乾いた笑いを返してくれた
これがボクのツーリングのひとコマなのだ
けれどやはりここには北海道が特別だと感じるモノの姿はまだ見えていないような気がする
気持ち的な何かだとは思うけれど
ここはもう少し話を進めながら考えてみようと思う
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