大学でメディア論の講義をしていて学生たちからよく意見が出されたのは実名報道に関してだった。きっかけはこの事件。ことし7月18日に発生したアニメ制作会社「京都アニメーション」への放火で、社員70人のうち36人が死亡した。京都府警は8月2日に10人の実名による身元を公表し、同月27日に25人、その後10月11日にさらに1人の身元を公表した。警察側の判断では、葬儀の終了が公表の目安だった。
京アニメ事件、犠牲者の実名報道が問いかけること
府警は同時に「犠牲になった35人の遺族のうち21人は実名公表拒否、14人は承諾の意向だった」(9月10日付・朝日新聞Web版)と説明している。その拒否の主な理由は「メディアの取材で暮らしが脅かされるから」だった。遺族側が警戒しているのはメディアという現実が浮かび上がった。
警察側の身元の公表を受けて、メディア各社は実名を報道した。さらに、現場記者は被害者側のコメントを求め取材に入った。8月3日付の朝刊各紙をチェックすると、「亡くなった方々」として、実名だけでなく、年齢、住所(区、市まで)、そして顔写真もつけている。その写真は、アニメ作品の公式ツイッターやユーチューブからの引用だった。遺族から提供を受けたものもあった。
マスメディア(新聞・テレビなど)の実名報道と遺族への取材について、学生たちは「被害者遺族にさらなる苦痛を与える取材はやめるべき」や「実名か匿名かは遺族の意向が最優先されるべき」、「いまのマスコミは加害者の名前を報道することには慎重になっているが、被害者の名前は当たり前にように軽く報道している感じがする」と辛口のコメントが多い。さらに、「被害者の実名報道が遺族に対するメディアスクラム(集団的過熱取材)の原因ではないか。被害者遺族への取材や実名報道にこだわる理由がわからない」とさらに手厳しい意見も。
確かにメディアスクラムは以前からさまざまに批判を浴びている。「報道被害」という言葉も社会的にはある。記者が玄関のドアホンを鳴らしただけで、生活を脅かされたと敏感に感じる遺族もおそらくいる。遺族の心境は「そっとしておいてほしい」のひと言だろう。
メディア側でもメディアスクラム化を避けるために、代表取材というカタチをとったりする。実際、京都アニメーション事件では、報道各社の代表者が、取材拒否の意向が明確な際はその意向を共有するよう努めることや、新聞・通信社とテレビの各1社を選び、代表社が遺族に取材の意向を尋ねる形式を取った。
学生たちの意見は批判的なコメントが多かったが、一人の読者・視聴者の立場からすると、やはり実名であることが記事内容の真実性が伝わる。ただ、被害者や遺族へのコメントが必須かどうか。事件の状況が理解できれば、被害者側の心情は察するに余りあるものだ。ケースバイケースだが、被害者側のコメントはなくてもよい。
もう一つ議論を呼んだのは、加害者の実名報道だ。マスメディアのWeb版で掲載された逮捕記事などはインターネットの掲示板などに転載されている。問題は、その後、証拠不十分で不起訴となったりするケースもままある。その場合でも容疑者のままネットで掲載されている。いったんネットに上がった実名と犯罪を消去することはおそくら不可能だろう。
加害者の実名は裁判で判決が確定するまで掲載しないという論もある。しかし、逮捕段階からの実名報道は事件の真実性を担保することであり、匿名での記事は誰も注目しないだろう。
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