2015年 菖蒲月 25日
23日の土曜日・・・・お昼頃
ヨガから帰ってきたのりこちゃんに
大桟橋 行く?
と聞くと
忘れてた!!
言ってくれればよかったのに
といわれたのですが午前中くらいお店開けていないと・・・・・
土曜日は
ハンドン
です♪
結局 お買いも物は中止して・・・・・
大桟橋に行ってきました♪
小さいけれど スタイリッシュな船ですね
中東の お金持ちのヨット
と言われたら そんな気もしちゃうくらいの大きさです
写真だと 見難いのですが
船員さんが マドロスパイプくわえて
上着を肩にかけ
片足を乗せているのが似合いそうな
ボラート 舫いロープを引っ掛ける岸壁にある黒い丸っこいの
その 船側・・・・
かなりの範囲で 凹んでいました
どこでぶつけてしまったのでしょう?
母港に帰ったら修理ですかね?
船の一番上には・・・・
サンデッキ や ウォーキング ゲームを楽しむところ
と思っていたのに・・・・・
この船は 救助用? の小型モーターボートがびっしり
見えるだけで 5ハイ あります
じゃ~ん
船尾に掲げられた 国籍旗
フランスの船です
なんと トランサム 船尾には
こんな大きな船で付いているの始めてみました
スイミングステップ
と言うべきか
スイミングデッキというべきか
はたまた 鯨を解体するデッキ??
乗客 250人
その五分の一位は
タヒチ・パラオ の入り江で投錨し
気ままに泳ぐのでしょうか?
大桟橋の 鯨のおなかでは
和の雰囲気を醸し出し
お土産やさんも
僕が中学生の頃の 大桟橋にあったお土産やさんに
どことなく 雰囲気が似てきたところがあります
そして 世界一周の途中の船
船腹の ユーロ旗 欧州旗
ペンキが浮き上がってしまったらしく
横浜で二泊するのを良いことに
塗り替え作業
土曜日の夜に出航なのに
それまでに乾くのかな?
フランスのロストラルにはなかった
操舵室から出っ張っている見張り台?
船尾にイタリア国旗
大きな船です
隣のフランス 船籍の
総トン数で8倍
乗客数 10倍
海に浮かぶマンションのようです
こんなに多いな船だと
世界一周の中で 気のあった人と又すれ違うことがあるのでしょうか?
帰り際に 中華街によって
餃子の皮を買って帰ります
と言っても そのお店に横付け
そのまま 買い物をして急いで帰ります
その 帰り際に
母校 関東学院に寄ってきました
この 横浜市認定歴史的建造物 六角塔
保存に向けて動いていたのですが
耐震強度を補強するための工事が不可能に近い・・・・
金額的にも 工事的にも
と言うことで 解体が決まってしまいました
周りには 防護ネットが張られている箇所もあり
とても 寂しいですね
ネットで 探してみたら・・・・
まだ 全体を見せる外観の写真がありましたので
拝借・・・・
ネットで 関東学院 六角塔
で検索したら・・・・
http://www.yokohama-album.jp/picture/detail/1121/
こんなページ発見
なんと 終戦直前 横浜の捜真女学校は
関東学院に間借りしていたそうです
残念ながら 内部の写真はないですね
今と違い カメラを普段持って歩く
と言う時代でなかったので
在学中 何気なく使っていた校舎の内部写真はありません
入って右側に事務所
ホールの正面に螺旋階段があり
塔の上のほうに 小講堂 と呼ぶ 礼拝堂がありました
そして 地下には コベルホール と呼ばれる
食堂があります
右手にある石には
人になれ 奉仕せよ
と彫られ
左には
関東学院の源流
私立中学関東学院発祥の地
こんなの 始めて見た
それもそのはず
2009年に建立されたものだそうです
大体 僕らが学生の頃は
関東 と言えば 三春台でわざわざこんなこと彫るまでもなかったのですが
僕らが学生の頃 新任で着任された K先生が
関東学院六浦の校長先生になられ
広くメディアに出るようにした
そしたら 受験生が飛躍的に伸びたんだ
と数年前にお会いした時に嬉しそうに話されていました
それで 世間的には 六浦が前面に出だした危機感の現れでしょうか?
そういえば
僕らが学生の時に
そのツタを切って 外壁塗りなおしたことがあり
え~ と思ったこともありましたが
ツタの生命力は凄いですね
物の 数年で元に戻りましたっけ
変わりゆく 母校です
そして
グランド
正面に 部室が並んでいたのですが 影もなく・・・・
http://kanrankai.net/schoolsong.html
校歌が聴けるサイトです
青海の
見ゆるたかだい
海のごと 広きのぞみを
若人は いだきて集う
関東学院 我等が学びや
六浦は どちらかと言うと
高台ではないものですね
僕らが学生の頃
大先輩に ここから海が見えたんだ
と 部室の上から
伊勢崎町を練り歩く 横浜仮装行列(現 横浜パレード)を見ながら
教えられました
23日の土曜日・・・・お昼頃
ヨガから帰ってきたのりこちゃんに
大桟橋 行く?
と聞くと
忘れてた!!
言ってくれればよかったのに
といわれたのですが午前中くらいお店開けていないと・・・・・
土曜日は
ハンドン
です♪
結局 お買いも物は中止して・・・・・
大桟橋に行ってきました♪
小さいけれど スタイリッシュな船ですね
中東の お金持ちのヨット
と言われたら そんな気もしちゃうくらいの大きさです
写真だと 見難いのですが
船員さんが マドロスパイプくわえて
上着を肩にかけ
片足を乗せているのが似合いそうな
ボラート 舫いロープを引っ掛ける岸壁にある黒い丸っこいの
その 船側・・・・
かなりの範囲で 凹んでいました
どこでぶつけてしまったのでしょう?
母港に帰ったら修理ですかね?
船の一番上には・・・・
サンデッキ や ウォーキング ゲームを楽しむところ
と思っていたのに・・・・・
この船は 救助用? の小型モーターボートがびっしり
見えるだけで 5ハイ あります
じゃ~ん
船尾に掲げられた 国籍旗
フランスの船です
なんと トランサム 船尾には
こんな大きな船で付いているの始めてみました
スイミングステップ
と言うべきか
スイミングデッキというべきか
はたまた 鯨を解体するデッキ??
乗客 250人
その五分の一位は
タヒチ・パラオ の入り江で投錨し
気ままに泳ぐのでしょうか?
大桟橋の 鯨のおなかでは
和の雰囲気を醸し出し
お土産やさんも
僕が中学生の頃の 大桟橋にあったお土産やさんに
どことなく 雰囲気が似てきたところがあります
そして 世界一周の途中の船
船腹の ユーロ旗 欧州旗
ペンキが浮き上がってしまったらしく
横浜で二泊するのを良いことに
塗り替え作業
土曜日の夜に出航なのに
それまでに乾くのかな?
フランスのロストラルにはなかった
操舵室から出っ張っている見張り台?
船尾にイタリア国旗
大きな船です
隣のフランス 船籍の
総トン数で8倍
乗客数 10倍
海に浮かぶマンションのようです
こんなに多いな船だと
世界一周の中で 気のあった人と又すれ違うことがあるのでしょうか?
帰り際に 中華街によって
餃子の皮を買って帰ります
と言っても そのお店に横付け
そのまま 買い物をして急いで帰ります
その 帰り際に
母校 関東学院に寄ってきました
この 横浜市認定歴史的建造物 六角塔
保存に向けて動いていたのですが
耐震強度を補強するための工事が不可能に近い・・・・
金額的にも 工事的にも
と言うことで 解体が決まってしまいました
周りには 防護ネットが張られている箇所もあり
とても 寂しいですね
ネットで 探してみたら・・・・
まだ 全体を見せる外観の写真がありましたので
拝借・・・・
ネットで 関東学院 六角塔
で検索したら・・・・
http://www.yokohama-album.jp/picture/detail/1121/
こんなページ発見
なんと 終戦直前 横浜の捜真女学校は
関東学院に間借りしていたそうです
残念ながら 内部の写真はないですね
今と違い カメラを普段持って歩く
と言う時代でなかったので
在学中 何気なく使っていた校舎の内部写真はありません
入って右側に事務所
ホールの正面に螺旋階段があり
塔の上のほうに 小講堂 と呼ぶ 礼拝堂がありました
そして 地下には コベルホール と呼ばれる
食堂があります
右手にある石には
人になれ 奉仕せよ
と彫られ
左には
関東学院の源流
私立中学関東学院発祥の地
こんなの 始めて見た
それもそのはず
2009年に建立されたものだそうです
大体 僕らが学生の頃は
関東 と言えば 三春台でわざわざこんなこと彫るまでもなかったのですが
僕らが学生の頃 新任で着任された K先生が
関東学院六浦の校長先生になられ
広くメディアに出るようにした
そしたら 受験生が飛躍的に伸びたんだ
と数年前にお会いした時に嬉しそうに話されていました
それで 世間的には 六浦が前面に出だした危機感の現れでしょうか?
そういえば
僕らが学生の時に
そのツタを切って 外壁塗りなおしたことがあり
え~ と思ったこともありましたが
ツタの生命力は凄いですね
物の 数年で元に戻りましたっけ
変わりゆく 母校です
そして
グランド
正面に 部室が並んでいたのですが 影もなく・・・・
http://kanrankai.net/schoolsong.html
校歌が聴けるサイトです
青海の
見ゆるたかだい
海のごと 広きのぞみを
若人は いだきて集う
関東学院 我等が学びや
六浦は どちらかと言うと
高台ではないものですね
僕らが学生の頃
大先輩に ここから海が見えたんだ
と 部室の上から
伊勢崎町を練り歩く 横浜仮装行列(現 横浜パレード)を見ながら
教えられました