歌人笹井宏之は15歳で身体表現性障害という難病を発症し、寝たきりのままインターネットで短歌の投稿を続けた人です。多くの賞を受賞し、将来を嘱望されながら2009年26歳で夭逝しました。
その歌集『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』(ちくま文庫)から。
「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい
この歌の「はなびら」は世界を写しとる記号ではなく、香りや手触りを含んだ世界の一部をなしています。紙の上の点字の突起もまた、桜の一部なのです。
わたしはベルクソンの「帆立貝の眼」の話が好きで、それを思い出しました。
帆立貝の眼は、その構造において人間の眼と酷似しています。驚くほどに同じ部品構成を持っていると言ってよいのだそうです。この事実を説明しようとすると科学的進化論は直ちに行き詰まります。iPhone がバージョンアップするごとにカメラ機能が飛躍的に進化するのとは全く違うのです。
ベルクソンは、次のように語ります。視覚という機能は、持続する生の力が求め続けることで、ついに物質の抵抗を突破して獲得するものなのだ。この突破はあまりにも限定的なもので、むしろ眼という物質の抵抗を突破して物を視ようとしているといった方が正確なのだ、と。ベルクソンによれば、帆立貝と人間の眼の構造が同じなのは、抵抗を突破しようとする力が残した足跡の、ほとんど偶然の一致なのです。
点字をなぞって「ああ、これは桜の可能性が大きい」というつぶやきは、抵抗を突破しようとする「生の力」そのものを詠っているように思います。これは点字という媒体を通した特別の経験ではなく、生きること、視ることをそのままに写し出したものとも言えるでしょう。身体器官の不自由を強いられた笹井宏之だからこそ、直接に描き出すことのできた「力」ではないでしょうか。
ちなみに歌集のタイトルとなった歌は、まさにその「力」を詠っています。
えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい
「えーえん」と赤子の口から奔り出る声もまた、抵抗を突破しようとする原初の力を表しています。
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