脚本家の山田太一さんが亡くなりました。
『岸辺のアルバム』が私の高校生のころ、『ふぞろいの林檎たち』が大学生のころの放送なので、ちょうど感情移入しやすいタイミングで、山田太一ドラマを観ていたように思います。
そして、私にとって何より忘れ難いのは、著書が映画化された『異人たちとの夏』です。
映画を観たのは、私が三十になろうとしていた頃で、今の仕事をずっと続けてよいかと、猛烈に悩んでいた時期でした。おそらくこれまでの人生で、最も暗い時期だったように思います。
『異人たちとの夏』は、妻子と別れた人気シナリオライターが、ある日生まれ故郷の浅草に立ち寄ると、12歳の時に交通事故で死に別れた両親とばったり出会うという話です。主人公は不思議に思いながらも、再会した両親との関係が心地よく、ひたすらそこにのめり込んでいくのです。不思議な女性とも出会い、両親やこの女性との関係で主人公の精神は大いに満たされ、仕事も順調に進むのですが、周りが驚くほど身体は衰弱して行きます。
「異人たち」は死んだ人たちであり、異人たちとの関係のなかで主人公は、自分のなかで解決されずに置き去られていた問題と向き合うようになります。しかし、その大事な問題に沈潜すればするほど、身体は現実と乖離して弱っていくのです。
中年期を迎えようとしていた私も、悩めば悩むほど現実から乖離していることは自覚していて、衰弱し消えて行くような主人公の感覚がよく分かりました。だから、映画を観た時の衝撃が大きかったのをよく覚えています。
今から思えば、私じしんが「中年の危機」を迎えており、映画がそのことを明確に意識させてくれたのだと思います。漱石の『道草』を読み、自分の「中年の危機」ならぬ「老年の危機」に思いを馳せている最中に、山田太一の訃報に接するのも、何か不思議な偶然を感じます。
山田太一という人は、おそらく異人たちと触れ合いながら、あちら側の世界に引き摺り込まれるのをずっと耐え続けて生きていた人だったろうと思います。その山田太一も「異人たち」のひとりとなってしまいました。何かのきっかけで出会えたとしても、いい加減に自分の世界に戻りなさいと、諭してくれるように思います。