仕事柄、与党税制改正大綱が発表されたその日のうちに、大綱全文を隅から隅まで読み通すというのが、数十年来のルーティンになっています。それにしても、目玉のない政策を、空疎な言葉でつなげた今年の大綱は、最後まで読み通すのは苦痛でした。
翌朝の朝刊各紙を見ると、日経でさえ税制改正大綱が一面トップ記事から外されているのは、異例のことだと思います。われわれの生活に密着した政策を公表しても見向きもされない、というのは政策担当者が考える以上に深刻なことではないでしょうか。
税制改正大綱は「我々は、 今、大きな時代の転換点にある」の一文から始まり、コロナ禍、ウクライナ侵攻、中東情勢など分断が先鋭化する世界のなかで、わが国はさらにデフレからの脱却という難題に取り組んでいる、と続きます。それが物価高というかたちで生活を圧迫することを防ぐため、賃上げを促進しなければならないとして、次の言葉で最初のパラグラフが結ばれています。
「継続的に賃金が増えることで、 生活に対する安心が育まれ、 働けば報われると実感できる社会、 新しい挑戦の一歩を踏みだそうという気持ちが生まれる社会、 こうしたマインドが地方や中小企業にまで浸透するような社会を築かねばならない。それが、この数年間でわが国が達成すべき政治課題であると我々は考えている。」
論語に「民は信なくば立たず」とありますが、「信」とは為政者が信じるに足ることにとどまらず、信じて「立つ」ほどの言葉の力を持っていることに他なりません。冒頭に「大きな時代の転換点」と宣言しているだけに、そこで述べられる分断された世界の姿と、「こうしたマインドが浸透する社会を築く」こととの繋がりが見えず、かえって言葉の空疎さだけが際立ちます。「信じて立つ」言葉を届けようとする姿勢が見えないのです。
少し前、若松英輔が日経新聞のコラム「言葉のちから〜信念について」に書いていた「信のちからの無い言葉」が、そのまま当てはまると考えました。
これまで私は、さまざまな仕事に就いてきた。(中略)どの世界にも知の言葉でしか話さない人はいた。むしろ、知の領域で事を収めることに必死であるといった方がよいかもしれない。知の世界のことは、自分でなくても誰かがやればよいということを前提にしている。問題を指摘しながら自分が有能であることは表現するが、そこにかかわるつもりはない、という思いが言葉の端々から感じられた。知は重要である。知の力がなければ分からないことは世に多くある。しかし、信のちからが無ければ人も事態も動かない、というのも事実なのである。(日経新聞 2023.11.11)
私は税制改正大綱をクライアントに説明するのですが、彼らを励ます力は大綱のなかにはなく、せいぜい大谷翔平の話題で気持ちを盛り立てることしかできません。そもそもが「自分でなくても誰かがやればよい」という官僚の作った作文なのだ、と割り切るとしても、悲しい話ではあります。