妻の実家で正月元日を過ごしました。コロナ禍の間は長居を避けるようにしていましたが、今年は比較的ゆっくりと過ごすことができました。三年前に義父が他界した後、義母の生活もようやく落ち着いたようで、かつての正月に戻ったような気がします。
茨木のり子の詩に「答」というものがあり、義母に重ね合わせて読み直しました。長くなりますが引用します。
ばばさま/ばばさま/今までで/ばばさまが一番幸せだったのは/いつだった?
十四歳の私は突然祖母に問いかけた/ひどくさびしそうに見えた日に
来しかたを振りかえり/ゆっくりと思いめぐらすと思いきや/祖母の答は間髪を入れずだった/
「火鉢のまわりに子供たちを坐らせて/かきもちを焼いてやったとき」
(中略)
ながくながく準備されてきたような/問われることを待っていたような/あまりにも具体的な/答の迅さに驚いて/あれから五十年/ひとびとはみな/掻き消すように居なくなり
私の胸のなかでだけ/ときおりさざめく/つつましい団欒/幻のかまくら
あの頃の祖母の年さえとっくに過ぎて/いましみじみと噛みしめる/たった一言のなかに籠められていた/かきもちのように薄い薄い塩味のものを
(『食卓に珈琲の匂い流れ』『茨木のり子集 言の葉3』所収)
娘たちがまだ幼い頃、義父母と我が家とで南阿蘇まで足を伸ばし、わらび狩りをして、阿蘇神社の境内で皆で食べたおにぎりの美味しかったこと。あの時のことは、義母とも話すことはあって、共通の楽しい思い出ではあります。しかし、この詩のなかの「かきもちを焼いてやった」ときのような、かけがえのない一番の幸せは、きっと義母の心のなかに別に、大切にしまってあるのでしょう。
「問われることを待っていたような/あまりにも具体的な/答」は、最初とても小さな粒子であったものが、次第に結晶のように美しく形づくられるのだと思います。
今年という一年は「答」の結晶を、しっかりと育てる時間でもあります。