今年の初釜茶会の花は蝋梅でした。鶴首花入に水仙を活ける予定だったのが、茎や葉が思いのほか太く、花器に入りきれないので、急きょ変更になったのだそうです。
一週間後の初稽古では、水仙が鶴首にきれいに収まっています。花をよく見ると、中心にある筒状の副花弁が小さく、花弁も丸みを帯びているようです。調べてみると、日本水仙とは違う小杯水仙という種類なのかと思いました。茎も葉も日本水仙より細いので、鶴首花入に収まったのだと思います。
ともあれ、水仙は唐銅の花入に活けると、稽古場全体が引き締まった雰囲気になります。
水仙の花は、近世以降の短歌には頻繁に姿を現します。たとえば、次の二首。
黄いろなる水仙の花あまた咲きそよりと風は吹きすぎにけり(古泉千樫)
真中の小さき黄色のさかづきに甘き香もれる水仙の花(木下利玄)
ところが、この花が古い歌に詠まれることは稀です。水仙がわが国に到来するのが平安末期と比較的新しく、大和言葉で呼ばれることがなかったため、歌に詠まれる機会が少なかったのだそうです。
ギリシア神話にも登場する水仙は、もともと地中海地方の原産で、それがはるばるとシルクロードをたどって唐に渡ると、水辺の仙人になぞらえて「水仙」と名付けられました。時代がさらに下って、大陸から黒潮や対馬海流に乗って漂着したものが、わが国の海辺に自生して、それが大陸で付けられた名前のまま愛でられるようになったのです。
地中海を出自とし、大陸の不思議な名前を持つ水仙は、エキセントリックな存在でもあったのでしょう。毒性があるのも知られており、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出しています。
侘茶の祖と言われる村田珠光は、それまでの唐物中心の茶の湯の道具に、和物を調和させて新しい美をつくることを目指し、その姿勢を「和漢のさかいをまぎらかす」と言いました。境界を横断するように移動する水仙が、「さかいをまぎらかす」存在として認められているのかもしれません。唐銅など「真の花入」つまり最も格の高い花入に適した花とされるのも、この不思議な佇まいが原因ではないかと思います。
ナルキッソスはみずからに見惚れて、水鏡の向こう側の世界に行ってしまいました。人を魅了しながら境界を移動する姿の原型が、ここにあるようにも思います。境界を易々と越える人、それゆえ特定の場の論理に染まらない孤高の人、といった姿も思い浮かびます。